今日、2度目の「君たちはどう生きるか」を観に劇場へ足を運んだ。月曜夜のレイトショーは閑散としていた。




宮崎駿氏が伝えたい事は、私には分からない。

でも、やはり映画の世界に強く惹き込まれた。




最終の映画が終わり、誰も居ない映画館の長い廊下を足早に歩く。平日の夜とは言え、誰とも出会わない。スタッフさえもいなかった。




カツカツカツ…私の足音だけが、静かな劇場の廊下に響いた。この大きな建物に、まるで私1人しか居ないみたいだ。




映画を観た高揚感や浮遊感がまだ私を包み込み、私は異世界へ迷い混んだような不思議な気持ちでいた。




いつも通りに車に乗り込む。パタンっと車のドアを静かに閉め、エンジンをかける。いつもと何も変わらない動作。



23時を回った月曜日の夜の街は、車も少なく静かだ。

車は滑らかに夜の国道を進む。20年乗り続けている愛車は、まるで私の意識と繋がっているようで、ボンネットから後ろのバンパーまで、私は正確にその位置と感覚を捉えていた。




私がハンドルを握っているのだから当然だが、車は私の意図を正確に理解しボディへ伝え、まるで私たちは一つの体になったように走っている。




長年車を運転してるのに、不意に私はまるで初めて車に乗っているような、不思議な感覚に襲われた。車を運転している私の内部から、着ぐるみの内側に居る本体が覗いてるような感じだ。


自分で運転しているのに、何故こんなに平然とこのような乗り物を当たり前のように操っているのだろう・・・そんな疑問が頭をよぎる。




狭くて四角い箱の空間に、リラックスして座っていると、箱がスーッと水平に移動してゆく。

何だろう…この感じ。当たり前なのに、変な違和感を覚える。街の看板の明かりや街灯はどんどん近づいては通り過ぎてゆく。






テラタイプ、ヒューマンIII、地球時代の事が急に生々しく蘇る。あの頃は全ての記憶をリセットして人間という体験に没入していた。



今私が操縦しているのは人間時間で言えば300年ほど乗り続けているだろうか…。かなり旧式のスターシップになる。最新の機能は付いていないが、私の意図を完璧に理解し正確に希望の座標に位置してくれる私の愛車だ。




スターシップには、操縦桿などは付いていない。

私がただリラックスして、意識をクリアに集中し保つだけだ。とにかく意識はクリアでなければいけない。

シリアスの意識が入ってきた。このスターシップは旧式なので、あと2回は座標を飛び直す必要があるだろう。



星々の煌めきが、顔の半分はある私のグリーンの瞳の端を流星のように加速して通り過ぎた。






静かなマンションに帰り着いた。駐車場は、殆どの人が帰宅して埋まっていた。

私の駐車スペースに滑り込む。まだ何となく映画の高揚感が抜けきれず、私は主人公 眞人になり切ったように、冒険者のような気分でいた。




車をゆっくり降りて駐車場を横切りマンションの入り口へ向かう。


ザクザクとコンクリに少し小石が乗り若干ザラついた靴音が響く。靴音やパソコンを入力する音、そんな乾いた音が私は大好きだ。

アニメのサウンドエフェクトも素晴らしかったな…と私は映画を振り返りながら、自分の足音をうっとりと聞く。


僅かだが、足が着地する時と足音がズレて聞こえるのは、きっとまだ映画の余韻が残っているのだろう。




エレベーターの自宅の階を押す。いつもより、少しだけ早く扉が閉まった。ちょっぴり胸がざわめく。エレベーター内のスチールのペンキは、最近塗り変えられたように白く輝いているが、私には塗り変え工事が行われた記憶がない。ポケットに入れている家の鍵をギュッと握り直した。



家の扉を開けた時、そこは何処の世界の我が家なのだろうか…。




おわり