旅写真貼り付けのついで、私しか喜ばない回顧写真です。
連日ニュースでその名が飛び交う、今世界の有名人がおられる国レバノンの、20年+α前のmy国外逃亡の思い出写真。
しかし面白くないの。
当時貧乏旅でフィルムも少ししか持参しなったため今のデジタル写真のように撮り放題ではない上 内戦終結後のレバノンで怪しまれて捕まったらどうしようという心配から、普通の街並みとか人は撮れなかった。
ゆえに観光要所のへたっぴーな写真しか残っていない。
シリアのアレッポから長距離バスに乗り陸路で国境越えをしました。
国境ではシリアあるいはレバノンの国民はIDカードのチェックのみでバスを降車せずに国境越えができるようだが、日本人の私はそうはいかないようで、その辺は慣れたバスの運転手さんがささーっと入国管理所まで導いてくださいました。
狭い施設内はすさまじくごった返しており、しかし私の入国手続きが済まないとバスを出発できないので、運転手氏は怒号飛び交う人込みをかき分けかき分けたぶん順番抜かし、どこから見ても怪しくない素人旅行者の私はさっさと手続きが済みました。
この運転手氏がおられなかったら私は国境越えできていたんだろか?
でっかい銃を肩から下げた警察(?)から “ようこそレバノンへ”っぽいことを言っていただいたが、当方相当顔引きつりました。
ぼんやり景色を見ながら シリアで水が合わず腹壊しっぱなし、半飢餓状態の私は、ベイルート随一の日本食レストランへ行くことで頭いっぱい。
とにかくコメが食いたい!!
当地では高級レストランという位置づけのようだったので少しはましな服装で行きました。
割烹着を着た日本人女性店主は内戦前からずっとベイルート在住。
私は何も質問しませんでしたが、「日本から来た人にいろいろ話をすることに疲れてしまった」と述べながらも、 内戦中は銃撃で窓ガラスが割れてもお金のある人はすぐ修繕、 店主は親族をいったん日本へ帰したものの、そのご親族は「自転車でこけても誰も助けてくれないような冷たい国に居続けるのは嫌だ」と内戦真っただ中のベイルートに戻ってきた話や、 当地のお偉いさんのご子息が店内で銃を触っていて暴発し脳外傷を負い、“その道の権威”である脳外科医が手術をして一命をとりとめ、脳外科医は「手術は成功した!」と豪語するが意識は戻らず、「治らないのに何が権威よ、ねえ?」なんて話を聞かせてくれはりました。
住宅の多い地区
ぼんやり街歩き、よく見ると廃墟
よく観ると銃痕
曇天の日の地中海は青くなくて残念
遺跡とマンション群
海沿いの遺跡
ベカー高原の 遺跡 バールベック
バッカス神殿
六本大列柱
また訪れることは・・・ ないだろうなあ。