今年が生誕100周年のフェデリコ・フェリーニ監督の映画をご案内している、フランツの「家で過ごそう」シリーズ。第6回目は映画監督のフェリーニの自画像とも言うべき、フェリーニの代表作、8 1/2です!
8 1/2
(1963年公開)
監督・脚本:フェデリコ・フェリーニ
製作:アンジェロ・リッツォーリ
脚本:トゥリオ・ピネッロ/エンニオ・フライアーノ/ブルネッロ・ロンディ
撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ
音楽:ニーノ・ロータ
グイド・アンセルミ:マルチェロ・マストロヤンニ
ルイザ・アンセルミ:アヌーク・エーメ
クラウディア:クラウディア・カルディナーレ
カルラ:サンドラ・ミーロ
バーバラ:バーバラ・スティール
マドレーヌ:マドレーヌ・ルボー
(写真)8 1/2のグイドがお風呂に入る有名なシーン。マルチェロ・マストロヤンニ、素晴らしい演技でした。
(参考)8 1/2のダイジェスト。全編に流れる音楽が主題曲です。ニーノ・ロータの傑作!
https://www.youtube.com/watch?v=RmIC9pQ80Fk (2分)
※BFIの公式動画より
この作品は、映画監督のグイドが、次回作の構想がまとまらない中、温泉保養地で静養するも、プロデューサーや役者など、いろいろな人たちが押しかけてきて翻弄される物語です。フェリーニの映画作品の数から(1作目の「寄席の脚光」は共同作品なので1/2)、このタイトルがつけられました。
この映画は大学生の頃に初めて観て、甘い生活と並んで、さっぱり分らなかった(笑)映画でした。グイドが悩んでいるのは分りましたが、途中の回想シーン、特にサラギーナのシーンがよく分らず、さらに最後の大団円のシーンは一体何なんだろう?と呆気に取られて終わってしまった思い出があります。今回はそれ以来に久しぶりに観ます。
冒頭はグイドの夢のシーン。高い空から落ちていき、グイドが追い詰められていることが分かる、とても印象的なシーン。
主演のグイド役は、「甘い生活」でさっそうとしたマルチェッロ役が格好良かった、マルチェロ・マストロヤンニです。この作品では悩める映画監督、ということで、落ち着いて、ややくたびれた感じをいい感じに醸し出して、この辺りはさすが名優です。でも十分にカッコイイ。
グイドは気分転換と構想を練るために、とある温泉に来て、温泉療法を受けます。沢山の女性が温泉を飲んでいるバックの音楽が、ワルキューレの騎行というのが奮っている!(笑)
作家のロミエとグイドのやりとり。ロミエから、(グイドの映画は)映画全体が訳の分からぬ挿話(エピソード)の羅列だ、と言い放たれるグイド。それって、まんまフェリーニの映画のことですね(笑)。自虐的な可笑しみを感じさせます。
温泉保養地にグイドの愛人のカルラがやってきます。カルラは全くの物見遊山で、沢山の荷物と共に現れるのが可笑しい(笑)。さっそく天真爛漫なカルラに翻弄されるグイド。黄昏れるグイドが、気分転換にセビリアの理髪師の序曲をパラパパラ♪と歌う声色が凄くいい。色男は何をやっても絵になりますね。
ホテルのロビーで沢山の関係者から質問責めや紹介責めに会うグイド。いや~、映画監督って大変なんですね!関係者による夜の食事の席でも難しい話題を振られて、全くウンザリするグイド。
心の中を読めるマヤ嬢に、心の当てられるグイド。当てられたのは「アサニシマサ」という子供の頃の呪文。子供の頃の楽しいワイン造りのブドウ踏みのシーンは、とても素敵なシーン。
ホテルのラウンジでグイドの友人が、この映画の主題の曲をピアノで弾いて、若い恋人が聴き惚れるシーンはとてもいいですね。制作部のコノッキアからは「役にたたないのか?」と訴えられ、泣かれる始末。グイドの「ひらめきの危機か?」という独白が切ない…。
カルラが40℃の熱を出すシーン。カルラ、40℃でもよく話すこと話すこと(笑)。旦那さんに電報を打とうと提案するも、カルラに拒否されて困惑するグイド。どうしてこんなに悩み事が増えるのか?
