マリーアントワネット最期の手紙

フランスの空の下から

今朝、猫たちにごはんをあげて、ハーブティーをいれていたとき、
ふと、マリー・アントワネットのことが心に浮かびました。

 

彼女は遠い過去の王妃。


でも、同じフランスの空の下で生きていると、ときどき、
その魂の声が風に乗って届いてくるような気がするのです。

 

そして今日は、彼女が処刑される朝に書いた「最後の手紙」を思い出しました。

 


🌪️かつての評価―「贅沢な悪女」「民衆の敵」

マリー・アントワネットと聞くと、
多くの人がこんな言葉を思い浮かべるかもしれません。

「パンがなければ、お菓子を食べればいい」

この冷酷で無神経な言葉が、彼女を「悪女」として語る象徴になってきました。


でも実はこれ、彼女の言葉ではありません

 

このセリフ「Qu’ils mangent de la brioche(彼らがブリオッシュを食べればいい)」は、
 

ジャン=ジャック・ルソーの自伝『告白』の中に登場する文章
 

ルソーが書いたのは1765年ごろで、当時マリーはまだ10歳。しかもフランスにすら来ていませんでした。

 

それにもかかわらず、革命のプロパガンダや風刺によって、
このセリフが“贅沢な王妃”マリーに結びつけられ、


「民衆を馬鹿にした冷酷な王妃」としてのレッテルが貼られていったのです。

 


👩‍👧‍👦マリーと4人の子供たちー母としての姿

彼女には4人の子供がいました。

  • 長女マリー・テレーズ(1778生)
     唯一、大人になるまで生き延びた「王家最後の生き残り」

  • 長男ルイ・ジョゼフ(1781生)
     王太子だったが、7歳で病死

  • 次男ルイ・シャルル(1785生)
     “ルイ17世”と名乗らされ、革命後は牢獄で10歳で死亡

  • 次女ソフィー(1786生)
     生後まもなく病死

マリーは子育てをとても大切にし、
豪華な宮廷ではなく、小さなプチ・トリアノンで
素朴な服を着せ、子供たちと自然の中で過ごすことを愛していました。

 

彼女にとって「母であること」は、
唯一の自由であり、静かな喜びだったのかもしれません。

 

 


💌ギロチンへ向かう朝ー最後に遺された手紙

1793年10月16日、早朝4時半。
マリーは義妹エリザベートへ宛てて、人生最後の手紙を書きました。


それは、死を前にした母の魂の祈りでもありました。

 

「わたしの最後の願いは、子供たちが、父と母に起こったことに対して、
だれにも恨みを抱かないことです」

 

「神はすべてをご覧になっておられます。
わたしの苦しみは終わりを迎えます」

 

「さようなら、愛しい妹よ。
わたしは心からあなたを抱きしめます」

 

怒りでも憎しみでもなく、
彼女は「赦し」と「愛」を最後の言葉に選んだのです。


🔮フランス魔女コミーユの語り

私はこの手紙を読むたび、静かに涙がこぼれます。

 

誤解され、引き裂かれ、処刑されたその人が、
最期に子供たちに願ったのは「誰も恨まないで」という言葉。

 

数秘術で見ると、マリー・アントワネットは「22」という特別な数字を持っています。


それは、理想と現実のはざまで生きる“建築者の魂”。

 

もしかしたら彼女は、
「時代の怒りを終わらせるための犠牲になること」さえ、
その魂で受け入れていたのかもしれません。

 


🌙今日の問いかけ

あなたがもし、最後に一通だけ手紙を書くとしたら、
誰に、どんな言葉を残しますか?

 

そして──その言葉には、
愛と赦しがありますか?

