寧化、清流、帰化、(寧化県も清流県もまた帰化県も)
路隘林深苔滑。  (道が狭く、森が深く、青苔が滑々ではあるが)
今日向何方、   (今日はどこへ)
直指武夷山下。  (武夷山の下なのさ)
山下山下、    (山下山下、江西の方が広いから)
風展紅旗如画。  (風で赤旗は画の如きになるのさ)

 

 

創作の背景:

  1929年、蒋桂戦争が爆発したことで、毛沢東は主力紅軍を率いて福建省に入って、閩西革命根拠地を拡大した。そのとき、紅四軍軍部に軍建の原則や根拠地の建設などに意見分岐が生じたことで、その年の6月に、毛沢東が紅四軍のトップの座から下ろされた。三ヶ月後、共産党中央は紅四軍の誤りを発見。そして、毛沢東は、11月に、紅四軍に戻り、トップの座に復帰した。

  1929年12月、毛沢東は、あの著名な「古田会議」を取り仕切り、起草した《党内にある錯誤思想の是正について》の案が採決され、紅軍とともに革命根拠地の強固と発展ができた。

  閩西革命根拠地の壮大に恐れた国民党当局は、江西省と福建省及び広東省の軍隊を集めて根拠地へ「三省会剿」に出た。これに対し、毛沢東は、地方武装を闘争に残し、主力紅軍を武夷山の西の江西省へ戦略移動のことを決めた。

  1930年元日、毛沢東部隊は古田から出発し、寧化、清流、帰化を通って西へ行軍。この詩はこの行軍の途中に出来上がった。

  この愉快な心境で綴られた詩から、毛沢東の革命勝利への自信振りと胸襟の雄大さが読み取れる。