Le Sake Naturel
これでも日本酒。
ワイナリーが醸す日本酒。
ちょっと色々書きたい事があり過ぎで逆に書けない!
美味しい。バランス絶妙。そして酒造りの姿勢が本当にすごい。
これは友人にあげる事に。
これも日本酒。
今度イベントに出るDJの子にあげた。で、その子からはそのイベントまでの間にテンション上がるようなMIXCDを作ってもらい物々交換。日本酒あげたら喜んでくれて、BPM違いで三枚も作ってくれる事に。ダブステップやらジャングルやらドラムンベースやら色々入れてくれそう。やった!楽しみ。
お互い得意な分野で相手が喜びそうなイイトコ突いてる物をチョイスして物々交換って何かいいっしょ。
話は戻ってさっきの日本酒のお話。最後に地酒サンマートさんよりコピペ。小布施ワイナリーさん、熱いっす。
1867年、舟問屋を営んでいた曽我家は、地元に愛された当時の代表銘柄「泉瀧(いずみたき)」を造る小さな清酒蔵を創業します。しかし昭和17年、第二次世界大戦が激しくなるにつれこ米不足が深刻となり、75年続いた「小布施蔵」は国策によって廃業を余儀なくされます。そして、家業を失った曽我市之丞氏は、やむなくワイン造りをはじめます。これが、小布施ワイナリーの始まりです。
戦後の苦しい中でのワイン造りは大変辛かったそうですが、戦中・戦後に曽我家の家計を支えたのが「農業とワイン造り」でした。しかし、市之丞氏は自分の代で家業である「清酒造り」を廃業させたことに責任を感じ、戦後「自分の眼の黒いうちに必ず清酒作りを復活させる」が彼の口癖となったのです。
それ以降、市之丞氏は国税局を始めとするお役所の壮絶なお百度参りが始まります。役所参りにはお役人さんに顔を覚えてもらえるようモーニング姿だったそうです。時が経ち、「またモーニングのおっちゃんがきてるよ」とお役人に言われるようになった昭和37年、当時として異例の清酒製造免許の復活が果たされたのです。
しかし、清酒免許が復活したといっても既に浮かれている時代ではありませんでした。20年のブランクがあり、すでにお得意様はなくなっていたのでした。そこで清酒造りを支えてくれたのが「ワイン造り」でした。
曽我氏は、「美味しいワインを造るんだから日本酒造りを辞めたらどうか」とよく言われるそうですが、時代に翻弄されてきた複雑な蔵の歴史、繋げることの難しさ、小布施ワイナリーのアイデンティティーといえる市之丞氏の情熱で復権した日本酒造りを休業することはありえないと言います。
自ら「趣味の酒造り」と公言するほどの少量限定生産にて採算を意識せず、全商品に長野県産「美山錦」のみを用いて、日本酒造りは農業という考えの下、酒のテロワールというブルゴーニュワイン的思想をストイックに追求した日本酒は、もはや趣味の酒造りの範疇を超え、珠玉の酒へと昇華されつつあります。
たとえ製造量が少なくとも、利益が出なくとも、市之丞氏の高い志を継いだ同志は、子々孫々ワインと日本酒を造り続けています。
男ってこういうストーリーに弱いんです。カッコイイぜ!
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