前々回のブログで書いたように、年末のイタリアはオペラ公演が極端に少なくなります。そんな中でも、スカラ座は毎年ミラノの守護聖人・聖アンブロージョの日である12月7日が新しいシーズンの開幕と決まっているので、年末まで公演のある可能性があり、2013年では大みそかの12/31まで公演がありました。ジルヴェスターでヴェルディもいいですが、私はよりチケットを確保しやすそうな12/28の公演を選択しました。指揮・演出・主なキャストは以下の通りです。


 Direttore: Daniele Gatti
 Regia e scene: Dmitri Tcherniakov

 Violetta Valery: Diana Damrau
 Flora Bervoix: Giuseppina Piunti
 Annina: Mara Zampieri
 Alfredo Germont: Piotr Beczala
 Giorgio Germont: Željko Lučić

 Orchestra e Coro del Teatro Alla Scala


 スカラ座のラ・トラヴィアータと言えば、1955年のカラス/ディ・ステファノ/バスティアニーニ、ヴィスコンティ演出の伝説の名舞台があり、その煽りか1964年のカラヤン/フレーニ、ゼフェレッリ演出の公演が不評となり、それ以来1990年にムーティが採り上げるまで再演がなかったことが有名です。そんな歴史もあまり意識されずに公演にかかる時代になったということでしょうか?

 さて、実際に観ての感想ですが、正直ガッカリした公演でした…。その一番の原因は演出にあります。設定を現代に移し、簡素な装飾のもと1幕と2幕2場はかなりキッチュなパーティの風情。ヘンテコな被り物をする人や怪しく痙攣する人がいて、現代のパーティの不毛な様子をこれでもかと強調しています。その一方で、2幕1場は田舎での質素な生活。アルフレードがピザの生地をこねたり、自然の中での質素で、でも精神的に豊かな生活を伝え、空虚なパーティの場面との対比を強調します。

 その意図は分かるのですが、とにかくパーティの場面が悪趣味で、このオペラで大切な要素であると思われる気品や粋、詩情が全くなく、ヴェルディの上質な音楽と乖離ができ、全く興ざめになってしまいます。2幕2場ではなぜか最初からアルフレードが舞台にいたり、「なるほど!」と唸るよりは、「何だか不自然…」と引いてしまう場面が多かったです。

 音楽的にもいくつか疑問点が。まずはガッティさんの指揮ですが、もったりとしたテンポで音楽が流れず、逆に盛り上がる場面で不自然なまでにテンポをためても決まらず、終演後は相当ブーイングを浴びていました。歌手は役者が揃ってみな歌という意味では立派な歌唱でしたが、ピョートル・ベチャワさんはかなり力づくの印象。2幕1場の一部の歌ではほとんどジークフリート?思わせるような力みで浮いていて、歌手の中では唯一ブーを浴びていました。

 一方、ディアナ・ダムラウさんはさすがの歌唱で、どの歌も音楽的に完璧に歌っていてブラーヴァの嵐。おそらく今ヴィオレッタを歌う歌手の中で音楽的な歌としては一番上手いのではないか?とさえ思いました。ただ、演出のためか、マリエッラ・ディヴィーアさんやエヴァ・メイさんなどが持っている気品をあまり感じられなかったのは少し残念でした。歌は本当に完璧なので、他の演出でぜひまた観てみたいです。

 ガッカリする点が多かったですが、そんな中でも、やはり素晴らしかったのはヴェルディの音楽とスカラ座のオケの音。2幕1場のヴィオレッタとジェルモンのかけあいは自然体で進んだこともあり、「この素晴らしい音楽がずっと続かないかな!」と心の中で思いながら聴いていました。ガッティさんの指揮はイマイチでしたが、それを割り引いてもスカラ座の音は本当に素晴らしい。明るく抜けの良い音を聴くだけでウキウキ、ワクワクします。オケ的には完璧な演奏でした。

 ヴェルディ・イヤーの締めとしては寂しい公演となりましたが、逆に、ヴェルディの音楽の偉大さを改めて認識できたとともに、その価値を正しく伝えるには、思いつきや付け焼刃でなく、基本を大切に、正しいアプローチからしっかりと練習・準備をすることが重要なのではないか?という思いに至りました。いくらムーティ時代を懐かしんでも、もう戻ってこないのも事実。スカラ座は今後はリッカルド・シャイーさんの時代に入るようですが、ヴェルディの、そしてイタリア・オペラの価値をしっかりと守っていってほしいと心より願います。



(写真)公演前のスカラ座


(写真)スカラ座前のマンゾーニ通り


(写真)夜のガッレリア