
ツールドフランスの歴史を調べていたら、驚くべき事実が判明しました。世界最大の自転車レースの起源には、19世紀フランスの壮大な政治スキャンダルと新聞戦争が深く関わっていたのです!
こんな政治的背景があったなんて、全然知りませんでした!
先日、ツールドフランス2025について記事を書いたのですが、「なぜツールドフランスが始まったのか?」という疑問が湧いてきて調べてみると...これは単なるスポーツの歴史ではなく、フランス社会を二分した大事件の物語でもありました。歴史好きの私には、もうたまらなく面白い発見でした。
ツールドフランスは新聞の売り上げアップのために始まった
まず驚いたのが、ツールドフランスの始まりがとても商業的だったということ。
1903年、世界最高峰の自転車レースが誕生した本当の理由は「新聞の販売促進」でした。
創設者とその動機
アンリ・デグランジュという元自転車選手でジャーナリストが、自分の新聞『L'Auto』(現在の『L'Équipe』)の売り上げを伸ばすために考案したのがツールドフランスだったのです。
当時、L'Autoの発行部数はわずか2万部。経営が苦しく、サイクリングファンを失う余裕もありませんでした。
運命的なアイディアの誕生
1902年11月、デグランジュは部下と緊急会議を開きました。若い従業員のジェオ・ルフェーブルが提案したのが:
「自転車競技場(トラック)で人気の6日間レースのようなレースを、フランス全土で開催してはどうでしょう?」
当時、屋内の円形自転車競技場で6日間連続で走り続ける耐久レースが人気でしたが、ルフェーブルはそれを屋内の限られたコースではなく、一般道路を使ってフランス全国規模でやろうという壮大なアイディアを出したのです。
これまでにない規模の長距離レース。誰も試したことのない壮大な実験でした。
第1回ツールドフランス(1903年)の実態
最初は大失敗の危機
最初の計画は6月1日から7月5日の5週間レース、参加費20フラン(現在の約2万円)でしたが...
開始1週間前に申し込んだのはわずか15人!
慌てたデグランジュは条件を大幅に変更:
- 開催期間を7月1日〜19日に短縮
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- 賞金総額を20,000フラン(現在の約2,000万円)に増額
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- 参加費を10フラン(現在の約1万円)に減額
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- 上位50位まで1日5フラン(現在の約5,000円)を保証
結果、79人が登録し、60人が実際にスタート。
1903年当時としては、20フランの参加費はかなり高額だったでしょうし、2,000万円の賞金総額は破格だったと思います。だからこそ最初は15人しか申し込まなかったのが、条件を緩和したら79人に増えたんですね。
過酷すぎる第1回大会
- 総距離: 2,428km(現在の3,320kmより短いが)
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- ステージ数: わずか6ステージ
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- 1ステージ平均: 400km(現在は平均171km)
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- 完走者: わずか21人
選手たちは道路脇で眠り、自分で宿泊先を手配し、工具や交換用タイヤを背負って走っていました。他者の協力は一切禁止という、現在では考えられない過酷な条件でした。
想像してみてください...工具をガチャガチャ背負いながらペダルを漕ぐ選手たち、道路脇で野宿する世界レベルのアスリート。現代の超ハイテクなチームサポートと比べると、ちょっとシュールで可笑しくもありますよね。ここ、笑っちゃいけないんだけど、想像すると可笑しすぎて噴き出してしまいました。不謹慎ですね、私。すみません。
驚異的な成功
この無謀とも思えるレースは大成功を収めました!
L'Autoの発行部数は:
- ツール前:25,000部
- ツール後:65,000部
- 1908年:25万部超
- 1923年ツール中:1日50万部
- 記録的発行部数:1933年の854,000部
しかし、なぜ新聞戦争が起きたのか?
ここからが本当に興味深い部分です!
