(夏の旅行記の続き) 素晴らしかったアッター湖周遊からザルツブルクに帰り、夕方からはオペラを観に行きました。モーツァルト/イドメネオです!

 

 

Salzburger Festspiele 2019

Wolfgang Amadeus Mozart

Idomeneo

Felsenreitschule

 

Musikalische Leitung: Teodor Currentzis

Regie: Peter Sellars

Bühne: George Tsypin

Kostüme: Robby Duiveman

Licht: James F. Ingalls

Choreografie: Lemi Ponifasio

Dramaturgie: Antonio Cuenca Ruiz

 

Idomeneo: Russell Thomas

Idamante: Paula Murrihy

Ilia: Ying Fang

Elettra: Nicole Chevalier

Arbace: Levy Sekgapane

Gran Sacerdote: Issachah Savage

Nettuno / La voce: Jonathan Lemalu

Bass Solo aus Thamos, König in Ägypten: David Steffens

Tänzer: Brittne Mahealani Fuimaono, Arikitau Tentau

 

musicAeterna Choir of Perm Opera

Choreinstudierung: Vitaly Polonsky

Freiburger Barockorchester

 

 

(写真)開演前のフェルゼンライトシューレの入口

 

 

 

(写真)公演のポスター

 

 

 

この日にアッター湖に行ったのは、もちろんマーラーとクリムトもありましたが、その後に観に行くオペラがイドメネオ、というのも一つの動機でした。イドメネオは古代ギリシャが舞台で、ネプチューンが登場したり、海が大きく関わるオペラ。ザルツカンマーグートで一番大きく、海をも思わせる雄大なスケールのアッター湖はつながりがいいかな?と思っての選択です。

 

なので、アッターゼー駅のアッター湖の解説にネプチューンが出て来た時は、狙いが的中して、きた~!と大いに喜びました!個人旅行だと旅程は自分で自由に組めるので、こういう遊び心を入れると旅行はさらに楽しくなります。

 

 

 

(写真)アッターゼー駅のアッター湖の紹介のネプチューンの絵

 

 

 

第1幕。序曲ではピンクとブルーの衣装の民族が対立する演技が付きました。ピンクの民族が捕らえられて、その代表がイリアです。イリアの歌「父よ、兄よ、お別れです」はしっとり歌われていい感じ。

 

エレットラの激しいアリア「心の中に私は感じる」では、エレットラの心の中の風景なのか、舞台から赤い柱がニョキニョキ出てきました。演出家はピーター・セラーズさん。一昨年の皇帝ティートの慈悲の演出を思い出します。

 

(参考)2017.8.16 モーツァルト/皇帝ティートの慈悲(ザルツブルク音楽祭)

https://ameblo.jp/franz2013/entry-12317282550.html

 

イドメネオの悩みのアリア「いまに、この身の近くに嘆きの影を見るだろう」は迫力あり。イダマンテの悲しみのアリア「愛する父を見出し、そして失った」もとてもいい。最後はネプチューンが出てきて、イドメネオが平伏す場面で終わりました。

 

 

 

第2幕。イリアのほんわかした旋律が好きな歌「たとえ父を祖国を、安らいを失うとも」。イリアの歌は良かったですが、拍手はなし。全体的に優しいモーツァルトの音楽を楽しむ公演ではなく、常に緊張感のある舞台でした。

 

イドメネオの悩みの歌「海を逃れて、今この胸にあらたな海を」も素敵。エレットラの歌ではイドメネオとエレットラが抱き合う演技が付きましたが、イドメネオは(イリアのことを想って)いやいやではなく、心底エレットラを愛しているように見て取れました。これは一体?

