「まあいっか」と「先延ばし」とサヨナラしたら、欲しい未来が手に入る

「まあいっか」と「先延ばし」とサヨナラしたら、欲しい未来が手に入る

人生は思っているほど長くないですよ。先延ばし体質から卒業すれば、不安や悩みもみるみる解消。

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昔の人は、どうしてこんなにも言い得て妙なことばをたくさん残しているのでしょう。


「病は気から」という昔からのことわざも、その一つ。


今日も(また)べっぴんさんからのお話です。

 

身体を気づかう旦那さんの気持ちを痛いほどわかるから
仕事を辞めた親友の君枝ちゃん、
お店に出られなくなったら病気は一層悪くなってしまいました。


大事な人だから守りたい
大切な人だから心配する

 

旦那さんの昭一は君枝ちゃんのことが大切だからこそ、
彼女の身体を気遣い仕事を辞めて欲しいと願う。

 

その気持ちに嘘いつわり、他意はなく、
その人のためを思ってこそなのですが

 

結果的に仕事を取り上げられ、
君枝ちゃんは気落ちして希望を失ってしまう

 

君枝ちゃん自身も、
仕事が自分の生きる希望になっていることにうすうす気づきながらも
大好きで大切な旦那さんが自分を気づかってくれる気持ちを
嬉しい、ありがたいと思うが故に仕事を辞めて欲しいという希望を受け入れてしまう


お互い相手のことを大切に思い
思うからこそ、その気持ちに応えようとする。

 

どちらも悪くはないんです
責められない

 

 

でも現実は、
身体も「別に良くなったっていいことないならこのままでいいか」
と治癒力が落ち、病気が悪化してしまう。


いたたまれません。
むしろ恐ろしい。

 

相手のためと思ってやったことが、かえって仇になっている。

 

そして、

 

それほど心と体は繋がっているんだ、と思い知らされる。


会社員だったころ、
一緒に仕事したくない人がいたり、
行き詰まっている案件のブレイクスルーになるようなアイディアが出なくて唸っているような時、微妙に体調が悪くなること、しばしばありました。

 

「会社いやいや病」と名づけていましたが
これ以上的確に表している名前はないと今でも思います。


「このまま熱でも出せば都合のいい理由ができて会社行かなくてすむよなー」
と子供みたいなことを考えて、熱出ろー熱出ろーと念じてみたり。

アホか(笑なんですが、その瞬間はけっこう真剣


会社員を辞めてから、
なんとなく気だるい」
なんとなく調子が悪い」

ってのがなくなったのに気づきました。
熱が出るとか、お腹が痛くて動けないとか物理的に本当にしんどいことはあっても
「なんとなく」「微妙に」体調が悪い、という気分性のものは一切なくなったのは不思議と言っちゃ不思議です。

体調が悪いという言い訳を作りたくなる場面はほとんどなくなったせいでしょう。

 

んで。


今の自分は、自分の過去の選択・決断が作っている

ってここにも当てはまってます。

 

パターン1


行きたくない(*)

いけるような良い状態でない方がいい

よくなりたくない

よくならない

 

 

パターン2

 

行きたい先がない(*)

いけるような良い状態にする必要がない

よくならなくてもいい

よくならない

 

 

(*)の選択が「よくならない」という結果を招いている。

 

 

 

心と体は繋がっていること、忘れないでおきましょう。

 

 


今日もべっぴんさんからのお届けです。

 

 

変わりたい、変わろうとしている
一歩踏み出したい、一歩踏み出そうとしている

 

そんな場面にいる人にとって

 

実感がとても湧きやすい場面が続いています。


思いだけではうまくいく世の中ではないけど
思いがないとそれはそれでうまくいかんやろ

 

という一言を発して、”あの”明美が手伝うと言います。

 

 

(続けて見ていないと"あの"の意味が伝わらないと思うので、補足)
「明美」という子は、主人公すみれの家で働いていたマツという女中の娘で、
母娘二人で貧しい暮らしだったことから、お金持ちに対して敵意を持っており、
すみれのことも「何不自由なく育った、世間知らずのお嬢さん」とよく思っていないという背景があります。およそ協力してくれそうになかったので、”あの”。

