続きです。

 

昨年7月に御婿さんが東京に来て、新しい自分たちの部屋(3階)で約2カ月半、家族水入らずで過ごしていきました。私は同じマンションの5階に住んでいるので、娘にとっても私にとっても理想的な住まいです。お婿さんが来る前には、娘の家のリフォームの残りを仕上げたりして気ぜわしかったので、私はほっとして一人暮らしを楽しんでいました。

 

しかし、お婿さんが9月にパリに戻ってからは、それまでのように娘たちは我が家で食事をすると思っていました。ルイ君には発達障害があり、娘はその療育に懸命なので、私が食事の用意をすれば娘は助かると思っていたのです。

 

けれども、娘は自分の家が整い、お婿さんのために食事を作っているうちに、自由に自分で腕を振るう楽しさを取り戻したのでしょう。お婿さんがパリに戻ってから相談した結果、自分の家でルイ君のお稽古やその日の体調にあわせて、好きなように時間を見計らって勉強させたり、食事をしたほうがいい、ということになり、プールで帰りが遅くなる土曜日と娘に用事がある日だけ私が料理を作り、一緒に食べることにしました。

 

さて、そこで私は人生の節目を迎えたわけです。長女が来るまでは次女や三女が一緒に住んでいたので、結婚するまで実家にいた私は、生まれて初めて本格的に一人暮らしをすることになりました。

 

驚くことばかりです!洗濯も掃除も2日、いや3日に1度でも充分です。洗濯物はシーツやバスタオルを集めて洗います。洗い物が少ないので食洗機の出番はありません。スーパーでは買い過ぎないように注意が必要です。生活のスケールが小さ過ぎてショボイ!

 

それに、他人に感謝されるというか、誰かのために頑張っているという気持ちを味わうことがなくなりました。振り返ってみれば、家族のために働く、家事をする、と恩着せがましくふんぞり返っていた私がいました。家族のためと言う錦の御旗を振りかざして、安心していた自分がいました。それが無くなると、本当に張り合いが無くなる。

 

これは決して娘たちが冷たいというわけではないのです。次女も三女も我が家には食事にも、泊まりにも来るし、長女も勿論、ルイ君と一緒にピアノの練習や気晴らしに我家に来ます。けれども、それぞれが自活している今、私はもう娘の面倒を見るという立場ではありません。それどころか、体調不良などで娘たちに心配をかける立場に逆転する可能性もあります。正に老後生活に踏み出したのだと感じました。

 

働かなくても暮せて、勉強しなくてもよくて、いつ起きてもいい、何時寝てもいい、TVもネットも見放題・・・貧しいとはいえ、こんな自由なご隠居生活。でも、慣れません。ショボーン

 

働いている時はやりたいことがたくさんありました。自由になったら、買い溜めてある生地で洋裁をしたい、毛糸で編み物をしたい、語学もやりたい、社交ダンスもしたい、読書もしたい・・・。でも、退職して3年半の間にすでにチャレンジしていました。

 

どうしたら、一人暮らしを楽しむことができるのだろう。何か、ドキドキするような楽しいことはないのだろうか?そして、ルイ君への手助けが不要になった今、昔からずっと気になっていたこと・・・英語圏で暮してみたいという気持ちを思い出しました。お稽古事も楽しい、でもそれは今後も続けられる事。でも、海外へ行くなら、娘達曰く1日でも早い方がいい」。だって、もう71才になったんだもの。

 

これはなかなかブログには書けませんでした。昨年11月から12月にかけて留学の説明会に行ったことは少し書きましたが、年齢に対する負い目があり、自分でも実現できるか迷いがあったからです。しかし、このイギリス行きを実行するか、諦めるか、実行するなら今なので、その決着を付けなくては次に進めません。年が明けてから、真剣にエージェントなどに相談を始めました。

 

それから、風邪と共に、落ち込む日々が始まりました。

 

続きます。

 

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