むかし 20円くらい握り締め 駄菓子屋さんに いったっけなあ

だけど 小心者の わたしは 男の子がお店の中にいると入ることができず そのままお家にかえってしまった


6歳まで ひとりっこだったため 気が小さかったの・・(●´ω`●)ゞエヘヘ


なのに 今はぜんぜん平気


小さい頃 引っ込み思案でも心配することはありませんね

人は変わるものです はい

今日 お友達夫婦と ヤキモチの話になった

ワタシの友達は まったくヤキモチをやかない

ワタシは ヤキモチ焼き


友人のダンナサマが「二人を足しで 2で割ったらちょうどいいかなあ?」

なんておっしゃった。が。。

「2で割っても 人並みはずれてると思うよw」と友人


やきもち焼くほど ダンナに興味がないなんて ふざけていう友人に

「俺が嫁さんのことを 好きで一緒になったから 、 嫁さんといると 俺が 幸せだからいいんだ」

(*ノωノ)  キャ

なかなかいえませんよねえ・・。


(゜ーÅ) ホロリ

「ワタシのキモチは関係なし」なんて いう友人とダンナサマとの いい笑顔

たまりませんわあ *:.。☆..。.(´∀`人)


こちらのご夫婦 いつもお手手つないでお買い物♪

憧れのご夫婦なんです (。-_-。)ポッ



元旦 そして 数日の間 友人からの年賀状が届いた

年賀状で楽しみな ご家族の写真つきのモノ

賛否両論あるかもしれないけれど 私は 好き


どんどん成長していくお子さんの写真

旦那様は すごくおじさんになっているのに 友人はあいかわらず若かったり


今年は 喪中の友人が多かったなぁ・・

私たちの年代になると 子供の成長とともに 子育ては手がかからなくなったものの

両親の介護などで 忙しくなる人もいる

学生時代に 挨拶をした 友人の親御さんが 他界したと聞いたとき とても辛い


子どもたちは 成長し 親は老いて そして 自分も 年をとる・・・・

今のままでずっと・・なんてありえないんだよなあ・・・・・・・・・・・・・


わたし コモが4人おります

とっても 頼もしく頼りにな存在です

だけど たまぁに 家事に追われているときなど


私ひとりだったら こんなに部屋が汚れないよな・・

私ひとりだったら もっと きらくなんだろうな・・・・


なんて愚痴めいたことを 頭の中で つぶやきそして すぐに訂正する


私 一人だったら 部屋を綺麗にしようと思わないかも

私ひとりだったら 淋しいだろう・・・・・・


母になった 年齢が若かったから 経験できなかった 遊びやあやまちもあっただろう

だけど

母になった 年齢が若かったから 親でしか 味わえないうれしさや 夢もみれたんだろう



だけど最近 いちばん可愛がっている 末っ子が そろそろ親離れ・・・

これが 一番かなしいのかなあ

これが ここ数日の倦怠感の モトなのかもしれないわ・・・・・・・・・・・

最初の結婚は 20歳
初めて迎える お正月・・『主婦の友』などの雑誌をみて お正月準備をしたものだった・・。

御節もつくるぞ~と 張り切って レシピ片手に 悪戦苦闘・・。
しか~し・・
好き嫌いの激しい夫だったため 何一つ手につけず
(好き嫌いというより まずそうだったのか?w)

夫の実家にいってまず 新年のご挨拶。
御節を食べて お雑煮を食べて・・お腹一杯

そして 私の実家へ挨拶。
やっぱり 実家の煮物はおいしいわあ・・
これぞ お袋の味。
いつしか これと同じものを つくるわよ♪p(´∇`)q ファイトォ~♪
と いきごんでみたものの かれこれ20年以上過ぎてしまった・・。

御節は 実家で食べるものと いつしか 考え方も変わり・・


昔と違って スーパーも元旦から 開かれているし 沢山食材を買っておかなければいけないってこともなくなったしね・・・。
今日は 離婚して 5回目の12月12日・・。
まだ5年しかたってないのか・・と 思ったり もう5年たったのか・・と思ったり・。

今の生活に いっぱいいっぱいで 昔のことを思い出すときは 結構いい思い出ばかりだったりするけれど 5年前の 今日あたりから 大変な毎日だったなあ・・・。


前もって 記入してあった 離婚届。
保証人の記入がまだだったため 20日以降に 市役所に届けるはずを 強行突破で 保証人を 友人に頼み そのまま市役所に 出しにいいってしまった私。