 

 

また、体も弱いし、義母にも反対されているし、と

商売にはとても消極的だった親友の君枝も

おもい悩んだ末に「一緒にやりたい」と自ら言いに来ました。

 

 

すみれに対して好感情を全く持っていなかった明美

 

いろんな理由をつけて、がまんを続けてきて、
自分にたくさんの足かせをつけて、

がんじがらめになっていた君枝


この二人を動かしたもの、すみれの「想い」「思い」

 

 

なぜ「強い思い」は人を動かすんでしょうか?

 

 

人が動く理由をまず考えてみましょう。

 

いろんな理由で人は動きますが、

突き詰めると一つの感情に集約されます。

 

「やりたい」。

 

これだけ。

 

そんなことない。

もっと客観的に冷静に、総合的な判断で行動することだってある?!

 

それはそれで、間違いじゃないでしょう。
でもその「客観的で冷静で、総合的な判断」を

もっともっと突き詰めていくと

やっぱり

 

「やりたい」

に行き着いてしまいます。

 

 

絶対にバレない犯罪があったとして、
それで一生暮らせるだけのお金が手に入るとします。

 

やりますか?

(中にはやるっていう人もいるでしょう、オレオレ詐欺とかなくならないし。捕まってるけど)


たいていは「やらない」。


だって積極的に犯罪なんて「したくない」

 

 

ではこれはどうでしょう?


はたから見て条件的にとてもいい結婚相手がいます。
相手は熱烈に求婚してくれている。

 

でも全く好きじゃない。

一緒にいて楽しい、幸せなイメージが全く浮かばない。

 

 

結婚しない、でしょ。

 

 

やっぱり「やりたくない」ことは「やらない」のです。

 

 

「やりたい」と思うから「やる」


でこの「やりたい」という感情が生まれるのは「心」。

 

想いはこの心に直接響き、届くのです。
 

だから人を動かす。

 

 

言い訳をする”あたま”に対して、

”こころ”が「だってやりたいんだもん」と言い切ってしまうと
”あたま”はもう何の反論もできません。

 

理屈じゃないから。

ロジックで論破はできない。

 

この一言がみごとにこれを物語っています。

 

「しゃあないな」

 

 

こちらもやりたいけど私には……と葛藤していたもう一人の親友、
良子の、完璧な一言です。

 

これを言わせれば、勝ち。


 

 

「ほんとはね、

 やりたくてやりたくて、仕方がなかったの。

 絶対に素敵なドレスができるって思ったから

 

 

そういうきみちゃんの目には力がこもり

表情が輝いているんですね。

 

 

今日の「べっぴんさん」です。

 

 

欲しい未来、より良い未来がクリアにイメージできたとき、

人は動きたくて動きたくてしかたなくなる、

 

のお手本のようなシーンでした。

 

そのとき三人の口からほぼ同時に出る言葉が

 

「楽しいなぁ……」

 

 

忘れていた

諦めていた

 

ときが経つのを忘れるほど楽しくて没頭できること

 

をしている人を目の前にすると

こっちまでうれしく、楽しい気分になってきます。

 

 

熱量は伝播する。昨日のこちらもぜひどうぞ。


 

 

「べっぴんさん」が暗い、という評判があるそうですね。
個人的にはとっても面白いと思っています。

 


先週から、主人公のすみれはなんとか自分の得意の手芸・裁縫を生かしてお金を得ようともがいています。

 

その中で気づいた点をいくつか。


きっと喜んでもらえる、そして買ってもらえる、と

作った小物は「贅沢品」として買ってもらえなかったけど、

そこでの出会いから女学校時代の親友に再会できた。

 

→ 自分の「あたりまえ」は人の「あたりまえとは違うことを

  「作って人に商品として紹介」したことで初めて分かった。

 

→ 「売ってみる」という行動が、新しい出会いにつながり、

  そこから旧友との再会という縁が再びつながった。

 

