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永遠の謎

(前回より続く)

知り合いの知り合いから秋田犬の子犬を譲り受けることになったが、血統書を付けるので名前も考えてきて欲しいと言われたので息子に好きな名前を考えて決めさせ、女の子の子犬で「あめ」という名に決めた。子供の遊び相手になる子犬に私が漢字を当てはめて「明女」でふりがなを「あめ」とした。譲り受けるお宅に行くと居間に通された。トロフィーや賞状など飾られていて秋田犬のベテランで数々の賞をもらう血統の犬の子だったことが初めてわかった。秋田犬には、体毛から全身真っ白なめずらしいタイプ(有名なのは青森のぶさお)と一般的な赤(背中や顔の上が茶色で、顔の下や腹、手足は白)、虎毛(黒のまだらっぽい)があるようで、今回、赤のもうすぐ2か月になる子犬でした。まだ冬で寒いので温かい部屋で育てられていて丸々と元気な子犬でした。うちに連れて帰るとさっそく妻の寝室で息子が赤ちゃんの時に使ったベビーベッドを改造した柵に入れました。それぞれ子犬の名前を「あめ」と呼ぶのですがそれぞれのアクセントが違います。私は「雨」のアクセント、妻は「飴」のアクセント、息子はその中間のアクセントで、子犬は自分の名前が理解できるのかなあ?

 10年前、息子が生まれたときにまだ名前を考えてなくて産まれてから妻といろいろな名前を考え、たくさん作って何日もかけて徐々に絞り込んで最終的に決めました。市役所に名前の届け出をする前に長女に「弟の名前は○○に決まったよ。」と言うと大反対されました。娘は自分でもう決めた名前があったようで「▽▽」でないと嫌だ「○○」だったら面倒見ないとだだをこねて説得しようとしたががんこで譲らず、結局息子の名前は長女が付けました。でもそれは呼び名で一般にはない呼び名だったのでそれに当てはまる漢字を妻と相談して決め、届け出をしました。その息子が保育園の年長の誕生日会の時に名前の由来を話すよう保育園の先生から言われました。はて?なんでこの呼び名にしたのだろうか?娘に聞いたら、「そんな昔のことは忘れたよ。」と言われ、息子の名前の由来は永遠の謎になってしまった。

(次回に続く)

 

人間犬とサンタ

毎年今の時期に行っている人間ドッグに行ってきた。毎年同じ体重を保っていたのだが今回は3kgオーバーで腹囲もやばい。最後の医師の診察アドバイスで体重を3㎏減らしなさいと言われた。思わず、「今年は雪がなくって除雪作業の有酸素運動ができなくて正月太りが解消されない」と言い訳を言ったら、雪を言い訳にするのかと笑われた。自己管理ができてない自分が悪いのだ。その翌日に知人から、「知り合いで秋田犬の子犬がいてちょうど手放す時期なのでいらないか?」と連絡があった。私も妻もややぽっちゃり体系なので犬の散歩ダイエットに最適だ。息子に聞いてみると、すぐに飼いたいと言う。学校から帰ってゲーム三昧で時間つぶすよりもいいだろうし、息子が3歳のころにサンタという名の犬が老衰で亡くなってからは犬を飼っていなかったのだ。

 息子の姉が保育園のころ、大きくなったら犬になりたいと言っていて、店内で四つん這いになって走り回ったりしていた。保育園でも同期の子に嚙みついて歯型を付けたとほかの親からの苦情もあり、噛みつけばだめだと言っても聞かずに困っていた。そこでポメラニアンとチワワのかけ合わせの雄の子犬を買ってきて「将来の結婚相手連れてきた。」と渡すと大喜びで、毎日背中におんぶして散歩していた。犬も手荒な扱いを受けると怒って噛みつくので、嚙みつかれた痛さも味わったようで人にも噛みつかなくなった。名前はサンタクロースが好きなので「サンタ」と娘は付けた。「お手」「お座り」「待て」など教えても全然できなくて、小さな犬で脳みそも小さいからサンタは頭が悪いんだろう。私がそういうと、娘は「違う。サンタは頭は悪くない。耳が悪くて聞こえないから言うことができないんだ。」結婚相手の悪口を言われて娘は怒った。そんなサンタも長生きしたけど老衰で亡くなってしまった。

(次回へ続く)

忍者と弁護士

 

小学4年生の息子のPTAに行ってきた。ちょうど二十歳の半分の10歳なので「半分成人式」という名の伝統的参観授業が続いたのだが、去年から18歳から「成人」と定義が変わったので名目は変わったが参観授業内容は同じで、これからの抱負や将来なりたい職業を順番で発表でした。女子はなりたい職業が、看護師、歌手、ネイリストなど女の子らしい職業で、男子はプロ野球選手、消防士、ユーチューバー、のんびりしたいので農業などが続きました。息子の番が近づきさてどんな職業につきたいのだろうと期待いっぱいです。小学1年生のころはPTAの時に廊下に全学年のなりたい職業が張られていましたが息子は弁護士になりたいと書いてあり、1年生らしくない職業だと思いましたが思い当たる節もありました。長女に妻が注意するとすぐに言い訳の反論が返され、そのやり取りの反論に窮した妻はいつも最後に「そんなに言い訳うまいなら将来弁護士になったら?」。これをいつも聞いていた幼い息子は自然に弁護士になりたいと小学生用の六法書を読んだりしていました。今は全く読書せずにゲームで友人と会話して時間つぶす日々なので、どんな職業を考えているのか発表を期待していました。息子の発表の番になり、「将来は、人にやさしい人間になりたいと思います」。ただ一人だけ将来の職業を言わずにあいまいな表現だったので,私は心の中でずっこけました。最後にみんなが読みあげたげた原稿を親に渡すのですが、表紙にイラストで菅官房長官が令和の年号も掲げたような絵で「感謝」と書いたイラストだったので、今はどんな職業かわからない正直な気持ちなのもしょうがないなと納得しました。

 この4年生の最後のPTAというのは厄介な問題がある。6年生の時のPTA会長は、5年生の副会長がなるのだが、5年生の副会長は4年生の最後のPTAで決まるのだ。中学だったら中一の最後のPTAだ。それまでに、PTA副会長になってもいいよという人がいれば何も問題はないのだが、いないとその選出方法などもめぐって大いにもめてなかなか決まらず、その時の話し合いが決裂してじゃんけんで決める場合もあるようだ。私は過去に長女の時に苦い経験がある。長女が中学1年の最後のPTAの時の学年懇談で、学年委員長が司会で「PTA副会長になりたい人はいませんか?」皆はしーーーーんと静まり返る。「それでは、○○さんのお父さんが良いと思う人は拍手してください」そこで役員によるまばらな拍手が響きわたり、私はPTA副会長になってしまった。副会長になっても、会長が仕事で出れないと私がかわりに入学式の祝辞をやったりで大変だったのだ。今回は授業参観が終わった後に親子で窓ふき奉仕作業で、終わりかけのころに私は忍者のように気配を消して、そーーーと帰宅し、その後の副会長を決める学年懇談の場から消え去ったのであった。