前回、

自分には嫉妬心がないという話をしました。




そこで自分に嫉妬心がなくなった原因を

考えてみたところ、

40歳になる頃に、すこし閃きました。



ときは遡って1993年頃、

横浜ランドマークタワー、

レインボーブリッジも開通した年です。虹


その頃の私は幼稚園生でした。歩く


自分が5歳になった頃の

雨が降っていた日を、

よく覚えています。



雷の音とともに、頭の中がスッキリと柔らかく、

ガラリと他人のものに変わった日がありました。真顔



大人と恋愛関係を持った日です。

これが自分の嫉妬心をなくした原因の1つです。真顔


性愛も入っていたのでしょう。

しかし相手は見ず知らずの他人、既婚者です。

どこに帰るのか、もはや同じ街に住んでいるのかも、

なにもわかりません。


嫉妬したら、なにかワガママを言ったら、

終わる関係です。

とても危険な安全地帯でした。



大人に一生懸命、助けを求めた結果の出来事でした。



親役割をしてくれる人がいない中、

一緒に暮らす大人たちには毎日、毎日、

否定や罵倒をされていました。


家の中で走ることも、

笑うこともできませんでした。


動いたら怒鳴られるので

じっとしていることだけが

褒められる唯一の方法でした。




その5歳児にできることは

他人のオトナに助けを求め、

抱きしめてもらうことでした。


そして私からあげられる全てを、

対価として他人へ渡すことでした。



嫉妬心をもったら成り立たない、

あきらめながら、ほしいものを

一生懸命もらいにいく、

そして自分も対価を渡す、



そんな関係をたくさん持ち、

5歳なりのネットワークをつくって

命を繋ぎとめていました。



親は今も、この事実に気づいていません。


本来ならば

親から無償でもらえるかもしれない何か……。


自分はその何かを他人から、

対価と引き換えにもらっていました。



まだつづくと思います。泣き笑い



ところで今年は毎月、台風が日本に来ていますねキョロキョロ

ちなみに……1月から8月まで毎月台風が発生しているのは、1951年からの統計では1965年・2015年・今年2026年の3回だけです。めずらしい年ですキョロキョロ雷傘台風




















自分には昔から嫉妬心がありませんでした。


人と恋愛関係になったとしても

「あの子と話さないで不満」と思ったことも、

怒ることもありませんでした。


この話をする度に、

愛情が深い人だと言われることも、

ありましたが、しかし実態は、

全くそうではありません。


何かあったときに相手を許し

包み込んでいるのではなく

そもそも発想がないので

愛情が浅い・深いという話ではないのでした。



逆を言えば、

私が誰とどこでなにをしていようと、

相手が怒るなんて発想すらないという、

相手の心が分からない人ということです。


罪悪感をもちながら

他の人とロマンスしちゃおうかなかに座

(いつの時代のことば泣き笑い)という

そんな罪悪感の発想がありません。



これで10代、20代の頃は

とても困りました。

相手の気持ちを分かろうと懸命に

考えこんだ結果、

食べられなくなり栄養失調で

病床に伏したことも……。

けっこう深刻に2ヶ月ほど寝込んでいました。ネガティブ魂が抜ける




________



人に付き合おうと言われ、付き合えたものの、

なぜか他の人の話を楽しそうにしてしまった日には

相手が怒っている……?

自分には何が起きているのか全く分かりません。



なぜ怒ってるの?

から始まり、

これが嫉妬という感情なのかと

知ることができ、

こういうことをされたら相手はこう思う

というゴールに達するまで、

15年ほどかかりました。(長すぎ!!)