 

「動いてみて初めてわかること」を身をもって体験したすみれ。

 

 

 

自分が思いつくものは贅沢品で、それにお金を出す人はいないのだ

とわかった時はショックで落ち込んだけど、

「なら、何にならお金を出してもらえるだろう?」と考えて

「子供のもの」という考えが生まれた。

 

→ 自分が小さい子の母親なので「この子のためなら」と思うのと同じように

  他のお母さんだって「わが子のため」なら財布を開けて

  お金を出してくれるだろう。と自分で考えるようになった。

 

 

「フィードバックから自分で考える」ことを経験したすみれ。

 

 

二人の親友に、「自分で作ったものを売ってお金を稼げるようになりたい」と力強く語った時、二人が賛同して一緒にやろうという言葉を期待していたけど、二人はそうは言ってくれなかった。きみちゃんの義母に至っては「うちのきみえを商売に引っ張りこまないでほしい」とストレートにクギを刺してくる始末。

 

 

 

→ すでに一歩を踏み出しかかっているすみれと、

  まだ慣れ親しんだ古い世界にいて、

  変化を拒む旧友の二人。


「動くと景色が変わる」ことを経験しているすみれ。

 

 

今日は、一度はえらい剣幕で追い返されたアメリカ人の妊婦に

「この子が大きくなってもずっと大切にできるドレスを作ってほしい」

と注文を受けたすみれ。

 

悩みに悩んだ末に、

大好きなお母さまの形見で自分も結婚式の時に着た

たいせつな大切なウエディングドレスで作ることを決め、

それを手伝ってほしいと二人に頼みに行きました。

 

「これを作るの」と限定したのと、

すみれの心からの熱い思いが二人を動かし、

二人は協力すると答えます。

 

 

→ 小さく限定すると、協力も得やすくなる。

 

→ 人の強い情熱は他人に伝播し、人を動かす。

 

 

ほんと面白く学べます。
こういうポイントのストーリーへの織り込み方そのものも。

 

 

進んでる感がないとイライラする。

 

というお話。

 

もう一つの具体例で考えてみましょう。

 

 

渋 滞

 

 

事故渋滞だ、とわかってもノロノロ状態が変わらなければ

イライラは消えないけど、

 

動き出したら、イライラは消えます。

 

こっちの方がわかりやすかったかな(^^

 

 

想像してみてください。

 

朝8時半、通勤ラッシュの時間帯。

あなたが乗っている山手線が急に止まったら?

 

どんな反応をしますか?

どう思いますか?

 

 

「お急ぎのところたいへん申し訳ございません」

というアナウンスが即座に流れても、

みんなのイライラを和らげるのには全く役に立たず、

車内にじわじわと広がるイライラの空気。

 

 

「なんで止まったんだろう?」とたいていは思いますよね。

 

会社に「遅れます」と連絡するにも

単に「電車が止まった」よりも

「信号故障で止まった」といったほうが

説得的で、嘘ついてるんじゃないよという雰囲気が出せるからでしょうか(笑

 

 

ではここでクイズです。

次のどちらのアナウンスが流れると

車内で缶ヅメのあなたのイライラは小さくなるでしょうか?

 

 

1) 原因は信号故障とわかりました。

   現在復旧に努めていますので、しばらくお待ちください。

 

2) 原因は信号故障とわかりました。

   あと5分で復旧の予定ですので、しばらくお待ちください。

 

 

 

はい、どっち?

 

 

 

 

 

私なら2)です。

たぶんあなたもそうだろうと思うのですが、どうでしょう?

 

 

原因はわかっても、復旧までの時間がわからないのでは、

今いちばんの関心事の「いつ動くのか」はわからないまま。

 

でも「あと5分」とわかれば、

ネットでニュース読むなり、ゲームするなり、

5分ぐらいすぐ潰せるなと思えます。

 

 

 

じゃあ次、この場合は?

