読者の方から、
神父のなり方について、
ご質問をいただきました。
ご質問くださった方、
ありがとうございます。
よって今回は、
神父のなり方について説明します。
事前に2点、補足いたします。
1つ目にこのblogは、
カトリックに対する素朴な疑問を解消したい、
カトリック信徒以外の方を
メインターゲットとしております。
本気で神父を目指したい方の道標には
なりませんこと、予めご理解ください。
2つ目に今回の内容は、
僕がカトリック信徒として見聞きした知識を
つぎはぎしてまとめたものです。
公式の情報でもなければ、
証拠としての効力もないこと、
重ねてご理解くださいませ。
さて本題です。神父になるには、
神学校と呼ばれる神父の養成所に
入る必要があります。つまり、
神父を目指すスタートラインに立つこととは、
神学校に入ることです。
しかし神学校とは誰でも入れるものではなく、
最低限でも、
・男性であること
・カトリックの信徒として受洗して、
3年以上経過していること
・独身で以後一切、結婚や恋愛を
しない決心がついていること
が条件となります。
これに加えて、神父による推薦が必要です。
神父への道のりとは非常に険しく、
神父不足が叫ばれる昨今にあってもなお、
それに変わりはありませんので、
推薦する神父の側としても、
誰でも推薦するわけではありません。
先輩神父として、自分が歩んだ険しい道を
進むことができると見定められた者だけが、
神学校行きの切符を手にすることができるのですね。
カトリックの世界ではよく、
「神父を目指したきっかけは、
失恋してやけになったから」
などと冗談として表現しますが、
それはあくまで冗談で、
本当にそのような理由で神学校を志す者を
推薦する神父はいないでしょう。
余談ですが、
結婚生活に不向きな者は
神父にも不向きであるとは、
教会社会では定説中の定説です。
ちなみに神学校に入ることとは、
神学校の寮に入って、先輩神学生や神父と
共同生活することとイコールです。
カトリックでは何故か、
出家とは表現しないんですけどね。
さて、神学校に入れる年齢ですが、
若くて中学生から。この場合、
神父のタマゴとして神学校で暮らしながら、
中学校・高校・大学に通学し、
一般の学生と同じように学ぶこととなります。
そして、神学校に入れる年齢の上限は、
一律の決まりはないようですが、
相場としてだいたい30歳くらいまで。
この場合、大学を出ていることが、
条件に加わります。
神父になりたいと感じる年齢は、
人それぞれですからね。
ちなみに、
学生として在籍する神学校を、小神学校と呼び、
大卒後に在籍する神学校を、大神学校と呼びます。
さて、
学生時代から神学校に在籍していた人は
小神学校と大学を卒業してから、
大学の卒業後に神学校に入った人はそこから、
大神学校にて神父になるための本格的な
訓練期間が始まります。
その期間とは、最短で6年。
でも6年で神父デビューできる人は稀で、
だいたい10年くらいが相場のようです。
さてこの、大神学校で行われる訓練の内容は
公表されていないので、
僕も詳しくは知らないのですが、
神学生を経て神父になる道のりは、
それはそれは過酷なんだそうです。
神父のタマゴとして、
国内外のいろいろな教会にて仕事しながら、
同時に神父として必要な勉強や、
身体能力の鍛錬もしなければならないんだとか。
神父になるのに身体能力が必要と聞くと
意外に感じるかも知れませんが、
もし災害や紛争等があれば、
教会は人々を助ける機関として
機能しなければなりません。
また、神父は宣教のため、
インフラ整備されていない僻地や、
時に戦場にだって足を運ぶことになります。
そう考えれば、神父になるための資質に
身体能力が含まれるのは当然ですね。
また、神父とは転勤の多い職業で、
しかも転勤先が海外であっても、
何も不思議ではありませんから、
神父の資質として、
複数の外国語を使いこなせることは、
もはや当然中の当然です。
カトリックの本来の意味は普遍。
「相手と自分に共通言語がないので
意思疎通できませんでした」は、
あってはならないのです。
さてさて、そんな過酷な道のりを、
6年から10年ほど、
挫けずに歩み続けることができた者のみが、
晴れて神父としてデビューできるわけですね。
ちなみに神父としてデビューすることを、
叙階と言います。
さてここまで、
神学生が神父になるまでの道のりをお話しましたが、
本当に過酷な道のスタートラインは、ここです。
何故なら、
神学校は途中で辞めることができても、
一旦神父になったら、
死ぬまで離職することができないのですから。
さて、本日は神父になる過程について
お話ししました。
最後に補足しますと、
僕自身、カトリック信徒として生まれて生活して、
周囲に神父を目指した過去がある人は
少なくないですが、実際に叙階までたどり着いたのは、
そのうち10分の1程度といったところでしょうか。
このblogをご覧くださっている皆さまの
知識の足しになれれば幸いです。