 

イリアとの愛は表面上のような可能性も?イドメネオとイダマンテとエレットラの別れの場面では、「嘘を付くな」のセリフにイドメネオとエレットラが激しく対立する演技が付きました。

 

イドメネオが約束を破ってイダマンテを逃がそうとした、ということで出てくる最後の怪物の場面は、クラインのツボを巨大にしたような不思議なオブジェが青いひかりに照らされて出てきました。ものごとには二面性があることの象徴でしょうか?あるいはビニール袋による海洋汚染の象徴だったのかも?(人間の身勝手さを象徴)

 

テオドール・クルレンツィスさんがフライブルク・バロック・オーケストラと組んだ演奏は、はキビキビとして活き活きとしたモーツァルト、というよりはところどころエグ味を利かせたシリアスな演奏。私は過去に何度もフライブルク・バロック・オーケストラを聴いていて、キビキビとした演奏が好みですが、この日はどちらかと言うと面白く聴けた、という印象です。

 

 

 

第3幕。冒頭に何と、モーツァルト「エジプト王タモス」の“Ihr Kinder des Staubes”が入りました!一昨年の皇帝ティートの慈悲ではミサ曲を入れてきましたが、第3幕のドラマを盛り上げる素晴らしい音楽です。そしてイリアのアリア「心なごませるそよ風よ」がいい感じ。その後の4重唱はお互いを思うことの大切さを表しているようで、歌と演技の相乗効果を楽しめました。

 

イドメネオとアルバーチェのやりとりを経て、群集が出てきて苦しむ演技。群衆はまるで有機化合物で苦しむかのよう。さっきの海洋汚染とのつながりなのかも?そして再び悲劇的なイタリア語によるミサ曲。イドメネオの歌で合唱は帰っていきます。

 

イダマンテとイリアのお互いを思う歌。そして天井から天の声が聞こえてきて、「イドメネオを許す。王をイダマンテに譲り、イリアを王妃に」と審判を下します。それに激昂したNicole Chevalierさんのエレットラによる大アリア「この胸にあるのはオレステとアイアスの如き苦悩」!

 

始めに叫び声を上げての強烈なアリア!クルレンツィス/フライブルク・バロック・オーケストラも煽りに煽ります。それを為すすべなく、何てことだ、ああ~!と口を開けて驚愕の表情で見るしかないイダマンテとイリアがとても印象的。

 

(参考)モーツァルト/イドメネオより第3幕のエレットラの大アリア「この胸にあるのはオレステとアイアスの如き苦悩」。アリアは2:27~。おそらくモーツァルトが書いた最も激しいアリア。ちなみに新国立劇場の2006年の公演では、このアリアを歌い終わりながらエレットラのエミリー・マギーさんが周りの人物をなぎ倒して退場して行き、観客が度肝を抜かれていました(笑)。

https://www.youtube.com/watch?v=Ls5NZsxC9sI (6分)

Clémence Tilquinさんの公式動画より。

 

 

ラストは通常の演出とは異なり、何と!アフリカとアジアの神様の踊りが入りました!エレットラもアジアの神様に助け起こされて、イスラムも含め様々な国籍の人々が舞台に並んでモーツァルトの調和の取れた音楽で晴れやかに終わりました。これはかなり思い切ったラストでしたが、とても印象に残りました!

 

 

 

自分のことばかり考えずにお互いを思えば道は開ける。世界的に排外主義がはびこる中、民族の垣根を乗り越えて、ともに相手のことを尊重し合おう。いろいろな国の歌手による舞台、アフリカとアジアの神様の踊りで最後の最後にストンと落ちましたが、ピーター・セラーズさんの演出は途中が難解で正直よく分かりませんでした。注意深く演技を観ていましたが、果たして筋が通っているのかいないのか?

 

特にイダマンテとイリアとエレットラの3者の関係が難しかった。ポスターの中心がエレットラだったことが示すように、通常とは異なる解釈なのかも知れません、あるいは敢えて首尾一貫させていないのかも知れません。

 

観客のみなさんもかなり戸惑ったのか、カーテンコールで演出のピーター・セラーズさんが出てきたら大ブーイング。しかし、セラーズさんはもうニッコニコ(笑)。初日ではなく、もう5日目の公演なのに律儀に出て来て、ピーター・セラーズさん、ブーイング浴びるの好きなのかも?(笑)

 

 

 

ピーター・セラーズさんの演出はよく分らない場面もありましたが、なかなか面白いイドメネオでした。ザルツブルク音楽祭で観るモーツァルトはいつも刺激に満ちたモーツァルト。時代の最先端のモーツァルトを観ることができる、という印象です。また観に来る機会を楽しみにしています!(続く)

 

 

 

 

(写真)フェルゼンライトシューレに向かう途中で目にした花の飾り。ザルツブルクは至るところに花を見ることができ、本当にロマンティックです。