 

 

電車が止まりました。

 

1)ちょうど駅を発車する前で、ドアがまた開いた。

  原因も復旧のめども立っていないが「振替輸送」の案内が流れた。

  振替輸送の路線は、ちょうど会社の近くに駅がある。

2)止まった場所は駅と駅の間だった。

  原因がわかり、復旧までは30分かかるらしい。

  それまでこのまま動かないので車内で待っていてほしいとの

  アナウンスが流れた。

 

 

どちらのイライラ度が高いでしょうか?

 

 

どんな判断・選択・決断をするかにもよりますが、

 

1)の場合は「振替輸送」を使えば、「進む」ことができます。

多少遠回りになるかもしれなくても、

「動く」ことはストレスを減らしてくれます。

 

2)だとどうでしょう?

原因も、いつ動くかもわかったけど、それまでは全く動けないのです。

「進めないこと」は大きなストレスを生みます。

 

 

 

実はこれ、人生のもっと個人的なことにも同じように当てはまります。

 

 

何か計画を立てたとしましょう。

 

例えば、「3ヶ月で百人一首を全部覚える」(なんでこれ?なんででしょうか(笑

約90で100首なので、1日一首覚えればまあいけそうです。

そんな大変でもなさそうな?

 

 

 

その計画について「最近どう?」と聞かれた時、

次の三つの場合であなたの気持ちはどう違うでしょうか?

 

 

1)順調に進んでいて、期限までに完璧に覚えられる確信がある

 

2)順調に進んではいないけど、挽回のめどが立っていて、期限までにはなんとか間に合って覚えられそう

 

3)順調に進んでおらず、挽回策もなく、期限までに全部覚えられそうな気がしない

 

 

 

1の時、

言うまでもなく「上機嫌で」「うんうまくいってるよ」と状況を話せるでしょう。

 

2の時は?

まあまあね、と言いながらも絶望的でもなく、まだリラックスした気分ではないでしょうか。

追い詰められた気分ではないでしょうね。

 

 

3は?

できればその話題は振って欲しくなかった、話題を変えたい。

いろいろ聞かれたら気分が悪い。イライラしてくる。

相手が状況を知りたがるほど「うるさい!」と怒鳴りたくなってきた。

 

 

 

さっきの電車の例と比較してみてください。

 

イライラするのは「進んでない」、そして「進む見込みがない」時。

こんな時「進める」ためのアドバイスをしてくれる人がいたら神か仏に見えますね。

 

 

今度日常の中で「イライラ」が襲ってきた時、

そのイライラをよく観察して欲しいのです。

 

「なぜ」イライラしているのか、という原因探しよりも、

 

そのイライラを「どうしたら取り除けるのか?」ということに注目して。

 

たいてい何かにつっかえて、

「止まっている」「動けない」「逆に進んでいる」ような時にイライラして、

 

「何でそうなったのか」という原因がわかってもそのイライラは消えず、

 

「つっかえていることを進める、動かす」方法がおぼろげでも見えた時、

イライラが軽くなっている。

 

 

ということに気づくはずです。

 

 

じゃあどうしたらいいのか?

 

その「つっかえていることを進める、動かす」方法をまずやってみることです。

 

進めるために動いている、という状態ではイライラは劇的に小さくなります。

 

思い通りに進んでいるとなれば、イライラはきれいさっぱり。

 

 

これ、覚えておいて次のイライラ襲来の時には是非やってみて。

 

これを知っている、というだけであなたの心には小さな「余裕」が生まれます。

 

 

 

 


22年前の今日は、私にとって特別な日でした。
今年はそれから22回目の22日。

同じ数字が並ぶのって、大した意味はなくてもなんとなく気持ちがいいものです。


この日は半年以上かけて準備してきた一大イベントの日。

前日は季節外れの台風が来ていて、大嵐。
お天気はイベントにものすごく影響するので、気が気ではありませんでした。

朝起きてみたら一転、台風一過の快晴。
ほっとしながら慌ただしい1日を始めました。


自分自身もものすごい量の熱量と時間を費やしたし、
周りの助けもたくさんたくさん借りました。

 