 


🕊️おわりに

私は今も、マリーの言葉を胸に置いています。


南フランスの田舎で、ハーブを摘み、猫と暮らしながら、
今日もそっと、誰かを優しく見守れるように生きています。

 

 

「誤解されること」「思いを伝えられないこと」──
そんな苦しさの中にいるときこそ、自分の本音を見つめたくなるものです。

 

タロットと数秘術で、あなたの“今の声”を読み解くお手伝いをしています。

 

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あなたの中に眠る“本当の思い”を見つける時間を、ぜひご一緒に。

 

最近、私の中でちょっとしたブームになっているものがあります。それは南フランスのロゼワインなんです✨

こんにちは!暑い日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

ロゼワインとの出会い

実は今まで、夏といえばバーで飲むプレッション(生ビール)が定番でした。あの冷たくてフルーティな味のビールが大好きでした。”大人のジュース”と私には思えて、暑い日には特に最高だったんです。アルコール度数も一桁台ですし。

 

でも、先日久々に立ち寄ったスーパーで、美しいボトルに目が留まりました。ワインといえば私の好みは白。魚介料理が好きなので、白が好き。ロゼワインって自分でわざわざ買って飲んだことはなかったですね。

 

フランスワイン ロゼ パリ金賞受賞

 

その美しいワインは、なんと2025年パリワインコンクールで金賞受賞したという南フランス産の2024年のロゼ!”ヴィラ・ロザリー Villa Rosalie”という名の 近隣で作られたものだったので、これは試してみなければと思い、1本購入してみました。値段は5€10だったから、約900円ですかね。

 

※ちなみにパリワインコンクールで金賞受賞は、ワインボトルの左肩下の丸いラベルでわかります。

 

フランスに観光や語学学校に来て、スーパーでワイン買う時、どれを買ったらいいかワインに詳しくないとわからないと思います。私もさっぱりわからないので、このパリワインコンクールのラベルや他のコンクールのラベルがついているワインを買っていますよ。はずれはないですから。値段も他のワインに比べてさほど高くないところがいいですね。まあ、お試しあれ!

 

初めて飲んだ感想

家に帰って、その日の夕食に間に合わず(冷え具合が)、翌日にはギンギンに冷えていたので飲んでみたところ...これがもう、本当に美味しかったんです!

 

まず驚いたのがその透明感のある美しい色合い。透明に近いピンクというよりも、少しオレンジがかった色で、グラスに注いだ瞬間から涼しげで上品な印象でした。

 

メーカーによって色味が違うのも面白いですよね。

 

そして味は、ミネラルウォーターのようにさっぱりしていて、暑い夏の日にぴったり!重たくなくて、するすると飲めちゃいます。でも、ただ薄いだけじゃなくて、ちゃんとワインとしての香りや味わいもありました。

 

これで夏の飲み物がプレッションからロゼに変わってしまいそうな予感です!

 

ただし、ビールに比べてワインはアルコール度数が高い(だいたい12-13度)ので、私のようにお酒に強くない人は要注意。グラス2杯までが私の限界です😅

お料理との相性も抜群

このロゼワイン、お料理との相性がとにかく良いんです!

  • お魚料理には軽やかさがマッチして
  • サラダにはさっぱり感が合って
  • チキン料理にも意外とよく合うんです

赤ワインだと重すぎるし、白ワインももちろんいいけどチョイスが多すぎるし、美味しい白はお値段もそれなり...そんな時にロゼワインがちょうど良いバランスを取ってくれる感じです。

 

でもロゼの魅力はとにかく透明感のあるピンクがかったオレンジ色かしら。なんか色効果というか、グラスに注がれたロゼやボトルのロゼを見ているだけで幸せな気分になるというか、癒されるというか(笑)

 

ワインの色の秘密〜ロゼ・白・赤の作り方〜

ロゼワインを飲むようになって、素朴な疑問が湧きました。「ロゼって特別な葡萄で作るの?」実は私も全然知らなかったので、調べてみたんです!

 

実は、ワインの色は葡萄の種類ではなく、作り方で決まるとわかりました!

 

フランスに住んでいてもアルコールに強くないし、ほとんど飲まなかったから、ワインの作り方さえ知らないという私(*´σー`)エヘヘ

赤ワインの作り方

黒い葡萄(赤紫色の皮)を使い、皮と一緒に長時間発酵させます。皮の色素が果汁に移ることで、あの深い赤色になるんですね。

白ワインの作り方

主に白い葡萄を使う。黒い葡萄でも皮をすぐに取り除いて発酵させま~シャンパーニュの「ブラン・ド・ノワール」が有名。皮の色素が移らないので、透明〜黄金色になります。

ロゼワインの作り方

黒い葡萄を使いますが、皮と一緒にする時間を短くします(数時間〜1日程度)。ほんの少しだけ皮の色素が移ることで、あの美しいピンク〜オレンジ色になるんです!

