今回私がどうして「私たちが受けたネットいじめについて」という記事を書こうと思ったのかを書こうと思います。
これらの記事には賛否両論があり、むしろ叩かれても良いぐらいだと言う気持ちです。
私は以前中学1年生が終わる頃、似たような記事を書きました。
「私が学校で受けたいじめについて」というもの。
私が受けた突然のいじめについて恐怖を覚え、これは人としてどうなのかという旨を全て書き投稿しました。(以下覚えている限りでの内容)
私は昨日まで話していたクラスメイトの女の子3人から突然攻め寄られ何の事か分からず職員室に逃げました。
しかし職員室では「ちょうど良かった。話を聞きたい」と先生が待っていたのです。
3人は先生に、私から「睨まれた」「蹴られた」「暴言吐かれた」などと『してもいないこと』を相談していたのです。
私は何度もしていないと言いましたが先生は話を聞いてはくれませんでした。
するとこの記事を3人の主犯格である女の子が見ており、「誹謗中傷された!」と先生にブログを印刷し提出。
私はその後「どうして私が怒られるのだろうか?あの子はどうして自分の罪を書かれている私のブログを印刷するような自殺行為をしたのだろうか?学校は私が書いた内容について言及しようとはしないのか?」と悩みました。
結局学校の対応としては私を「クラス全体から省かせる」上で「昼ご飯は一緒に食べさせる」と最悪な環境に私を括り付けるというものでした。
それ以来私は心に決めたことがあります。
「いくら気に食わなくても人の評価を下げるために嘘を吐くな。事実確認を全くしないで人を叩くような人は絶対に許すな」
私は5歳の頃からずっと人を心の底から信じてはおらず、誰かが何か起こしても人はそういうものだから、と何でも許していました。
ですが人間に不信感しかない中この2つを心に決めたことにより私はとうとう人を絶対に信じない人間になってしまったのです。
話が逸れましたが、賛否両論があり、むしろ叩かれても良いぐらいだと言う気持ちだというのはこの中学1年の時の体験があったからです。
「悪いことをした人がいてもその悪い人がどんな人なのか周りは誰も聞いてくれず、誰かに聞いてもらおうとネット上に書くとネット上に書いた人が悪くなる」というのは百も承知ですから。
ですがそれを差し引いても私は今回のことを書きたかったのです。
私はLさんにまず大嫌いだと名指しで言われているのを見た時、中学1年の女の子3人から囲まれた光景がフラッシュバックしたためパニックを起こしました。
「どうして!私は何もしてないのに!あなたのことが好きなのに!どうして!」
私はその時また当時のように立ち直れなくなるのではないかと思いました。
ですが、「最近ようやく人のことが好きになってきたのに今この気持ちを壊してはいけない」という思いがあったからこそ私はなんとか立ち直ることが出来ました。
立ち直ろうとすればするほどLさんは折ってきましたが…。
私にはまだ「いくら気に食わなくても人の評価を下げるために嘘を吐くな。事実確認を全くしないで人を叩くような人は絶対に許すな」という気持ちはあるものの、人を信じる心が大分出て来たなと自覚してきた矢先の出来事でしたから尚更傷付いたのです。
事実確認もせず自分がそう思ったからと好き勝手に名指しで叩く……それを優しくて大好きな人からされた時の心はズタボロでした。
しかし私はそれでも自分の信じた人だからどうしても元に戻って欲しいという気持ちを捨てきることが出来なかったのです。
そして今日、ついに怒りが爆発し記事を投稿ー…
というわけではありません。
私はネットでどのような反応があるかを見たいのです。
さらにこれを見てネットの使い方だけでなくネットに書かれている内容を見た上でどのように対応していくか学校に考えて欲しいと思うのです。
ネットだけでなくLINEでもそれはそれは「Aマジうっぜー死なんかな」とか「Bと遭遇したんやけどwきっめーw」など書き込みが行われています。
その書き込みが本人に渡る予定ではないから好き勝手に書けるのでしょう。
事実確認も何もなく、ただ存在がウザいからという理由だけで。
しかし実際に怒られるのはその事を先生に相談したにも関わらず対応はされない、親に言うと心配するから言えない、ならネットに書こう…とネットに書いた人の方なのです。
それはおかしい、どうして事実をありのままに書いている人が怒られ、何も根拠もなしに叩く人間たちは「怒られてやんのーw」と笑っているのか!
学校の面目まるつぶれだからですか。
だから立場的に弱い「いじめられている人々」を怒ることで公表しないように縛り付けようとするのですか。
考えてみろ、何人もの強く発言力のある生徒より、1人の弱く何も聞いてもらえない生徒を怒るのは確かに簡単かもしれない。
しかし、そのせいで人間を信じることが出来なくなる人間も存在するんだ!
指導のあり方を変えろ、何人より1人をも大切に守るのが先生ではないのか。
もしその弱い1人がネットに何かを書いたのならば「どうしてそれを書いたのか」「書かれた相手はどのような人なのか」それを徹底的に調べろ!
怒ることで縛って何の解決になるんだ、何の解決にもならないでしょう?
上辺だけではダメなのです、全ては根元に問題がある、そして根元は放っておくとどんどん肥大化するのです。
だからこそネットに書かれている内容を見た上でどのように対応していくか学校は考えて欲しい。
私のような人間をもう二度と増やしてはいけない。
今回のことがあり私は6年前の体験を思い出したので「私たちが受けたネットいじめについて」を書かせてもらいました。
実際によく会う人間を「事実確認をせずに気に食わないから叩く」という行為は基本的ないじめでしょう。
何事においても事実確認は大切だということは基本中の基本です。
いじめられているそこのあなた、いじめられているのならばどんな手を尽くしてでも証拠を全て残すのです。
そして先生、証拠が出揃っているのならばその証拠を学校の面目など気にせず全て受け入れるのです。
そこまでしてようやくいじめの確認を取り「お前の方が悪い」と言えるのではないでしょうか?
何の意地でいじめを軽視しているのかは分かりませんが学校は学校を愛しており生徒のことは愛していないのですか!
私は1人でも多くの悩む人が減り、そして「気に食わないから叩く」人間たちを全て無くしたい。
いじめている自覚があるあなた、相手から何をされたのかよく考え直してみろ。
ただ存在がウザいからってだけで叩いてるんじゃないのか?
よく考えてから自分の行いを恥じて、それでもなお叩きたい理由があるのなら叩きたい証拠を全て集めてから叩け!
きっといじめなんて馬鹿げたことをする意味がないって事に気付くだろう。
色々話がズレまくりましたが、私の伝えたいことは分かったでしょうか。
ただ昔と同じことを繰り返したくないからこのネットいじめを引き合いに出しただけだろと感じた人もいたでしょう。
された場所は違えど「よく会う」「事実ではないことで叩く」という行為は同じものです。
今一度、ネットでもリアルでもいじめなんてクソな行為はするなということを改めて考えてください。
どの人間も人生は一度きりですから。