あの時の私は「助けて」と「お願い」の塊みたいだった。

「どうしてもこれはこうしたい」
「これでなければダメなので、お願い」

 

たくさんの人が、そのわがままに「しゃーないな」と付き合ってくれた。

 

でもみんな、楽しそうに巻き込まれてくれていたように思います。

私が描いたビジョンは楽しそうで、それにみんな乗ってくれてたんだろうと思います。

 

いっちょかんだろかってww

 

 

当時は全然そんなこと気づいてなかった。
ただ、自分が描いた理想像に少しでも近づけたくて、ただただ必死。

できることは何でもしたし、
自分ができなくても、できる人がいたらためらわずに「お願い、助けて」と言えた。

 

 

ずっとずっと後になって

 

「やり方がわからなくても、欲しい未来がはっきり描けていればそれは手に入る」

 

ということを聞いた時、瞬時に思い出したのはこの時のことでした。

 

あの時、

 

どうやってそれを実現すればいいか、具体的な方法はわからなかったけど
「出来上がりの絵」だけはそれはそれは明確に自分の中にありました。

 

絵が超絶下手な私は、頭の中のイメージを自分の手で描いて示すことができないので
たくさん写真を集めて、ノートに貼って、イメージを形にあらわしていた。

 

頼みごとする時も、打ち合わせの時も、探し物をする時も
いつもいつもそのノートを持ち歩き、相手に見せてイメージを話していた。

 

結果、探し物も、お願いごとも、最終的な全体の仕上がりも、思い描いた通りのものでした。


「欲しい未来を明確にすれば、やり方はわからなくてもいい」

 

の感覚がわからなくなったら、この時のことを思い出すようにしています。

 

自分の中でありありとその時の感情や感覚を思い出すことができ、
あれと同じ感覚になれればいいのだとサンプリングしています。

 


「全力で取りに行ったもの」の経験を思い出してみましょう。


 

受験でも、試合でも、イベントでも、夏休みの宿題の工作でも。

忙しくて忘れてしまっている記憶の中に、埋もれている「狂気」の経験。

 

 

一つでいいのです。
一つ掘り出して、じっくり思い出して全身で追体験してみて。

 

 


ずっとずっと思ってるんですが

 

もっとギスギスしてない世の中になってほしい。


例えば、今年はいろんな人の不倫が多くの人の気に障り、
いろんなメディアで取り上げられ、
いろんな人がいろんなことを言ったり書いたりしていました。

 

ネタを売って商売にしている週刊誌は別として、
いわゆる一般人がこれだけ大騒ぎしたのが、気持ち悪くもあり不思議でした。

 

なんで今年こんな多いのって。

 

有名人の不倫騒動なんて目新しくもないし、
だいいち私たちの日常にどんな影響があるというのでしょう。

 

スキャンダルバージンだった女性タレントの場合は、

話題性が特に強かったのかもしれないけど、

 

それにしても、です。


思うのは

みんなイライラしてるんだな、ということ。


自分自身の身の回りでいろいろ、
思うようにいかないことや、
ストレスがたまることがあると、
誰だってそれから目を背けたくなる気持ちが生じます。それはわかる。

 

ゴシップはそういう現実から目を背けるための格好の材料。
人工甘味料みたいなもの。

一時的にちょっと気を紛らわせてくれる。

 

自分に直接利害関係がないから、

何か言ってもそれが自分に返ってくることはまずないので、気が楽です。

 

だからあれこれ言っちゃう。


でもそのあれこれ言う元になる材料って、

ほとんど「伝聞」で得られた情報です。

二次情報と言ったりもしますが、

 

自分の目や耳で見たり聞いたりしたんじゃなくて
人づてに聞いたり、何かで読んだりした情報。

 

そういう情報は二つの問題を抱えてる。

正確性とフィルターの問題。

 

正確性の問題:それって「ホント」なの?
フィルターの問題:それを書いたり言ったりした人の「フィルター」入ってない?

