フリー・チャーチ

フリー・チャーチ

   あなたの頑張り、我慢、そして涙を
  イエスさまはご存じですよ。

   フリー・チャーチは「イエスさまを信じている」
   「イエスさまを信じたい」という思いだけで結ばれた、
   励まし合いの場所です。

キリスト教界の中には、戦争のことにおいてもイスラエルやトランプ大統領を支持される方々もおられます。私も牧師のはしくれゆえ、その方々がどのような論理でそうされるかもよく承知しておりますが、私自身はそのことは支持しません。ただ、どうするかは各自の自由ですから、それについての論議もいたしません。

 

イスラエル支持の教会には、日本の教会でも教会の中にイスラエルの国旗が掲げられている教会もありますが、イエスさまの話を聞きたいと思ってキリスト教会に来られた方がその国旗を見られたらどう感じるのでしょうか。普通の感覚では異様に見えるはずです。いろいろな考え方の人たちがいらっしゃるので、中にはびっくりしてUターンして帰ってしまうかもしれません。なぜそうなのかを説明されても分からないことでしょう。もちろん全ての方がそうではないとは思います。

 

神学校卒業以来ずっと開拓伝道をして来た私としては、もう少し配慮があってもよいのではないかなぁと、そういう光景を見ていて正直思います。

実は私はこの日本国と日の丸が好きなので、教会に日の丸を掲げたいのですが、やめています(笑)

聖書には「集まったりすることをやめないで…」と書いてあり、そこから「皆さん、日曜日の教会の礼拝会やその他の集会も休まないようにしましょう」と牧師さんが説教されることもあります。別にそれでも良いのですが、それではあまりにも偏狭なメッセージではないかとも思います。それは牧師の論理、教会の論理側から発せられるメッセージだと思います。本当に大切なのは、そのことばの後に書いてある「互いに励まし合いましょう」という文節の方でしょう。その集まりに「励まし」があるかどうかこそが大切なのだと思いますよ。

 

私は、今は他の教会で説教することはあまり好みません。他の教会に入ったとたんに、なにやら冷たい風が吹いていることを感じることも過去にあったからです。もちろん全てがそうではありませんよ。

私は態度はデカいのですが実に繊細な男なので(笑)、「ああ、牧師さんとこの方はどうも仲が悪いのだろうな」「ああこの人たちとこっちの人たちは仲が悪いのだろうなぁ」と察してしまって気分が悪くなる時もあったのです。『教会の中でぐらい仲良くしてよ』と思ってしまいます。

 

私は、今の自分の教会が居心地が良いのです。それで他所に行きたくないというのもあるかな。私はあまり外食を好みません。それは何故なら家で妻が作ってくれる食事が一番美味しいからです。それと同じかな。

 

 

とにもかくも、これからはギスギスした組織としての「教会」よりも、ごく少人数でもよいから「励まし合いの場」という「教会」が至る所に派生するといいなぁと思っています。

 

キリスト信仰というものは、悔い改めてイエスさまを信じたらそれで救われる…という実に単純明快なものです。救われるのに他の条件はありません。

 

ただキリスト教会によっては、イエスさまを信じて洗礼を受ける際に「イエスさまを信じますか?」という質問以外に「全収入の1/10は献金しますか?」という質問もされるところもあるそうです。そりゃあ洗礼を受けたい人は「はい」と言う以外ないでしょうけど。キリスト教界には、キリスト教の歴史の中で生まれた「1/10献金」という制度を取り入れている教会もあり、取り入れていない教会もあります。

 

うちの教会の場合は、1/10献金の要請は行っていません。献金というものは、イエスさまによって救われた者が自ら進んで、喜んで捧げるものです。上から数字を掲げて強要されるものであっては絶対にいけません。私は皆さんの自主的な献金によって活動させていただいており、感謝しています。

 

 

さてそこで、これはクリスチャンはキリスト教会に通えるのがベストという前提において書くお話です。誤解なきようにまず書いておきます。

今、ひょっとすると教会に通っているクリスチャンよりも、諸事情で教会に通えていないクリスチャンの方が多い気がします。

 

その方々に、私はこう言いたいのです。けっして教会に行けていないことで卑下したり、恥じたりすることなく、その場でイエスさまの話を周りの方々にしてあげたら、それでよいと思います。そのいわば自由な立場でリラックスして話されるイエスさまの話を聞いてイエスさまを信じる方々がいらっしゃると思います。「教会に行かなくても、お金を出さなくても救われるのなら、私もイエスさまを信じたい」「なんか組織に属したくないけど、イエスさまを信じたい」という方々もたくさんいらっしゃると思います。イエスさまは教会の外にもいらっしゃいます。

もしそういう方が洗礼を受けたいと言われたら、私が飛んでいきますよ。献金の要求なんかしません。また牧師さんの話が聞いてみたいとおっしゃるならそれも私が飛んで行きますよ。

 

この投稿は「教会」に集まることの大切さや必要性、また「献金」等を否定する投稿では全くありません。

使徒パウロという人は頑固で友達が少なかっただけではなくて、あまり頭も良くなかったのだと思います。なぜかというと、本当に頭の良い人というのは、どんなに難しい事柄も人々に分かりやすく説明できる人のことだからです。聖書に収められているパウロの手紙は実に分かりにくい。あの使徒ペテロでさえ「パウロの手紙は分かりにくく、その結果、的外れな解釈をする人たちもいる」(第二ペテロの手紙3:16)と嘆いています。また、パウロは話し方も下手だったようです。本人もそれを認めています。いいとこないじゃん(笑)

しかし、それでも命がけで伝道してくれた使徒パウロのおかげでイエスさまの話が世界中に広がって行ったのです。今私がイエスさまを信じているのも使徒パウロのおかげです。神さまのなさることは不思議なことですね。

※ああ、天国に行ったらパウロから体育館の裏に呼び出されて「お前なぁ…」と説教されそうだ(笑)

パウロさん、大好きですよ!

NHK朝のドラマ小説「風 薫る」。この3人組がしている十字架、なんか欲しい(笑) 
それにしてもこの泣き虫牧師さんも、
また直美に理不尽ないじわるをした男に対して「その男、ろくな死にかたしません」と憤る(笑)女性宣教師さんも、ジワジワといい味出しているわあ。