Freedman Lab's PRIDE Blog

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慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)デイビッド・フリードマン研究会のLGBTブログ

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 ぼくにとって、この一年はとても長いものだった。「ぼく」だなんて一人称はとてもくすぐったくて普段使うことなど滅多にないものだが、公的に他者と対峙する「私」でもなく、私的に他者と対峙する「俺」でもない、自分自身と対峙する「ぼく」の物語として、読んでほしい。

 ぼくは、女の身体という殻につつまれて生まれてきた。その殻は中からいくらつついても、壊れてはくれなかった。「人は見た目が9割」と誰が言ったか知らないが、人はぼくを「ぼく」ではなく、殻のついた人間として見た。両親が、ぼくが生まれたときに立派なラベルを、丁寧に貼ってくれた。いわゆる名前ってやつだ。これがまた厄介で、世界中のどこでも、女であることを証明するような名前だった。

この一年がなぜぼくにとってとても長いものになったかというと、他人の力を借りながらではあるけれども、その殻を取り去る作業をおおかた終わらせることに成功したからだ。物理的には、いわゆるホルモン療法と性別適合手術。20133月にホルモン療法をはじめた。その後、殻に貼りついたラベルもはがしたけれど、ベタベタは残った。ぼく自身にとっても、20年と少しの間付き合ってきたそのラベルに愛着がないといったらウソになるし、昔からの知り合いはやっぱりラベルの存在を知っているから。それに、戸籍とかいう紙の上にも、ラベルを貼り替えたという表記は今も残っている。

20139月には性別適合手術を受けた。「性別適合」なんて笑っちゃう名前だが、「性別が『適合』してなくて、させたいと思ってる人もヨノナカにはいるんだな」、ぐらいの気持ちでいてくれたらうれしい。これは簡単に言うと、いわゆる性転換手術っていうやつだ。11月には戸籍上も男になった。

これで一応、殻を取り去る作業は一応のところ終了した。紙の上でももうほぼ完全に男だし、しかも大学を出たら男として働くことが決まっている。殻につつまれて生まれてきた人間としては恵まれていると思うし、ぼく自身も必死に頑張ったからできたことだと思う。

殻に入ってる間は、いつだって一人だった。そりゃ家族だって友達だっていたし(むしろ多いほうだ)、大学では恋人だってできた。それでも、ぼくはいつも殻の中でうずくまりながら、泣いていた。殻はとても分厚くて堅く思えた。殻の中で、ぼくは一生懸命にもがいた。頭の中で、一人でぐるぐる考えるのは当然として、たくさんのセクシュアルマイノリティといわれる人にも会った。ネットで出会った自分と同じような人や、大きな団体を率いているオトナ、本当に様々な人たちだった。もちろん、インターネット上の情報や、刊行されている書籍は、日本語のものでも英語のものでも、貪るように集めた。海外のプライドパレードにも行った。そんな試行錯誤を繰り返して得た答えは、「ここはぼくの居場所ではない」というものだった。知れば知るほど、早く殻を脱ぎ捨てて外の世界に出て、「自由」を手に入れたくなった。そして結局、ぼくは戸籍の変更まで行き着いた。

この一年間はずっと、暗闇の中を全力疾走しているようなものだったと思う。その先には光が見えていたような気がする。でも、実際にはその光は幻想だった。殻を破って外に出て、そりゃあ自由になった。人はぼくを「殻のついた人間」とは見ないし、ぼくだってもう、殻ってどんなものだったっけな、と思っているぐらいだ。でも、殻は破れても、薄皮が残った。そんなこと、殻につつまれている時のぼくは想像していなかった。今でもぼくは、その薄皮を通してしか世界を見ることができない。たいていの人には、その薄皮は見えないみたいなんだけど、それが見えやしないか、とびくびくしてしまう。そんな薄皮だ。

まだまだ先は長いけど、大変な人生だったな、と思う。他の20代と違って、ぼくは産声を上げてからまだ少ししかたっていない。月並みすぎる表現だけど、これからを思うと期待と不安が入り混じった複雑な気分だ。

でもこれだけははっきり言える。ぼくが何者であるかを決めるのは、他の誰でもない、ぼく自身だ。それがわかっただけでも、試行錯誤は価値のあるものだった。だから、殻を一生懸命破ったぼく自身を、ぼくは誇りに思う。

20141月吉日