今春から計画はあったのだが、さまざまな理由で頓挫してしまっていた。廃線というと地形的にもスピリチャル的にもハザードの多いところは珍しくない。が、今回は多摩地区郊外の立川~拝島間の廃線を詳細にみたい。

 

 

 

 

 新調したSHIMANO WH-RS-500(旧アルテグラ)のホイールの小手調べにもちょうど良い。スタートは立川駅。カリカリカリ・・・と硬質なラチェット音を立てて走る。正直純正に対し、音も立てずに静かに近づくニンジャみたいなホイールを想像していただけにちょっと意外だった。響かせるタイプだ。

 

 

 

 

ネットでは5km速くなったと書かれている。まあ期待し過ぎは禁物だが、確かに上のギアを切り替えずともミズシマシのように進んで行く。特に坂になると矢鱈と挑んで来る若人のクロスバイクを軽く一蹴出来る。緩い上り坂だと漕がずとも登っていってしまう。何と言う推進力だろう・・・。

 

勿論、それだけではない。ペダルも女性の指一本で難無くクルクル回るMKS・シルバンツーリングネクストを装備しているのも大きいだろう。 

 

■戦前の五日市線のルートは違っていた■

 

 JR五日市線は現在、青梅線直通で拝島から単線で武蔵五日市駅に向かうが、大正14(1925)~昭和19(1944)年までは立川⇔拝島間は青梅線とは別の路線を走っていた。五日市線は私鉄の五日市鉄道が建設したものである。1930年に立川 - 拝島 - 武蔵五日市 - 武蔵岩井間が全通し、立川 - 拝島間では青梅電気鉄道(現在の青梅線)と完全に並行していた。1940年に南武鉄道に合併され、同社の五日市線となったが、1944年に南武鉄道が戦時買収により国有化され、本路線も国有鉄道五日市線となった。その際、青梅線と並行する立川 - 拝島間は不要不急線として休止され、戦後復活することはなかった。ただし、立川 - 武蔵上ノ原と、旧・南武鉄道の武蔵上ノ原 - 西立川間は現在も南武線・中央本線下り線(立川駅南側)との連絡線(青梅短絡線)として利用されている。駅そのものは廃止されているが。

 

 立川駅 (0.0km) - 武蔵上ノ原駅 (0.8km) - 郷地駅 (2.1km) - 武蔵福島駅 (2.8km) - 南中神駅 (3.5km) - 宮沢停留場 (4.5km) - 大神駅 (5.1km) - 武蔵田中駅 (5.5km) - 南拝島駅 (6.6km) - 拝島駅 (8.1km) 

 

 今回その廃線跡をポタリングしてみたい。実は廃線と言いつつ唯一現在も流用されているのが立川→武蔵上ノ原駅間である。駅は勿論無いが、東京始発の青梅行は立川を出ると青梅線の線路は使わないで途中までは旧五日市鉄道を使う。この線路は青梅第三線とも言い、渡り線である。高架下を中央線が通る。その上にどうやら武蔵上ノ原駅があったらしい。廃線というと怖いところも少なくないが、多摩地区の住宅地を縫って走る路線だからどなたでも十分行ける。

 

■旧五鉄の線路跡を我々は走っている■

 

 この日は最高気温が37℃と予想されており、殆ど無風状態なのでちょうど良かった。このような日にロングライドは避けた方が良い。8時半ごろJR立川駅南口、多摩都市モノレール立川南駅をスタートする。

 

 

 旧五日市鉄道は立川駅を出発すると、青梅線の渡り線(青梅第三線ともいう)を途中まで使う。そこは流石に自転車では入れないので、暫くは江戸街道を進む。鏡花というラーメン屋近くのコインパーキングでバナジウム天然水を買う。

 

 既にこの時間でも歩行者、自転車共に背中は汗びっしょりの人が多い。予報通りの猛暑日である。ということで、リュックは背負わず、オルトリーヴのサドルバッグ、ドイターのウエストバッグを使い、背中を開けておいた。さしものドイターのフューチュラのリュックでもこれだけ暑いと伍していくのは無理だと思う。

 

 

▲ドイター・フューチュラ28。背中とリュック本体の間に網をかませて空気の通りを良くしているが、猛暑日はこれでも結構きつい。

 

 青梅第三線が見えて来る。なだらかな坂の頂上に信号があり、その下は中央線。中央線を跨いでいるあたりが武蔵上ノ原駅だったという。

 

 

▲西立川駅方面を臨む。東京始発の青梅線・五日市線のみこの路線を使う。それ以外は貨物列車だけ。

 

 青梅第三線はこのまま西立川駅に向かう(下の写真)。五日市鉄道は江戸街道を走っていたと聞いている。が、このあたりは往時の面影はない。暫し江戸街道を走る。江戸街道は東京都には数多い。この地域を走っている江戸街道だが、西は拝島駅前、東は国立の郵政大学前までに区切られる。

 

 それにしても自転車の信号無視、チャリ・スマホ、逆走が多い。

 

 中央線のオーバーパスからはなだらかな急坂。この先の信号とその次の信号は変わるのが早いので注意。小学校が近いからだろう。

 

 道は大きくなだらかに曲がっているが、富士見町一丁目を過ぎたあたりから直線に。このあたりも元鉄道の跡であることを思わせる。

 

 次回は住宅地にある廃線跡を辿ります。最後までご覧頂きありがとうございました。(続く)