今回、ヴェネツィアを訪れたのは、水の都として世界的に有名な観光地であること、この日の夜にイタリアでは年末数少ないコンサートがあったこと、もありましたが、ヴェネツィアがワーグナーと大変関係が深いことも大きな理由でした。ということで、この日はワーグナー縁の場所を巡ります。


 まずは「トリスタンとイゾルデ」第2幕を作曲したジュスティニアーニ館。ワーグナーはチューリッヒの「緑の丘」のヴェーゼンドルク邸の隣の「アジール(隠れ家)」に住み、第1幕と第2幕のスケッチを書きましたが、妻のミンナとマティルデ・ヴェーゼンドルクと三角関係になったため、ヴェネツィアのここジュスティニアーニ館に移り、第2幕の総譜を書きました。ワーグナーはここでマティルデへの想いを募らせながら、あの第2幕を書いたんでしょうか…。


(写真)ジュスティニアーニ館


 次に、ワーグナーがお亡くなりになったヴェンドラミン・カレルジ宮。ここでワーグナーは1883年2月13日に原稿執筆中に心臓発作を起こし、お亡くなりになりました。息を引き取った後、コジマは25時間もの間、ワーグナーのそばを離れなかったとのこと。なお、ワーグナーの訃報を聞いたヴェルディはリコルディ宛ての手紙に、「悲しい、悲しい、悲しい…。その名は芸術の歴史に偉大なる足跡を残した。」と記したということです。


(写真)ヴェンドラミン・カレルジ宮


 ワーグナーはヴェネツィア到着時、上記のような貴族の館に住む前は、ホテル・ダニエリによく泊まったそうです。世界中のVIPやスターがひいきにしているヴェネツィアを代表する最高級ホテルとのこと。あれっ?ワーグナーは「緑の丘」ではオットー・ヴェーゼンドルクの支援により、名目だけの家賃でアジールに住んでいたような…?まったく、ワーグナーったら!(笑)。


(写真)ホテル・ダニエリ


 ワーグナーはヴェネツィアではサン・マルコ広場が特に好きな場所で、中でも、カフェ・ラヴェナがお気に入りだったそうです。私もカフェをいただき、ちょっぴりワーグナーの気分に。カフェの中にワーグナーのプレートがありました。




(写真)カフェ・ラヴェナとワーグナーのプレート


 最後にもう1か所。ワーグナーがそれを見たことで気力が蘇り、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に着手することを思い立ったという絵がサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会にあります。それは教会の祭壇画、ティツィアーノ「聖母昇天図(アスンタ)」。ティツィアーノの代表作とも言われています。確かに素晴らしい祭壇画で、いつまでも観ていたくなります。ワーグナーはまた「アスンタは聖母でなく、愛の清めを受けたイゾルデ」とも語っているとのこと。「トリスタンとイゾルデ」の第3幕最後の「愛の死」にもこの絵画を重ねていたのかも知れません。


(写真)サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会


(写真)教会の祭壇画ティツィアーノ「聖母昇天図(アスンタ)」
※購入した絵葉書より