自分がなぜこのような形で文書に綴ろうと思ったのか、まったくわからないが人生談を書き連ねていこうと思う。
人生談というと大げさなので自分がふと思ったこと、現状について吐き出したいと思う。
ある程度裕福な家庭に生まれ育って、そこそこの職に就き、何不自由のない生活を送っているが、私には決定的な何かを失っている。
失うという言い方より、得ることができなかったというべきだろうか。
私には家族愛というものが存在しない。あるのかもしれないが、それはものすごく薄っぺらいものだと思う。
生まれてきてから祖母、母、兄の4人で生活してきた。父親は私の物心つくときから単身赴任で家にはいなかった。
母親は比較的やりたいことは何でもやらしてくれた。すべて自己責任という肩書の中であるが。祖母は口うるさかったが、あまり言うことを聞かなかった。兄とは仲は良くいい話し相手だった。これが私の家庭であり私の常識だった。
父親は10年以上家に帰ってきてないだろう。その前もおそらく半年、もしくは一年に数回帰ってきたかどうか。
このような家庭に生まれてきたが、周りの人と比べて劣等感を感じることはなかった。
今になって気がついたが、私の家庭はすべて個人プレイの家庭であった。
社会に出て上司の家庭の話や友達との会話で耳にする家族とはかけ離れていた。
ここで自分の家は間違っていたと感じていれば今の私を生み出すことはなかっただろう。
私は家庭の事情で言い訳をする人間がとことん嫌いな性格である。理由はどの家庭でも不満の一つは存在するからである。
俺の大小は客観的に見れるものではなく、個人が受け止める解釈、物差しによってきまる。たとえどんな環境下にあろうが苦悩はだれでも存在する。それに打ち勝てなかった人間が、言い訳をするのが私の解釈である。
私は自分の生まれ育った環境に対して不満はなかったし、言い訳をすることはなかった。
だがある程度大人になったときに大事な何かが欠落していると感じた。
それは恐らく家族愛だろうと感じた。実家暮らしだがここ半年家族としゃべるどころか、すべて外食で顔を合わせていない。
むしろ避けているのではないかとも感じている。
自分でも何を言っているかわからないが、全く話がまとまらない。
ただこのモヤモヤを吐き出さないと気が済まなかった。
このままでいいのだろうか。家族が死んだときに涙は出るのだろうか。それすらも感じなくなってしまうだろうか。
今はただただ自分が怖い。
いつの間にか物事を損得や天秤に諮っているのではないか。人間としての何かを失い始めているような気がした。
わからないがこのまま時がたつといつの日か後悔する時が訪れるのだろうか。いや、後悔できるのならばマシなのか。
私は家庭よりも仕事を優先した父親に聞いてみたいことがある。
「なぜ結婚をし、なぜ子供を産んだのか」 と。