たまたまこのコロナ禍に、私は人生最大の危機を経験しました。
この”危機“の内容は、生きて生活してりゃいつかは降りかかる予想可能な危機であり、今後も繰り返されたり別内容の危機に”最大の~“はどんどん更新されていくと思います(それが普通に人生)。
しかしあまりに突然であったため、今回の危機のために一旦世界が灰色となりさまざまな熱狂つまりエンタメ系煩悩は吹き飛びました。
己のエンタメ関連忘備録であるこの呑気ブログも“すっかり忘れ去った必要のない場所”でしたが、公演パンフレットや日々消えてなくなる己のたよりない記憶以外にどうしても残しておきたい事項がある為、約1年ぶりくらいにここに来た。
「キオスク」 ←クリックしてね
作:ローベルト・ゼーターラー 翻訳:酒寄 進一 演出:石丸 さち子
兵庫県立芸術文化センター・キューブ 共同制作
ジャニーズJr卒 林翔太氏主演!
しかも演劇!!
しかも兵庫県立芸術文化センターというパブリックな組織による企画!!!
しかも私がすっかり慣れ親しんだ兵庫県立芸術文化センター中ホールにて初日!!!!
そしてなんと 大空ゆうひさんと同じ舞台上で共演!!!!!
こんな日が来ようとは 嗚呼このような日が時が来ようとは・・(泣)。
ファン活動 信じて応援すれば 報われる。
報われすぎましたよ、ありがとう、ほんまに。
演劇は宝塚やミュージカルと違い大団円で終わってくれるものとそうでないものがあり、戦争が背景にあると後味がしんどいものが多く、内戦が背景にあれば鑑賞中ずーっと吐きそうにしんどかったりもする。
でも、舞台上で名優が役を演じるなかで、生身の人間からこそ感じる熱量の他に、その俳優なればこそにじみ出るものや生じる神秘のようなものを感じるのが好きで細々と鑑賞を続けており、歌の力を借りてない分残り方が違う点でも演劇が好きだ。
第二次世界大戦前 ナチスドイツが侵入しつつあるオーストリアが舞台。
オーストリアの湖のある田舎から母知人の営むキオスクでの修行就職目的にウィーンに出てきたばかりの17歳の青年を演じる林君は、もはや演劇青年だった。
声量があり滑舌がいいと言う強みでストレートプレイにおいて問題無しどころかその世界の人かと思った。
故に私は応援目線を早々に忘れ普通の姿勢で演劇鑑賞してしまいました。
ほぼ出ずっぱりであったと思うが膨大な台詞量であったし、役柄的にも、母の元を離れ、都会の喧騒に急にさらされ、女子への憧れとムラムラになやまされ、修羅場を経験した父的な大人から発せられる言葉を吸収し、仕事や手順を学び、キオスクに訪れるさまざまな大人の世界をしり、新聞からもっと広い世界を知り、間接的なようで直接的な精神分析学者の言葉の迷宮をさまよったり着地したり、しかも土台は政情不安定かつ不条理な民族浄化の暴力にもさらされ、大切な人々との別れと怒りと悲しみがあり、生き急ぐように生きた証を残す。
それらを “普通の少年“を介し喜んだり泣いたり殴られて転げまわったり、2時間強に凝集して表現するってなんか想像を絶する相当なエネルギーを要しそう。
シリアスな作品で林君は錚々たる舞台俳優の面々に囲まれエネルギーを以て舞台上でその役をキラリンッとめっちゃしっかり生きぬいてはりました。
短くもキラリンっと光るほとばしる生命という役割を立派に担っておられました。
うう・・ご立派になられて・・
ご家族様やファンの皆さまにおかれましては本当に誇らしいでしょう。
キラキラ舞台で労力を観ている者に意識させず幸せお届けパフォーマンスを繰り広げることも十分すぎるほど立派であると思うが、演劇作品では表現する物に”普遍性“が追加されたような気がして益々楽しみです。
私は当分密空間を控えねばならず(職場令)遠征は出来ませんが、次なるご出演作品も大阪公演あり、有難い事です。
*前述のとおり 早々に応援目線を忘れ普通の姿勢で演劇鑑賞してしまったため、私の目線はどうしても大空ゆうひさんにくぎ付けになりました。
アンナ・フロイト、娼婦、切符売り、キャバレーのウェイトレス?など、計8役で登場されましたが、一寸たりとも“素”のでない緊張がありながら静謐な独特の佇まいは舞台芸術そのもので、フロイト博士の娘として窓の向こうにたたずむお姿は絵画かと思いました。
筋肉隆々のメタル氏にS女衣装でまたがる姿もそちら系芸術でかっこよく男役か!と思いました。
役名には“つかれた男”とありますがナチス系警察らしいハットとコートを着用された大空さんの左顔側面が仄暗い空間で淡く光るさまは究極の横顔芸術で、只者でない人はじっとしていてもなんかすごいとしか言いようがなく美しかったです。
公演パンフレットより 稽古風景と座談会写真は マスクマスクマスク