歳をとるにつれて、

嫉妬心を司る脳機能の部分が

機能してない……?とも思ったのですが、


過去をよくよく思い出したところ

原因は、あっけなく特定されました。

しかし既に2026年……

自分は40歳近くになっておりました。トナカイ馬


嫉妬心が分からないという壁に直面し、

壁を登れず何度も挑戦し始めたのは2001年。ヘビ


なので、25年目にしてやっとでした。



その原因は1993年に起きた、

とある出来事でした。鳥



つづく





デラウェアと輸入キウイの季節🥝🍇爆笑














ちょっと悩みがあって…泣き笑い



さっそくですが、

私はこのブログに

自分のことを書いていきたいな…と

思っています。


そして書きたい内容は2つございます。


まず1つ目は今の生活についてです。

そして2つ目は、実家での話(過去の話)です。



なぜ書きたいのかというと、

単純に頭の中をアウトプットしたいという

ワガママな思いがあるからです。


それに加え、

過去の話については

読んだ人が、なんらかの共感のような、

安心感のようなものを

得てくれたら、嬉しいなぁなんて、

おこがましいことを考えています。泣き笑いアセアセ



過去の話は、暗くてヒドイ話です。


しかし私と同じ年代の方々には、

共感してくれる人も多い気がするのです。

なので、書きたいと思っています。


さっそく暗い話なのですが、

ちなみに私自身の親は、

毒親どころではありません。

私は、加害者なのだと思っています。


子どもである私は、戸籍上の親を、

まさか加害者だなんて

思いたくなかったので

こうなってしまったことに

悲しい気持ちで、いっぱいです。


その加害者と20年間、成人するまで

暮らしていた話を

アメブロに書こうかなと…。


学生時代、家庭内での出来事は

他者には全く気づかれませんでした。

そして気付かぬ大人達が、

学生である私にどんな言葉をかけてきたのか…

そんなことを書きたいなぁと…。



きっとここをフォローしてくださっている方の中にも、

誰にも気づかれずひとりで耐えてこられた方がいるんじゃないかなと、、勝手に感じています。

共感も、たくさん、生まれてくれるんじゃないかなと…。



___________



私はもう40近い年齢です。

そして虐待の後遺症は成人してから

ずっと残っており、

それは障害者手帳をゲットできるレベルに

なっていました。




ところで凝視…

話は戻るのですが、

(話が長くてゴメンなさいm(._.)m)


そんな自分語りをしているブログ見て

誰が楽しめるのだろうと

思ってしまう自分がいます。



ヨガや料理、メイク、ヒーリング、

占い、お買い物ブログ、このあたりなどを

出来ればいいのですが…

やる気が全く起きなくて…

相当な気合いを入れればできるかもしれませんが…


AIに、バズるブログを作ってもらえばいいことなんて

頭では分かってるのですが…

今やりたいことは、AIも何も使わない、

エゴのカタマリになりそうな

自分語りなんです。


しかし、なんだか情けないというか、

モヤモヤするというか。

何度も同じこと書いてる!



私が赤裸々に語ったところで

誰が幸せになるんだろう、

そんなもの誰も聞きたくないはずだ、

とも感じています。

(しつこい笑)



_____


このアメブロでは以前、

家族の日常を語っていました。


しかし私の編集画面に並んでいる

幸せなタイトルの数々を見返して、

嫌な気持ちになってしまったんです。



なんだか自慢日記みたいだ………



嫌気がさし、

急にパタリとやめてしまいました。タラー



アメブロの世界では

幸せな家族ブログ、買い物ブログ、

そのあたりが人気です。


だから私は、幸せな家族ブログを書いてました。


でもなんだか嫌な気持ちになってしまって。




しかし、やはり自分のことを

書きたいかもしれない。



すみません、

オチはなくてここで終わりです。



見たいよというコメントがほしくて構ってほしくて、

書いてみたという、

ウシシニヤリ😈という、気持ちは、ございません…



ただ、誰が見るんだ私のブログなんか…

魂が抜けるネガティブ


と思い書けずにいた、私のエゴの第1歩といいますか、

とにかくアウトプットをしました。


ただそれだけなのですが、

ここまで読んでくださり、

本当にありがとうございました。




こちらは先日うかがった、湯島天神です。


皆さんそれぞれが希望するご利益が、

たくさんたくさん降り注ぎますようにおねがいスタースター

ご本殿の写真をどうぞうさぎのぬいぐるみ




では、では。





























いつもはクールな夫ですが…ニコニコ








デートのときは

手をつないでくれます🤲ニコニコ



ずっと手を繋ぐのは

つかれさせちゃうかなと思い

距離をあけて

ついていったのですが歩く



この日は3時間くらい

つないでくれていました🤲




これからは

家族との思い出を

てきとうに、書き綴って

いこうかなと思います…zzz花















先日

夫の前で、実家での20年間の

暴力がフラッシュバックショボーンガーン

してしまいましたぐすん



そのとき

冷たく無視されず




座れるところさがそうウインクびっくりマークと

やさしく声をかけてくれました🤲





目に見えないツラさを

理解してくれるのは

とても嬉しいです驚き










本日は、

和歌山県にある高野山の、

奥の院までの道のりの記録です龍


神社仏閣めぐりがお好きな人には

ぜひオススメしたいスポットです歩く⛩

 

