前々回の記事から始まった、フランツの「家で過ごそう」シリーズ。今年が生誕100周年のフェデリコ・フェリーニ監督の映画をご案内していきますが、第3回目の今回は、フェリーニの代表作、カンヌ国際映画祭のパルム・ドールを取った、甘い生活です!

 

 

甘い生活

(1960年公開)

 

監督・脚本:フェデリコ・フェリーニ

製作:ジュゼッペ・アマト/アンジェロ・リッツォーリ

脚本:エンニオ・フライアーノ/トゥリオ・ピネッリ/ブルネッロ・ロンディ

撮影:オテッロ・マルテッリ

音楽:ニーノ・ロータ

 

マルチェッロ:マルチェロ・マストロヤンニ

シルヴィア:アニタ・エクバーグ

マッダレーナ:アヌーク・エーメ

スタイナー:アラン・キュニー

エンマ:イヴォンヌ・フルノー

ファニー:マガリ・ノエル

パパラッツォ:ウォルター・サンテッソ

ファニー:マガリ・ノエル

ニコ:ニコ

 

 

 

(写真)甘い生活の有名な、マルチェロ・マストロヤンニとアニタ・エクバーグのトレビの泉のシーン

※ウィキペディアより

 

(参考)甘い生活のダイジェスト

https://www.youtube.com/watch?v=1BeWEPXWDX4 (2分)

※BFIの公式動画より

 

 

 

実は私が初めて観たフェリーニの作品が、この映画なんです。大学生時代に、銀座の映画館のリバイバル上映で。”La dolce vita”という、どこかで聞いたことのある言葉に惹かれて観に行ったものです。そして3時間近くの長い映画を観ての感想は…、

 

 

何この長くて訳わからなくて退屈な映画!どの辺りが「甘い生活」?何を言いたいのか、さっぱり分らないんですけど?

 

 

いや~、見事なまでに響きませんでした!(笑) 何となくきらびやかな上流社会の生活の不毛さ、見た目だけの精神性のなさを言いたいのかな?とは思いましたが、どうしてこうも長く、結末をハッキリ示さないで、脈絡なく物語が進むのか?それがよく分らなかったんです。

 

その後、フランスのヌーヴェルヴァーグの映画、特にジャン・リュック・ゴダール辺りの、さらに訳の分らない映画(笑)をいろいろ観て、おかげさまで難しい映画を観る目が鍛えられました。そして、後に「甘い生活」を再び観た時には、大分親しみを覚えることができました。今回は本当に久しぶりの、3回目の鑑賞です。

 

 

 

この映画のあらすじをざっと。この映画はゴシップ新聞の二枚目記者マルチェッロが、華麗な女性関係や内縁のエンマとの葛藤の中、アメリカのスター女優のシルヴィアとの出逢い、マリアさまを見たという奇跡を起こした子供たちの取材、知的な生活を送る憧れのスタイナーとの交流を通じて、今の仕事や生活を脱したいと思いながらも流されていく物語です。

 

 

 

まず冒頭の大きなキリスト像をヘリコプターで運ぶシーン。建設ラッシュの1950年代後半のローマ上空を飛ぶダイナミックな、そしてある意味罰当たりとも言えるシーンですが、それを取材するヘリコプターに乗るマルチェッロのゼスチャーを、下で見ている女性がちゃんと把握していたのが印象的。これはきっと、ラストで少女がマルチェッロに語りかけるも、マルチェッロが理解できない有名なシーンとの対比なんですね。

 

マルチェッロはまち中で出逢ったお金持ちの貴婦人マッダレーナと逢い引きしますが、相棒のカメラマンのパパラッツォがマッダレーナを撮ろうとするのを「パパラッツォ、よせ!」と遮ります。そう、あのゴシップを狙うカメラマンの「パパラッチ」は、この「パパラッツォ」の複数形なんです。

 

アメリカのスター女優のシルヴィアがローマにやってきました。インタビューを受けますが、

 

記者:寝る時はパジャマ?ネグリジェ?

シルヴィア:フランスの香水を2滴つけるだけ。

 

記者:人生で一番好きなのは?

シルヴィア:とくに好きなものは3つ。愛と愛と愛。

 

シルヴィアは本当に天真爛漫で魅力的です。サン・ピエトロ寺院の階段を駆け上がって記者をまいてしまうシーンも楽しい。そして唯一追いついたマルチェッロと懇意になります。

 

クラブでの大騒ぎの後、シウヴィアとマルチェッロは2人きりで夜のローマを闊歩します。シルヴィアは子猫を拾いますが、牛乳を探しに行かされるマルチェッロ(笑)。マルチェッロが律儀にコップに牛乳を入れて帰ってくると、シルヴィアはトレビの泉に入り戯れています。冷静に子猫に牛乳を与えるマルチェッロが愛しい!(笑) そして有名なトレビの泉のシーンに(冒頭の写真)。一昨年にザルツブルク音楽祭のロッシーニ/アルジェのイタリア女でも、このシーンが再現されていました。

 

(参考)2018.8.19 ロッシーニ/アルジェのイタリア女(ザルツブルク音楽祭)

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12426795154.html

 

 

続いて、マリアさまを見たという2人の子供の奇跡のシーン。マスコミや回復を期待する病人たちを始め大勢の人々が集まり、空虚な騒動を展開します。子供たちが「聖母さま!」と言っては移動し、その場所に我も我もと殺到する民衆。結局、大騒ぎをした挙げ句に、病人が亡くなってしまうという、とても皮肉の利いたシーンでした。

 