ツールドフランス創設の背景には、フランス史上最大の政治スキャンダル「ドレフュス事件」があったのです。
ドレフュス事件 ~フランスを二分した冤罪事件~
ドレフュス事件って、なんとなく聞いた記憶はあるのですが、内容は全く覚えていませんでした。調べてみると、これがまた想像以上にドラマチックで複雑な事件だったんです。
事件の概要
1894年、フランス陸軍参謀本部のユダヤ人大尉アルフレド・ドレフュス(35歳)が、ドイツ軍にフランスの軍事機密を流したスパイ容疑で逮捕されました。
決定的な証拠もないまま、彼は終身禁固刑を言い渡され、フランス領ギアナ沖の悪魔島(ディアブル島)に送られます。
ディアブル島って...悪魔島ですよ!名前からして恐ろしすぎませんか?思わず笑っちゃいました。フランス人のネーミングセンス、時々すごく直球ですよね。
真実の発覚
1896年、フランス陸軍情報部の調査により、真犯人がフランス陸軍の少佐フェルディナン・ヴァルザン・エステラジーであることが判明。
しかし軍上層部はこの事実を隠蔽し、エステラジーは軍法会議で無罪となりました。
エミール・ゾラの「私は告発する」
1898年1月13日、作家エミール・ゾラが新聞『オーロール』紙に「私は告発する」と題する公開状を発表。
この中でゾラは軍部の不正を徹底的に糾弾し、フランス社会に大きな衝撃を与えました。
フランス社会の分裂
この事件はフランス社会を真っ二つに分けました:
ドレフュス派(再審支持):
- 進歩的共和派
- 知識人・作家
- 人権・正義を重視する人々
反ドレフュス派(軍部支持):
- 保守派・国家主義者
- カトリック教会
- 反ユダヤ主義者
新聞戦争の勃発
既存新聞 vs 新興新聞
『Le Vélo』(緑の紙に印刷):
- 1892年創刊の老舗スポーツ新聞
- 反ドレフュス派の立場
『L'Auto』(黄色の紙に印刷):
- 1900年創刊の新興新聞
- 財界のドレフュス派支持者がバックアップ
政治的対立が商業競争に
ドレフュス事件での政治的対立が、新聞業界での激しい競争を生み出しました。
L'Autoの支援者たちは、反ドレフュス派の『Le Vélo』を市場から駆逐したいと考えていたのです。
そのための「秘密兵器」がツールドフランスでした。
見事な戦略的勝利
ツールドフランスは見事に成功し:
- わずか1年でL'Autoがサイクリングジャーナリズムを完全制覇
- 競合紙『Le Vélo』は1904年に廃刊
- 皮肉なことに、『Le Vélo』の元編集長は後にL'Autoの記者として雇われた
ドレフュス事件の結末とその影響
最終的な正義
- 1899年: ドレフュスは特赦により釈放
- 1906年: 最終的に無罪が確定し、名誉回復
12年間にわたる長い闘いでした。
歴史への深い影響
1. シオニズム運動の誕生
この事件を目撃したハンガリー出身のジャーナリスト、テオドア・ヘルツルが、ユダヤ人の安住の地を求めてシオニズム運動を開始。現在のイスラエル建国につながります。
2. 政教分離の実現
事件を機にフランス政府は修道会を解散させ、1905年に政教分離法を制定。
3. 現代への影響
つい最近の2024年にも、フランス下院がドレフュス大尉を准将に昇進させる法案を全会一致で可決。130年経った今でも、この事件はフランス社会に影響を与え続けています。
歴史の皮肉
世界最大の自転車レースが、実は19世紀フランスの政治スキャンダルから生まれたというのは、なんとも興味深い歴史の皮肉ですね。
新聞の売り上げアップという商業的な目的で始まったツールドフランスが、120年以上経った今でも世界中の人々を魅了し続けているのです。
現在フランスに住む私としても、夫が毎年異常に興奮する理由がよく分かりました。ツールドフランスは単なるスポーツイベントではなく、フランス人のアイデンティティと深く結びついた文化的象徴なのですね。
L'Autoのその後と現代のツールドフランス運営
L'Autoの運命と戦後の変化
ツールドフランスを生み出したL'Autoは、1944年に廃刊となりました。理由は第二次世界大戦中にドイツ占領軍に協力したためです。
戦時中、L'Autoは占領軍のプロパガンダ機関の影響下に入り、レジスタンス活動家を「テロリスト」と呼ぶなど、占領軍寄りの報道を行っていました。
L'Équipe(レキップ)の誕生
L'Autoの代わりに、元L'Autoの記者だったジャック・ゴデが編集者となって新しいスポーツ新聞『L'Équipe』が1946年に創刊され、現在まで続いています。
興味深い事実: ツールドフランスの象徴的な黄色ジャージ(マイヨジョーヌ)の色は、実はL'Autoが黄色い紙に印刷されていたことに由来しています!競合紙Le Véloが緑色の紙だったので、L'Autoは差別化のために黄色い紙を使っていたのです。
**L'Équipe、現在でもメチャクチャ人気ですよ!**今ではL'Équipeのテレビチャンネルもあって、毎日夜遅くその日のサッカーの試合結果を生放送しています。
元選手たちやスポーツ専門ジャーナリスト(女性も)が出演して色々喋っているのですが、フランス人夫はこれを毎晩必ず見ます。
そして今も(執筆時)、ツールドフランスを聞きながら寝落ちしてしまったので、この歴史について知っていたかどうか聞けませんでした(笑)
現代のツールドフランス帝国を築いた男 ~エミリアン・アモリー~
自転車配達員からメディア王へ
ここで登場するのが、現代のツールドフランス運営につながる重要人物、**エミリアン・アモリー(1909-1977)**です。
波乱に満ちた生い立ち
- パリ南西48kmの小さな町エタンプの貧しい家庭に生まれる
- 12歳(一説では10歳)で学校と家族を離れ、自転車配達員として働く
- その後バーで働き、兵役を経て19歳でジャーナリストの秘書となる
エタンプってパリから1時間の距離なんですが、南フランスの私からすると遠いんです。ここからパリまで高速を飛ばして8時間くらいかかりますから!