 

この二つです。

 

ホントかどうか、については、誰かが暴露するとその裏取りをする人が必ずいるので、そのうち「まああれがホントなんだろうな」というあたりに収束することが多いです。

 

たとえ最後までホントのことがわからなかったとしても、そんなことはっきり言ってどうでもいい。
それがホントであれ嘘であれ、私たちに与える影響は大差ないから。

 

 

フィルターの問題は、もうちょっと深刻。

 

誰かのフィルターがかかった情報で感情や行動を操作されてる、と言えるからです。

扇情的な書き方の週刊誌の記事や、それをさらに大げさに盛って騒ぐテレビのワイドショーやネットニュース、ブログやツイートの発言。

 

それにいちいち振り回されていたら、時間はいくらあっても足りないし、
感情もかき乱される。

 

昨日いちいちアップダウンしてたら大変だという話を書いたのですが、それと同じです。
通勤路の変更なら、自分に直接関係あることなので、まだ「アリ」です。
かき乱されてもしょうがない。

 

 

だけど
赤の他人の不倫話を
赤の他人のフィルターで演出された記事で
いちいち感情を乱されてるのって、バカバカしい。

 

それに反応したツイートだったりブログだったりコメントだったりを書くのにも
時間と労力を使っているの、ほんとムダです。

 

こういうムダは、実は自分ではよくわかっているから、
「あー私ムダなことしてる」とどっかで思っているんだけど
目を逸らしたいものが他にあるために、その「あー私ムダなことしてる」は
蓋をされ抑え込まれて、深いところに封印されます。

 

その封印されたやつ、その深いところでグツグツしたまま。

 

これを繰り返すと、グツグツが溜って噴火しちゃう。

 

 

突拍子もない凶行に出たり。

 

情報多すぎるの。
関係ないことまで取り込んでしまって、お腹いっぱい。
そのせいで必要な情報が埋もれてしまったり、やるべきことが押しやられてしまったり。

 

 

自分に関係ないどうでもいいことは、できるだけ遠ざけるに越したことはないの。

 

「断捨離」だってまずは

「外から入ってくるいらないものを断つ」
が一番初めにあるわけだから
情報だって同じようにすれば、ずいぶん気持ち良くなります。


イライラ減らして、ギスギスしない世の中にしようよ。
 

 

 


いつもとは少し違うトーンでお送りします^^

 

 


渋谷駅周辺はここのところずっと工事中です。

 

来月はじめには東京メトロ銀座線の渋谷駅ホームをずらすため、銀座線は数日のあいだ一部折り返し運転するそうです。再開発自体が巨大プロジェクトであることはわかりますが、こんな荒技まで繰り出してくるのは相当です。

 

見えるところも見えないところも、渋谷駅は毎日その姿を少しずつ変えていて、数週間から数ヶ月おきに仮設通路の位置が変わります。そのために、昨日まで通れたところが今日は行き止まり、なんてことは日常茶飯事になっています。


このひんぱんな変化・変更は、この駅を行き交う多くの人を困惑させます。

 

通勤で毎日使う人は、せっかく体が覚えた乗換え経路を数ヶ月ごとに修正しなければならないので大変です。他府県からの、海外からの旅行者が、立ち止まってスマホとにらめっこしてる姿もよく見ます。

 

 

そこらに立っている警備員風のおじちゃんに聞いても、必ず欲しい答えが返ってくるとは限らないので、結局は遠回りしたり右往左往しながら、自力でなんとかするしかないのです。


それほどまでに今の渋谷駅はカオスです。

 

イライラする、ストレスたまる。
でもどうしても渋谷行かなきゃいけない、乗り換えなきゃいけない。


どうする?

どうしたら、イライラせずに、気持ちよく渋谷を通過できるか?

 

課題ができました。

どうしましょうか?