教会のオルガンでバッハを弾くほどの知識人スタイナーの家でのシーン。詩人や芸術家などが集まり、今の仕事や生活を脱したいマルチェッロはスタイナーに大いに憧れます。しかし、このシーンの最後のスタイナーの独白「何よりも平和が怖い」には、この時点でも何か深い闇を感じます。

 

マルチェッロのお父さんがローマを訪れ、マルチェッロに再会します。パパラッツォも含め3人でショークラブのチャチャチャに行って、マルチェッロは懇意にしているフランス人の踊り子ファニーをテーブルに呼び寄せます。そこでシャンパンを、ヴーヴ・クリコを開けよう!と提案するマルチェッロのお父さん。こういうのは粋でいいですね。

 

しかし、調子に乗って飲み過ぎてしまい、愛しのファニーの家に行くも、具合が悪くなってしまったお父さん哀れ…。しかし我に返ると、すぐに朝早い時間の列車に乗ってサッサと故郷に帰ってしまった姿が印象的。ズルズルと流れを変えられずに、溺れていってしまうマルチェッロとの対比を描いていたように思いました。

 

マルチェッロはモデルのニコに誘われて、貴族のお城に。恐ろしいほどに退屈し切ったお城の人たち!オペレッタのJ.シュトラウスⅡ世/こうもり第2幕のオルロフスキー公爵も退屈し切っていますが、もはやオルロフスキー公爵どころではなく、ほとんど立ち上がることすら面倒くさそうな奇っ怪なみなさん。部屋を違えたマルチェッロとマッダレーナとのやりとりはとても悲しいシーン。

 

そしてどこまでも不毛な夜の行進とから騒ぎ。かつてはサッパリ分らずに大いに退屈したシーンですが、洗練された人たちの一見楽しそうな情景を描いて、その空虚さや不毛さを逆に印象付けるのは、フェリーニの巧みな映画作りと、今は感心できるようになりました。

 

エンマとの痴話喧嘩のシーン。激しくやり合って、人気のない場所にエンマを残して車で去ってしまうも、結局はエンマを迎えに来るマルチェッロ。これは一体愛情なのか?それとも馴れ合いや惰性なのか?それとも結局のところ行き場がないだけのか?いろいろ考えてしまうシーン。

 

マルチェッロの憧れるスタイナーは、何と愛する子供2人を殺して、ピストル自殺してしまいます!知人ということで、その現場に立ち会い衝撃を受けるマルチェッロ…。そして事情を知らないスタイナーの奥さんが帰ってくると、さっそく群がるパパラッチたち。「私は女優ではないわ」と笑顔で語る奥さんが何と悲しいことか…。そんな腐れ切った同業者たちを見て複雑な胸中のマルチェッロ…。

 

憧れのスタイナーにも希望を見出すことは叶わず、とうとう自暴自棄になったマルチェッロ。パーティでの馬鹿騒ぎを繰り広げます。マルチェッロは酔っ払った女性に、同郷だろ、ファーノの出身だろ、と言ってクッションの羽根だらけにします。ファーノはフェリーニの生地リミニの近く。そしてフェリーニもかつては新聞記者だった、ということで、マルチェッロはフェリーニの過去の姿、ということが伺い知れます。

 

(参考)2018.8.16 ファーノ観光(アウグストゥスの凱旋門&ロッシーニ展)

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12417039464.html

 

 

最後の巨大なエイのような魚の死骸が網で引き上げられ、それを見に行ったマルチェッロに遠くから少女声をかけるもマルチェッロは理解することができない有名なラストのシーン。この少女は映画の中盤、浜辺のホテルのシーンに出てきて、マルチェッロが「ペルージャの教会にある天使の絵みたいだ」と褒めた少女です。しかし、マルチェッロは全く気付きません。ここは何度観ても、とても印象的なラストです。

 

 

 

いや~、久しぶりに観た甘い生活。大学生時代に最初に観た時は大いに退屈しましたが、3回目にして、ようやく大いに惹き込まれ、自宅で観たにも関わらず、3時間近くを休憩なしに一気に観てしまいました!

 

今回観てつくづく思ったのは、二枚目で美しい女性に囲まれて、かっこいいオープンカーを乗り回してパーティ三昧。一見きらびやかで人が羨む生活のマルチェッロが、大いに不幸だと言うこと。そもそもこの映画の登場人物で本当に幸せそうな人は、もしかして最後の少女だけなのかも?

 

そして逆に、どんなに小さくて地味な仕事でも、自分がやりがいを感じて真摯に取り組める仕事をしている人こそ幸せだ、とも思わせます。併せて、外見的な華やかさによって、必ずしも精神的な豊かさや幸せを得られる訳ではない、ということなんだとも思います。

 

 

この映画のウィキペディアの解説には、「説明的な手法をほとんど行わない難解な表現方法は、公開当時から世界中の批評家の議論の的になり、作品の公開以降50年近く経つ現在でもその評価は大きく分かれている。」とありました。

 

正にその通りで、初めて観てすっと分るような映画では決してありませんが、象徴的なシーン、記憶に残る印象的なシーンが何度も出てくるので、10年に一度くらい観るとどんどん味わい深くなっていく、まるでクラシック音楽の大曲のような映画だと思います。

 

ぜひご覧ください!と、お勧めこそしませんが(笑)、この外出自粛の時期に、じっくり向き合ってみるのも一興なのかも知れません?(震え声)

 

 

最後に、改めて懸命に治療に当たられている医療関係者のみなさまに心から感謝するとともに、新型コロナウイルスの早期の終息を強く願っております。