まさに、エミリアン・アモリーの人生、ドラマみたいですよね。自転車配達員から一代でメディア帝国を築くなんて、映画になりそうな話です。
戦時中の危険な二重生活
アモリーはヴィシー・フランス政府の長官フィリップ・ペタンと協力していましたが、同時にその立場を利用してフランス・レジスタンスのために紙やその他の資材を秘密裏に調達していました。
この話、本当にすごいと思いませんか?こんな危険な綱渡りをよくやったなと驚きます。ペタン政権とレジスタンス、どちらにも協力するなんて、一歩間違えれば命に関わる話ですよね。
頭が切れたのか、それとも成り行きでどちらにも協力せざるを得なくなったのか...おそらく印刷業者として紙やインクなどの貴重な資材へのアクセス権を持っていたアモリーは、どちらの陣営にとっても「使える」存在だったのでしょう。
そして彼自身も、戦況を読んで「どちらが勝っても生き残れる」ように両方に保険をかけた、計算された戦略だったのかもしれません。頭いいですよね!?
この非常にリスクの高い二重スパイ的な活動により、戦後も政府から評価され、メディア事業を展開することができたのです。まさにフランス史の複雑さを象徴するような人物ですね。
L'Équipeの買収と現代ASO帝国の基礎
1965年、アモリーはL'Équipeを買収しました。興味深いのは、彼がツールドフランス運営にフェリックス・レヴィタンというサイクリング記者を送り込み、徐々に元編集者ゴデから運営権を奪取していったことです。
劇的な最期と現代への遺産
1977年、アモリーはシャンティイ近郊の森で馬から落ちて死亡。左翼新聞リベラシオンは皮肉を込めて「アモリー、馬から落ちる:馬は無事」という見出しで報じました。
落馬して亡くなるなんて、人生の幕引きもドラマチック!波乱万丈な人生ですね。きっと映画になっているんじゃないかな、このアモリ―さんの人生!
現代のアモリー帝国
- フィリップ・アモリー(1940-2006): エミリアンの息子、メディア王国を拡大
- マリー=オディル・アモリー: フィリップの未亡人、現在のグループの実質的なオーナー
- オロール・アモリー: フィリップとマリー=オディルの娘、現在のCEO
現代のツールドフランス運営 ~ASO~
現在ツールドフランスを運営しているのは**ASO(Amaury Sport Organisation)**という会社で、アモリー家の企業帝国の一部です。
ASOの現在の事業:
- ツールドフランス
- ダカールラリー
- パリ〜ルーベ
- その他70以上のスポーツイベントを21カ国で開催
フランス人って、こういう壮大で独創的なスポーツイベントを企画するのが本当に得意ですよね!ツールドフランス、パリ・ダカールラリー、ル・マン24時間レース、全仏オープン(ローラン・ギャロス)...
どれも世界的に有名で、しかも「普通じゃつまらない」「もっと過酷に、もっと美しく」という発想が根底にあります。3週間走り続けるとか、砂漠を横断するとか、距離や時間の概念が壮大。この独創性とエンターテイメント精神、フランス人の魅力の一つだと思います。
歴史の連続性
つまり、1903年に新聞の売り上げ向上のために始まったツールドフランスは:
- L'Auto時代(1903-1944): 創設・発展期
- L'Équipe時代(1945-1965): 戦後復活期
- ASO時代(1965-現在): 現代の商業化・国際化期
と、120年以上にわたって同一系譜の組織によって運営され続けているのです。
皮肉な結末: ドレフュス事件で対立していた競合紙Le Véloは1904年に廃刊となり、元Le Véloの編集長は後にL'Autoの記者として雇われました。
新聞戦争の勝者L'Autoも最終的には戦争協力で廃刊となりましたが、ツールドフランスという「遺産」は形を変えて現在まで受け継がれているのです。
おわりに
歴史を知ると、現在見ているものの見方が変わります。
今年のツールドフランスも、雨の中を駆け抜ける選手たちの姿を見ながら、「この大会が冤罪事件と新聞戦争から生まれ、自転車配達員出身の男が築いた帝国によって運営されているなんて...」と思うと、また違った感動があります。
世界最大の自転車レースが、実は19世紀フランスの政治スキャンダルから生まれ、貧しい町の少年の立身出世物語とも結びついているというのは、なんとも興味深い歴史の巡り合わせですね。
フランスという国の複雑で豊かな歴史の一端を垣間見ることができて、歴史好きの私にはたまらなく面白い発見でした。現在フランスに住む私としても、普段見ているL'Équipeのテレビやツールドフランスが、こんな波乱万丈の歴史を背負っているなんて、本当に驚きです。
皆さんも何かのスポーツイベントを見る時、「これはどうして始まったんだろう?」と調べてみると、意外な歴史に出会えるかもしれませんね。
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参考: ツールドフランス公式サイト、Wikipedia、各種歴史資料