2年間ガンと闘病していた妹が亡くなって2週間。長寿の時代に67歳の生涯は短すぎたとは思いますが、今は、妹の一生は幸せだったな、と思い、私は心穏やかに過ごしています。

 

恋愛結婚で結ばれた妹は、明るくて真面目な夫との間に1人の息子と2人の娘を授かり、長女の方には3人の孫、次女の方には2人の孫と、8月に誕生する3人目の孫がいて、更に独身の長男と2人の優しいお婿さんに囲まれ、いつも誰かしらが妹の家に来ては食事をし、泊まって行くという、賑やかな暮らしをしていました。

 

そして、その中心には当然のように妹がいて、家業の経理や雑務をこなしつつ、家庭でも明るく采配を振るっていました。発病後も妹の廻りの賑やかさは変わらず、妹程家族に囲まれた病人はいなかったと思います。

 

妹のガンが見つかったのは、夫婦でリタイアを決め、工場の機械を処分し、5月に最終決算を終えた翌6月でした。検査の結果、妹は2週間に一度1~2日入院して抗がん剤治療をすることになりました。

 

私達が妹のお見舞いに行った時は、病院でも自宅でもいつも義弟や姪や甥、さらに娘婿や孫たちが複数付き添っていて、本人始め誰も病気の深刻さを口にせず、賑やかな会話に終始していたので、私も「もしかしたらこのままガンと共に生きていけるのじゃないのかな」と思ったりもしていました。

 

しかしのちに妹は「このままなら余命8カ月と宣言されていた」とmixiの日記にアップし、驚きました。妹は弱音を吐かない我慢強いところがあるので、私には最後までいつも通りに明るく振る舞っていました。勿論家族には素直な思いを伝えてはいたのでしょうが、それでも義弟も、その明るさが周りの者にはとても有難かったと言っていました。

 

妹は、闘病中も体調のいい時は家族と沖縄に旅行したり、近くの温泉にでかけたり、とても病人とは思えない活発な行動をしていました。妹が家族と一緒に東京湾でクルーズをしたい、というと、退職して時間ができた義弟は息子と一緒に船舶の操縦免許まで取りました。

 

そして昨年9月と今年の3月末の2度、船を借りて家族での東京湾クルーズを実現しました。2度目の時は妹はもう乗船は無理だと思ったそうですが、息子の勧めでベッドが置ける大きめの船を借りて実行したそうです。その時の様子を妹は、mixiの日記に嬉しそうに写真と共にアップしていました。

 

妹だけでなく、家族も最後まで私には病状については現状を話すだけで、将来についてのネガティブなことは一切口にせず、今を大切に生きることに専念しているようでした。技術屋で精密な作業を得意とする義弟は、その技術を妹の介護にも生かし、長女は7人乗りの自家用車で殆ど毎日実家に通い、妹の気分がいい時は車いすを積んで買い物などに出かけ、話だけ聞いていると、まだまだ元気で生きて行けそうな気がしました。

 

6月15日に出血して緊急入院し、6月24日に見舞ったのが妹に会った最後でした。もしかしてやつれているのでは、と心配でしたが、かって肥満だった妹はちょうどいいくらいにふっくらしていて、とても可愛かったです。その時も、病気の愚痴や先行きの不安は一切口にせず、「早く家に帰りたい」「頑張って元気になる」と言っていましたが、動くと出血するので起き上がることはできませんでした。

 

そして妹はその意思を貫き退院し、最後の半月はお医者様が通って来てくださる形で家で過ごし、7月15日の日曜日、自宅で家族全員(多分11人)に見守られて亡くなりました。

 

お通夜、告別式を過ごすうちに、妹がどれだけ家族に慕われていたか、再確認しました。特に義弟が告別式の挨拶で「私も仕事をしていて辛い時期がありましたが、その時には妻に本当に助けられました。本当に良き妻であり、良き母親でした。」と述べ、また、葬儀の最後の挨拶で、「一人になり、これからどうしようか、まだ何も考えられません。」と言った時、本当に妹はいい家庭を築き、幸せな人生を送ったんだなあと感じました。

 

義弟は結婚後、厳しい状況下の町工場を親から譲り受け、しばらく大変な時期もあったのです。そんなとき、妹は明るく前向きで、一緒に悲しみ、一緒に怒り、一途に義弟の味方をするタイプだったのです。そんな妹らしいエピソードを前日のお通夜の席で、義弟が話していたので、義弟の挨拶が本心からのものだとよくわかりました。そして、こう思ってくれる義弟に本当に感謝の気持ちで一杯になりました。

 

私も助けられました。私の主人が若くして亡くなり、私達の父親も亡くなった時、教育資金を借りるにも、私立の学校へ入れるにも、就職する際にも、連帯保証人や身元保証人に義弟のサインを気持ちよく貰って来てくれました。そして妹はいつも「頑張って!」「頑張ろう!」と励ましてくれました。本当に感謝しています。

 

葬儀は家族葬で行いました。若い時に力を合わせて働き、今や裕福になって事業を閉め、さあこれから老後を楽しもう、と思った矢先に病魔に襲われた妹は本当に可哀想だし、残された義弟も子供たちの喪失感も大きいとは思うけれど、でも妹を含め、家族全員が自分のできるだけのことをこの2年間やってきたという連帯感に満ちた温かい葬儀でした。これからも妹の思い出を中心に、きっと家族が団結して生きて行くことと思います。

 

そして私は今、やがて私にも来る死が少し身近に、そして自然なものだと思えるようになりました。

 

 

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