 

 

下記は御廟前雪の結晶キラキラ

 夜はあかりがつきますね…おやすみ流れ星


 

 

雨の日ならではの

味もあります…雲傘

 

 

 

 


一の橋から御廟前までは

徒歩20分ほど。

ずっと上記のような、

木々に囲まれた風景がつづきます🌲🌲



すこしショートカットしたい場合は

「奥の院バス停」あたりからスタートします歩く

徒歩13分で到着しますしし座



頭上には背の高い木々が茂っておりますやしの木


 

 

 

 


夜も歩けますが、少し暗めです🌃💦


 

 

 

 

 


たくさん歩いた後に見えてくる、

奥の院横の休憩所には

冬はストーブがついていますもみじ晴れ⛄️

大きなヤカンに入った熱いお茶もありますお茶

 

 



標高約1000メートル地点ですが、

冬の風は弱く雪が降っていても

凍えそうなくらい寒い不安という感覚は

自分は、なかったです黄色い花🤔


むしろあたたかく感じる日が多かったですね…コスモス黄色い花

 

 




ではでは…奥の院の道のりの、ブログでしたニコニコ











 

私は会話がない実家で育ちました。


父の一方的な

ディベート大会ならあるんですけど

(ジャイアンのリサイタルカラオケみたいだなぁ…)

会話はありませんでした。



私は、いつも

母からの冷たい否定言葉と

父からの熱い否定言葉で育ち、

黙ることだけを覚えました。


私が全然喋らないので

学校の先生達から

発達障害かな?と疑われたのですが


本人と話してみたら

ちがうかも?となり、

ずっと普通学級にいました。


(※自分は自閉症気質かもしれないし

違うかもしれない。

グレーゾーンかもしれないです。)




今思えば私は

特殊学級にいても、

普通学級でも、

どちらでも

安心できれば

どちらでも良かったと思います。



私自身は

普通学級か特殊学級かは、

気にしない性格でした。



というか

何も気にできないくらい

家庭が悲惨だったから…かも。


本人が幸せならどこにいてもいいって

思っていました。


とにかく炎家庭が戦場炎のようで

何も考えられませんでした。


勉強できる環境なんて無かったです。

ないのに勉強しろと毎回怒鳴られました。

せめて優しく言ってほしかった……魂が抜ける




両親が怖すぎて、

生きるのに必死すぎて

何も考えられない学生時代でした。




私にとっての安全基地は

どこにもなくてネガティブ


私に構ってくれる先生達や、

ホステスしていた頃に出会ったお客様達と

一緒に夜を過ごしたりしていました。



でもその人たちといるときも

セックスしないといけないよね真顔と思いつつ

一緒にいたので、

精神的におかしくなり、不正出血だらけ。



完全な安心はありませんでした。



でも、そんな私に今できることって、

こういう環境で育った人達のキモチを

代弁することかな?ぐすんショックと

最近思ったりしてます。

おこがましいですね。





私と似た環境で育った人達には、

特に、

幸せでいてほしい。です。



こんな感じで

穏やかにいてほしいです。





今夜も、このブログに

たどり着いて

ご縁をいただけた、

あなたの幸せを願います。うさぎのぬいぐるみ花花



いつもありがとう⸜🌷︎⸝‍ございます。








私が人生で

後悔してることは、

たったひとつだけで、


学生時代に

実家から逃げなかったことですネガティブ



父親は

絵を描くなと怒鳴りつけるしムキー


母親は冷たく

画家なんて死んでから売れるんだよニコニコ

と言うだけ。



そんな私は大人になって

気づいたら画家になっていました。



この人生で1番、よかったことは

親の言うことを聞かなかったこと。




この世で1番、

私を応援せず

私を病気にさせたのは

両親でしたネガティブ不安



何歳からでも遅くないから

自分のココロが本当に求めていることを

みんなにも

していってほしいなと思って

生きています。