 

つまり、ロゼは赤ワインと白ワインの中間的な作り方をしているということですね。だから味わいも、赤の重厚さと白の軽やかさの良いとこ取りなんだと納得しました✨

 

ワインの作り方って、赤以外は皮を取り除く作業があって大変なんですね。知らなかった~。

南フランス特有の魅力

調べてみると、南フランスはロゼワインの本場で、特にプロヴァンス地方は世界最大のロゼワイン産地なんだそうです。地中海性気候と豊富な日照時間が、あの美しい色合いと爽やかな味わいを生み出しているんですね。

まとめ

今まで敬遠していたロゼワインでしたが、自分で買って飲んでみたらすっかりハマってしまいました。特に暑い季節には、冷やしたロゼワインが最高のお供になりそうです。

 

皆さんも機会があれば、ぜひ南フランスのロゼワインを試してみてくださいね。きっと新しい発見があると思います!

 

今度はどんなロゼワインに出会えるか、楽しみです🍷


今日も読んでいただき、ありがとうございました!

 

ツールドフランスの歴史を調べていたら、驚くべき事実が判明しました。世界最大の自転車レースの起源には、19世紀フランスの壮大な政治スキャンダルと新聞戦争が深く関わっていたのです!

 

 

こんな政治的背景があったなんて、全然知りませんでした!

 

先日、ツールドフランス2025について記事を書いたのですが、「なぜツールドフランスが始まったのか?」という疑問が湧いてきて調べてみると...これは単なるスポーツの歴史ではなく、フランス社会を二分した大事件の物語でもありました。歴史好きの私には、もうたまらなく面白い発見でした。

 

ツールドフランスは新聞の売り上げアップのために始まった

まず驚いたのが、ツールドフランスの始まりがとても商業的だったということ。

 

1903年、世界最高峰の自転車レースが誕生した本当の理由は「新聞の販売促進」でした。

 

創設者とその動機

アンリ・デグランジュという元自転車選手でジャーナリストが、自分の新聞『L'Auto』(現在の『L'Équipe』)の売り上げを伸ばすために考案したのがツールドフランスだったのです。

 

当時、L'Autoの発行部数はわずか2万部。経営が苦しく、サイクリングファンを失う余裕もありませんでした。

 

運命的なアイディアの誕生

1902年11月、デグランジュは部下と緊急会議を開きました。若い従業員のジェオ・ルフェーブルが提案したのが:

 

「自転車競技場(トラック)で人気の6日間レースのようなレースを、フランス全土で開催してはどうでしょう?」

 

当時、屋内の円形自転車競技場で6日間連続で走り続ける耐久レースが人気でしたが、ルフェーブルはそれを屋内の限られたコースではなく、一般道路を使ってフランス全国規模でやろうという壮大なアイディアを出したのです。

 

これまでにない規模の長距離レース。誰も試したことのない壮大な実験でした。

 

第1回ツールドフランス(1903年)の実態

最初は大失敗の危機

最初の計画は6月1日から7月5日の5週間レース、参加費20フラン(現在の約2万円)でしたが...

 

開始1週間前に申し込んだのはわずか15人!

 

慌てたデグランジュは条件を大幅に変更:

  • 開催期間を7月1日〜19日に短縮
  •  
  • 賞金総額を20,000フラン(現在の約2,000万円)に増額
  •  
  • 参加費を10フラン(現在の約1万円)に減額
  •  
  • 上位50位まで1日5フラン(現在の約5,000円)を保証

結果、79人が登録し、60人が実際にスタート。

 

1903年当時としては、20フランの参加費はかなり高額だったでしょうし、2,000万円の賞金総額は破格だったと思います。だからこそ最初は15人しか申し込まなかったのが、条件を緩和したら79人に増えたんですね。

 

