この日ライプツィヒに来たのは、夜にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーベン「第九」を聴くためでした。日本でも年末に第九を聴く習慣が根づいていますが、始まりはここライプツィヒ。第1次世界大戦の後に平和と自由を願って、1918年から始まったそうです。指揮者・歌手は以下の通りです。


GROSSES CONCERT ZUM JAHRESWECHSEL

Ludwig van Beethoven
9. Sinfonie d-Moll op. 125

Riccardo Chailly
Luba Orgonášová, Sopran
Iris Vermillion, Alt
Steve Davislim, Tenor
Thomas E. Bauer, Bass

Gewandhausorchester
MDR Rundfunkchor
GewandhausChor
GewandhausKinderchor


年末の第九の本家本元、ということで大いに期待しましたが、結果は期待外れでした…。原因は指揮者にあります。リッカルド・シャイーという指揮者はきっとこのベートーベン/交響曲第9番ニ短調に何の思い入れもないんだと思います。あるいはマンネリ化していて熱意がないのかも知れません。最初から最後まで速いテンポでサラサラと進め、何の表現付けも工夫もありません。

唯一「おっ!」と思った2楽章の最後も、キッパリ終わらせるところをフニャっと力を抜く感じ。ユーモアではなくベートーベンを小馬鹿にしているようにしか聴こえてきません。それでも4楽章は独唱や合唱が入るので、それなりに熱気を帯びますが、相変わらずの淡々とした指揮…。この日は雪が沢山降ったので、終演後の交通機関のことを考えて、極力速く終わらせようとしたのでしょうか?と、訝りたくなるような残念な指揮でした。

コンサートやオペラのライヴは、CDやDVDと違って、完璧であるのは稀でむしろ傷がある方が普通です。粗を探せばキリがないですが、ライヴならではの良さや魅力があるし、音楽家への敬意や尊敬の念も込めて、できる限りいいところを見つけて楽しもう、感動しよう、というのが私の基本的なスタンスです。ましてやそれなりにお金と時間をかけて海外に聴きに来ているので、より一層神経を集中させて、素晴らしい音楽を堪能したい、感動したい、と思うのが人の心だと思います。

でも、この日のコンサートはどう頑張ってもダメでした…。こんなに心を動かされないベートーベンは初めてです。歌手や合唱、オケは良かったです。特に合唱は熱気が客席まで伝わってきました。原因は指揮者にあります。年末の第九の本家本元の名が泣いています。

ゲヴァントハウスでは歴代のカペルマイスターの写真が大切に飾られています。メンデルスゾーンに始まり、ニキシュ、フルトヴェングラー、ワルター、アーベントロート、コンヴィチュニー、ノイマン、マズア…、そして最近では昨年9月に東京の聴衆を沸かせた名匠ブロムシュテットさん。本当に錚々たる伝説の指揮者たちです。それらの写真を横目で見ながら非常に寂しい思いでホールを後にしました…。



(写真)開演前のゲヴァントハウス