 

例えばね、こう考えてみるのです。

「渋谷駅はドラクエ、今から冒険の旅に出かけるのだ」。


大きなビルや駅を、RPGの「ダンジョン」に例えられることはあります。

 

このときに、

「ふんふん、あるある。確かにね」じゃなくて、

 

リアルにダンジョンを体験するのは自分なのだ、

と自分のこととして考えてみてください。


「乗り換えだからササっと通り抜けよう」と思うから

スムーズに行けないと“つっかえた”気になりイラつくわけで、

 

塔の地下からてっぺんまで、押し寄せる雑魚モンスターを避けながら進んでいくのだと思ってみれば、逆流する多くの人に全くぶつからずにスルスルと上手くかわすための体の使い方を工夫して、結構楽しめたりします。(本当に楽しめます。やってみたから知ってる)

 


“通過点の駅”ではなく「楽しむリアルダンジョン」と別の設定を意識するだけで、

 

「迷った」は「次のステージへの道をさがす」に変わり、

知らないこともわからないことも、宝探し、ワクワクの種になります。

 

 

もちろんね、

 

通勤ルートだぞ。毎日毎日そんなヘラヘラ遊び気分になんてなってられねーよムキー

 

という気持ちはわかります。

 

だけど残念なことに、渋谷駅周辺の工事は長期の巨大ブロジェクトで、すべてのプロジェクトの完成予定は2027年、東京オリンピックが終わった後まだ7年も続くわけです。

 

その変わり続ける間じゅう何年も、わかりやすい案内システムがタイムリーに登場することを期待し続けることは、とってもナンセンス。

そんなできもしないことに期待して、毎回がっかりするのは私たちのエネルギーがもったいない。

 

こんな感じでいちいちアップダウンしてたらたまりません。

 

 

変わらない他人に期待するよりも、自分がちょっと視点を変える方が、はるかにラク。
見える景色も変わり、ストレスも減ります。

 

不思議なことに

こうやって見方を変えると、実際に目に入ってくるものが変わります。
ほ ん と う に。

 

いつも見てたはずなのに気づいていなかった

出口のサインや矢印が目に飛び込んできたり、

 

長くそこにあったけど、自分が知らないだけだった出口が、

雨の日一番濡れないルートだったと気づいたり、

 

焦って「どっちだよ!」と怒りを抱えながら右往左往していた時よりもスムーズにたどり着けてしまったり。

 

 

そんなことが実際に起こるのですね。

 

 

身近なものを、全然違うものとして思い込んでみる。

新しい思い込みは、あなたに新しい景色を見せてくれるというリアルな例でした。

 

やってみるとよーくよーくわかるし、面白いですよ。

 

 

 

 

有名な有名なスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチ

 

 

 

その前半で語られているconnecting the dotsの話は

 

何が将来役に立つかわからない、とも解釈できるし、
「あれなければこれなし」、とも言えます。


「あれがあったから、これにつながった」
「あれがなければ、今の自分はない」

 

と後から過去の出来事を振り返って、

「ああ良かったな」と安心したり、喜んだりします。


これをよく観察してみると、


あの出来事があったから今がある

の後ろに隠れているものがあります。


「あの選択」が
「あの行動」を起こし、
「あの出来事」となって、


回り回って……


「これ」に”結果的に”つながった。

 

出来事の後ろには
「選択」と「行動」がいつもいる。


選択
行動
結果

 

はセットなんですよね。

 

やることが多すぎて、優先順もつけられないほど混乱した時や
やることが多すぎて、現実逃避したくなった時、

 

今まさにやろうとしていることが、どんな結果につながるか
ちょっとイメージしてみてください。

 

自分が望む未来
自分に誇れる姿

 

が見えますか?

だったら大丈夫。

 

 

でももし、

いやーあんなことやらなければよかった(恥
これは望んでない

 

イメージが見えたら、それはやめておきましょう。


できるだけ、いい未来、望む未来につながることをする。

 

これだけ。かんたん^^


そこまで予想できないことももちろんあります。

 

スティーブのカリグラフィーの授業のように、

 

その時は何にどうつながるか、なんて全く予想もつかず、
ただなんとなく面白そうだと思って選んだことが、

 

回り回って何年も経った時に

 

これだ!

 

とつながることもあります。


これとこれ、どっちしようかな〜

何につながるかイメージも浮かばないけど……、という時。

そんなときは、

 

「心が弾むこと」を選びましょう。