市役所の帰りがけ それを みかけた 元 ダンナから 電話があり
「もしかして 届けだしてきた?」
「ウ・・ ウン(・_・)」


15日に引越しをしてから 届けを出すといっていたのに 同居しているうちに出したのが気に入らなかったのか・・・不機嫌の絶頂


どうせ 届けを書いたんだから いつだしたっていいじゃないと 思う私。
一人で 勝手に行った と怒っていたダンナ・・。
もう終ってしまったというのに 18年も 連れ添っていると 一家の主 何事も相談されてきた側としては 納得いかなかったようで・・。


12年12月12日
ぞろ目だったため この日にしようと思っただけ。
へんだけど・・。

数日して芸能ニュースで 発表されていたけど 松田聖子さんも この日に離婚していましたな・・。
(松田聖子さんは 占いで同じ星)


その日の市役所は 記念日にするには 思い出しやすいためか カップルが ずら~~り


そんな 中で ぽつんと 一人のわたし。
市役所の窓口のかたが

「あのこれ離婚届けで 間違いないですか?」
と わざわざ 確認をしてきた
「はいそうです・・」



わたしも こんな風に 二人で 婚姻届を出しにきたかったなあ
18年前 仕事がぬけられなくて 私一人で だしにきたっけなあ・・・


ニコニコ顔のカップル達を 横目にいろいろなことを思い出していたっけ・・。
こんなに 幸せそうだって  離婚しちゃうカップルも中にはいるのだろうなあ・・
なんて 悪いことを考えたりして おいおい


離婚という 紙切れ一枚のことだけど 結婚よりもパワーが必要で 


子供を ひきとる側の 書類の多いこと・・。
4人分の 子供の学校への届けやら 市役所への届けやら
住民票 戸籍謄本の移動・・・
新しい 仕事の研修会
それに 引越しもあるのだから もうてんてこ舞い・・。
もう二度と結婚なんてしない って思った日だったなあ・・。



いろいろなことがあったけど 時間というのは ありがたいもので
今では 普通に子供達の父親とも 会話ができる。

どんなに 仕事で疲れていても 帰りが遅かったお休みの日でも 末っ子の野球は 毎週のように観戦にきている 。
お母さん方から 遠く離れた 片隅で そっと見守るその姿は やはり 父親だなあ・・・

と 思ったりする。

5年前の夏 私が外の世界に目を向けたりしなければ 理想の家族の形のままでいられたのかもしれないな・・。
いろんなことをしたい 性格が 5年前に炸裂しなければね・・。


しょ~がない・・ こういう性格だったんだから・・。
イマドキの お風呂は いいですねえ

ポチッとボタンを押せば 温度調節も 湯量調節も ぴたっと決まっていて
「お風呂が沸きました♪」
なんて お姉さんの声がお知らせしてくれる。


私の 小さい頃は そんな調節がありませんでしたから 
水を出しっぱなしにして あふれてしまったり 
追い炊きしてお湯が 熱すぎたり 
そうかと思えば  上のほうだけ 熱く 入ってみたら下のほうが ぬるくて
{{(>∇<)}} サッム


文明の利器に感謝 (^人^)
「え~~~~そんな大きなお子さんが居るんですかッ??」

この言葉だけが 私の喜び・・。ヾ(--;)ぉぃぉぃ

人生設計では20歳で結婚し 24才で子供を産み上げ 若いお母さんといわれることが目標だった。。
(なんとまぁ・・)

周りの 大人の人たちから
「遊びたい時期だろうに えらいわねえ」
なんて いわれたり・・。


「(*゜・゜)ンッ? 遊び? 遊びってどんな?」

世間知らずというかなんというか・・。
子供と ダンナと ダンナの親達と 毎日仕事をして 帰宅して 家事をして・・。
そんな 毎日だった20代・・。
子煩悩のダンナと 子供達とお出かけしたりできたから 別に つまらないなんて 思ったことはなかった。

高校3年の終わり頃に知り合った 彼氏が 子供達の父親なのだけれど とってもヤキモチ焼きでした。
私が 高校卒業後 会社勤めを始めてからの 夜遊びも 付き合いだからと 出かけることを・・ 
ブッブー!!( ̄▽ ̄)乂 バツ!!
束縛って奴ですかぁ・・?

