昔の人は、どうしてこんなにも言い得て妙なことばをたくさん残しているのでしょう。
「病は気から」という昔からのことわざも、その一つ。
今日も(また)べっぴんさんからのお話です。
身体を気づかう旦那さんの気持ちを痛いほどわかるから
仕事を辞めた親友の君枝ちゃん、
お店に出られなくなったら病気は一層悪くなってしまいました。
大事な人だから守りたい
大切な人だから心配する
旦那さんの昭一は君枝ちゃんのことが大切だからこそ、
彼女の身体を気遣い仕事を辞めて欲しいと願う。
その気持ちに嘘いつわり、他意はなく、
その人のためを思ってこそなのですが
結果的に仕事を取り上げられ、
君枝ちゃんは気落ちして希望を失ってしまう
君枝ちゃん自身も、
仕事が自分の生きる希望になっていることにうすうす気づきながらも
大好きで大切な旦那さんが自分を気づかってくれる気持ちを
嬉しい、ありがたいと思うが故に仕事を辞めて欲しいという希望を受け入れてしまう
お互い相手のことを大切に思い
思うからこそ、その気持ちに応えようとする。
どちらも悪くはないんです
責められない
でも現実は、
身体も「別に良くなったっていいことないならこのままでいいか」
と治癒力が落ち、病気が悪化してしまう。
いたたまれません。
むしろ恐ろしい。
相手のためと思ってやったことが、かえって仇になっている。
そして、
それほど心と体は繋がっているんだ、と思い知らされる。
会社員だったころ、
一緒に仕事したくない人がいたり、
行き詰まっている案件のブレイクスルーになるようなアイディアが出なくて唸っているような時、微妙に体調が悪くなること、しばしばありました。
「会社いやいや病」と名づけていましたが
これ以上的確に表している名前はないと今でも思います。
「このまま熱でも出せば都合のいい理由ができて会社行かなくてすむよなー」
と子供みたいなことを考えて、熱出ろー熱出ろーと念じてみたり。
アホか(笑なんですが、その瞬間はけっこう真剣
会社員を辞めてから、
「なんとなく気だるい」
「なんとなく調子が悪い」
ってのがなくなったのに気づきました。
熱が出るとか、お腹が痛くて動けないとか物理的に本当にしんどいことはあっても
「なんとなく」「微妙に」体調が悪い、という気分性のものは一切なくなったのは不思議と言っちゃ不思議です。
体調が悪いという言い訳を作りたくなる場面はほとんどなくなったせいでしょう。
んで。
今の自分は、自分の過去の選択・決断が作っている
ってここにも当てはまってます。
パターン1
行きたくない(*)
↓
いけるような良い状態でない方がいい
↓
よくなりたくない
↓
よくならない
パターン2
行きたい先がない(*)
↓
いけるような良い状態にする必要がない
↓
よくならなくてもいい
↓
よくならない
(*)の選択が「よくならない」という結果を招いている。
心と体は繋がっていること、忘れないでおきましょう。








