オッフェンバッハの曲であれば、運動会でよくかかるあの曲である。
黒澤明の映画となれば、カバンを燃やせばピンク色の煙が上がるあの作品である。
どちらも緩急の効いた作品だ。
天国と地獄という言葉のイメージは、
小さい頃から、幸せと不幸せ。安穏と危機。
そういう対立構造が頭の中に浮かんでいた。
しかし、どうやら違うな…と思い始めたのは、
大人になってから。
仕事なぞをしだしたら、天国みたいな日もあれば地獄みたいな日もある。毎日毎日その繰り返しだ。なんなら地獄みたいな日が続くこともある。
しかし、この両極の感情に振り回されてたら、身も心も保たない。
この世は「天国or地獄」ではない。
この世は「天国and地獄」。
つまり両者は並列なんだ。
テレビをつければわかる。
ハッピーなニュースとバッドなニュースの応酬。
ハッピーなニュースに対して、バッドなニュース、悲惨なニュースが多過ぎる気もしなくはないが。
天国plus地獄equal今生きている此処。
今生きている此処は、
天国と地獄を内包している。
互いの要素が、自分自身にズンズン干渉してくる。一喜一憂という状態がまさにそうだ。
だからこそ、中道。
あるいは、中庸。
ココロの在り方を、なんとしてでも中庸に持っていく事が必要だろう。ほとけ様の言うとおりだ。
無茶苦茶な犯罪が、有史以前からたった今日まで絶えないのは、ニンゲンのココロがいつも両極に振れ、振り回されるからだ。
思春期の頃、「キレる10代」の犯人達をニュースで見るたびに、これは他人事ではないな…と思った。いつジブンも彼らと同じように振り切れてしまうかも知れないと思った。
彼らは、自分の立ち位置を「天国と地獄の狭間」に認知していて、ドンドン地獄に寄って行ってしまったんだろう。
私もその景色は、少し覗いた。
ただ、違う。
天国と地獄は、ふだんの生活に内在している。
それに気づいて、ココロを非武装地帯に据え置く事ができれば、平穏な「ニンゲンとしての」日々を送れるような気がした。