私も変わっていたのか 若かったのか 惚れていたのか 従順に 彼氏に従っておりました。二人して 結婚願望が強かったため せっせと貯金をして 20歳でゴールイン。
予定通り 子供も 24才までに 3人授かり 目標どおりになりそうだ♪と 順風満帆。。27歳で おうちも買って とっても幸せだったあ・・・。

私って 誰かに 必要とされていたり 一生懸命していることをほめられたりする事に 喜びを感じ 自分より頑張っている人をみると もっと頑張ろう♪って 思う 負けず嫌いな性格・・。

30歳くらいになると 子供達から それほど必要とされなくなり 淋しくなる・・。
そして ダンナと向き合ったとき なんだか 子供が小さい頃って 力を合わせようって 気持ちがわくけど 二人きりだと 間が持たない・・。
一緒に 映画にいったり 食事にいったりして 若い頃 遊ばなかった 埋め合わせを したけれど 別に それほど楽しくない・・。


そんなころ 4番目のベビーちゃんを授かり また 二人 力を合わせて子育て開始。
またまた 賑やかな 私の生活が始まった。
そうは いっても 4人子供が いたら それはそれは お金がかかります。
ダンナの実家の仕事を 手伝いつつ ちょこっとバイトもしたりして がちゃがちゃ 動いていた。 

夫婦生活18年・・・
子育てで 意気投合していた二人が また 末っ子の 小学校入学あたりから  二人の時間が増えてくる・・。
んー・・・なんだか 話がかみ合わない・・。

なんだか 淋しい・・ つまらない・・。

そんな頃 いろいろなことが重なって ダンナの会社の手伝いを辞め 外の仕事を始めようとした私。
親と一緒に過ごしてきたダンナ 両親のこと 会社のことを すごく大切にする人だった。
それは すごく当たり前のことで それがあるからこそ 私達家族だって 幸せに過ごせていたのに ・・・ なんだか 淋しく感じてしまった。

結局 話し合えば話し合うほど 考え方が 違うとか 悪いほうに話が進み離婚・・。



若いお母さんは 実現しているけれど 子供達 こんな 母親でごねんね・・
それは37年前・・・

小学校に上がる前ランドセルと学習机 入学式のお洋服のパンフレットが ポストの中に入っていた。
当時は 今ほど主婦向けの雑誌やインテリアの雑誌などあまりなかったのではないかな・・。
(雑誌などを購入する母ではなかったから お家になかっただけかなあ・・。

昔から 夢見る少女だった 私は そのパンフレットを眺めては 自分のお部屋のイメージを作り上げていた。
投函されていた 学習机をみて
(   ̄ ̄ ̄ ̄  ▽   ̄ ̄ ̄ ̄   ) 。 o 0 ○ ぽわわわわ~~~ん

しかし 現実問題として 4畳半の部屋に 二段ベットもあり オルガン(ピアノではないところが 泣)もおいてあるので 机の置くスペースなんて到底ない・・。

せめて イメージの中だけでもと 毎日 毎日 パンフレットを眺めて ぼーっっとしていた。


私の父は 物作りがダイスキで いろんなものを作ってくれた。
机が必要だと思った父は ライティングデスクを作ってくれた。
オルガンが ライティングデスクの 下に入るように設計されていて 机をあげれば オルガンの練習ができるというシロモノ。
狭い部屋に 私の机ができた。

今だったら 
「すご~ぃ お父さん♪ 夢がかなったぁ♪アリがトゥ♪」
と いえるのだろうけれど・・・
私のイメージしていた 机は 当時 流行っていたスチール製の机・・。
いすも背もたれがついていて できればくるくる回るタイプが欲しかった・・・。


それでも 自分の机ができて ランドセルをかけるところがあって 本棚も着いているから ダイスキな本を並べて うっとりしていた。


それから 毎日 毎日 何をするわけでもなく 机にすわって 自分の世界に入っていた。

母いわく『小学生時代の あなたはいつも勉強をしていたわねえ・・』

いえいえ 勉強しているのではなくて 机の前で 空想の世界にはいっていただけなんだけど。
(●´∀`●)ゝポリポリ