グイドが温泉保養地に来た枢機卿に謁見するシーン。その前の神父さんとのやりとりは、「パウロの改心」「聖なる愛」「世俗の愛」など見応えがありました。一方、枢機卿とのやりとりでは、枢機卿がたまたま鳴いたアホウドリに聞き入ってしまい、ほとんどよく分らないやりとりに(笑)。
子供の頃のサラギーナの回想シーン。サラギーナはフェリーニの好んだ大柄の女性です。踊るサラギーナに大喜びの子供たち。何か根源的なものを思わせますが、私はウィーンの自然史博物館の「ヴェレンドルフのヴィーナス」を連想します。先生たちに捕まる少年グイドのシーンが早回しなのもいい。
作家ロミエから、貴方の無邪気さは重大な欠点だ。郷愁に浸された感傷的な思い出は、仲間うちの話、と言われてしまうシーン。しかし、フェリーニの映画は、難しいものの、感傷的な思い出のシーンを効果的に使っているからこそ、人びとの共感を得るのではないか?と私は思っています。
再び温泉での枢機卿とのやりとり。
グイド:枢機卿様、私は幸福ではありません。
枢機卿:幸福である必要が?君の役割は違う。オリゲネスは言った。エスクトラ エクレジアム、ノン ラサルス、教会の外に救いはない。
傲慢で、けんもほろろのカトリックの枢機卿。最後、一方的に閉められてしまう扉が印象的。まるでワーグナー/タンホイザーの第3幕のローマ語りのよう。その後にニーノ・ロータの主題の音楽を聴いて、心の底からの安心を覚えます。
グイドは奥さんのルイザを温泉保養地に呼び寄せます。「実はたいして進んでいないんだ」。ルイザには正直に話すグイドが印象的。そして、巨大な宇宙船のセットを見に行くシーンに。今、頭は混乱でいっぱいだ。この発射台…。なぜ、こうなったんだろう。どこで間違えたのか?グイドの迷走っぷり。
ベッドでのルイザとの絶望的なやりとりのシーン。ルイザ役は「甘い生活」でのミステリアスな貴婦人の役も印象的だったアヌーク・エーメ。迫力ありますね。そして、屋外のカフェでルイザと一緒にいるところに、カルラが登場!新聞で顔を隠すグイド!カルラのことに気付いたロセッラは、カルラのことを「気弱な優柔不断な男の相手が上手なの」と!(笑)
映画の試写のシーン。ルイザも一緒に観る中、さきほど、「あんな女は知らない」と言い放ったカルラがスクリーンの中に出てきてしまい…。帽子で顔を隠すグイド!(笑) ハッキリ言って、自業自得ですが、どんどん追い詰められて行きます。
そして試写の途中で、美しい女優のクラウディアが登場します。ワーグナーの「女性による救済」を思わせるクラウディアの登場。しかも枢機卿(カルディナーレ)には救われず、クラウディア(クラウディア・‘カルディナーレ’が演じる)による救済を期待させる心憎いシーン。クラウディアにグイドが本心を素直に話すのは印象的なシーンですが、結局、ここでもグイドの救済は得られません…。
そして最後の衝撃のシーン、悲しい映画監督の最後。しかし、この映画には素晴らしいエンディングが用意されていました。作家ロミエの、マラルメを引用した真実の語りの後、グイドが「人生はお祭りだ。一緒に過ごそう。」とルイザに語る言葉が印象的。
そしてテーマ曲が大きく鳴らされての、登場人物全員による輪舞!そこに入っていくグイドとルイザ!これは極めて感動的なシーンですね…。全く摩訶不思議で、全く感動的な映画!最後のグイド少年の悲しい笛、そして音楽がスローになってのエンディング!
いや~!久しぶりに観た8 1/2。今回は象徴的なシーンも含め、とても分りやすく、心にスッと入ってきて、ラストのシーンには大いなる感動を覚えました!140分の長い映画を一気に観て、フェリーニ映画の良さを大いに感じました!
思うに、こういう極めて自伝的で内省的な映画が成り立ってしまう、そのことが自体が凄い!現代社会ではなかなか理解が得られない、成り立たない映画のような気がします。最後のシーンで圧巻だった感動的なニーノ・ロータの主題曲が、映画全編でアレンジされて繰り返し流されていたのも印象的でした。
「人生はお祭りだ。」 このセリフを全編に感じるとともに、あのジュゼッペ・ヴェルディの最終解脱作品、ファルスタッフを思われるものがあります。名作は色褪せない。やっぱり見返してみるものですね。「8 1/2」の久しぶりの鑑賞、素晴らしい機会となりました!
(なお、かなり独特な映画なので、積極的にはお勧めしませんが、怖いもの見たさに、よろしければどうぞ!笑)