過酷すぎる第1回大会

  • 総距離: 2,428km(現在の3,320kmより短いが)
  •  
  • ステージ数: わずか6ステージ
  •  
  • 1ステージ平均: 400km(現在は平均171km)
  •  
  • 完走者: わずか21人

選手たちは道路脇で眠り、自分で宿泊先を手配し、工具や交換用タイヤを背負って走っていました。他者の協力は一切禁止という、現在では考えられない過酷な条件でした。

 

想像してみてください...工具をガチャガチャ背負いながらペダルを漕ぐ選手たち、道路脇で野宿する世界レベルのアスリート。現代の超ハイテクなチームサポートと比べると、ちょっとシュールで可笑しくもありますよね。ここ、笑っちゃいけないんだけど、想像すると可笑しすぎて噴き出してしまいました。不謹慎ですね、私。すみません。

 

驚異的な成功

この無謀とも思えるレースは大成功を収めました!

 

L'Autoの発行部数は:

  • ツール前:25,000部
  • ツール後:65,000部
  • 1908年:25万部超
  • 1923年ツール中:1日50万部
  • 記録的発行部数:1933年の854,000部

しかし、なぜ新聞戦争が起きたのか?

ここからが本当に興味深い部分です!

 

ツールドフランス創設の背景には、フランス史上最大の政治スキャンダル「ドレフュス事件」があったのです。

 

ドレフュス事件 ~フランスを二分した冤罪事件~

ドレフュス事件って、なんとなく聞いた記憶はあるのですが、内容は全く覚えていませんでした。調べてみると、これがまた想像以上にドラマチックで複雑な事件だったんです。

 

事件の概要

1894年、フランス陸軍参謀本部のユダヤ人大尉アルフレド・ドレフュス(35歳)が、ドイツ軍にフランスの軍事機密を流したスパイ容疑で逮捕されました。

 

決定的な証拠もないまま、彼は終身禁固刑を言い渡され、フランス領ギアナ沖の悪魔島(ディアブル島)に送られます。

 

ディアブル島って...悪魔島ですよ!名前からして恐ろしすぎませんか?思わず笑っちゃいました。フランス人のネーミングセンス、時々すごく直球ですよね。

 

真実の発覚

1896年、フランス陸軍情報部の調査により、真犯人がフランス陸軍の少佐フェルディナン・ヴァルザン・エステラジーであることが判明。

 

しかし軍上層部はこの事実を隠蔽し、エステラジーは軍法会議で無罪となりました。

 

エミール・ゾラの「私は告発する」

1898年1月13日、作家エミール・ゾラが新聞『オーロール』紙に「私は告発する」と題する公開状を発表。

 

この中でゾラは軍部の不正を徹底的に糾弾し、フランス社会に大きな衝撃を与えました。

フランス社会の分裂

この事件はフランス社会を真っ二つに分けました:

 

ドレフュス派(再審支持)

  • 進歩的共和派
  • 知識人・作家
  • 人権・正義を重視する人々

反ドレフュス派(軍部支持)

  • 保守派・国家主義者
  • カトリック教会
  • 反ユダヤ主義者

 

新聞戦争の勃発

既存新聞 vs 新興新聞

 

『Le Vélo』(緑の紙に印刷)

  • 1892年創刊の老舗スポーツ新聞
  • 反ドレフュス派の立場

 

『L'Auto』(黄色の紙に印刷)

  • 1900年創刊の新興新聞
  • 財界のドレフュス派支持者がバックアップ

 

政治的対立が商業競争に

ドレフュス事件での政治的対立が、新聞業界での激しい競争を生み出しました。

L'Autoの支援者たちは、反ドレフュス派の『Le Vélo』を市場から駆逐したいと考えていたのです。

 

そのための「秘密兵器」がツールドフランスでした。

 

見事な戦略的勝利

ツールドフランスは見事に成功し:

  • わずか1年でL'Autoがサイクリングジャーナリズムを完全制覇
  • 競合紙『Le Vélo』は1904年に廃刊
  • 皮肉なことに、『Le Vélo』の元編集長は後にL'Autoの記者として雇われた

 

ドレフュス事件の結末とその影響

最終的な正義

  • 1899年: ドレフュスは特赦により釈放
  • 1906年: 最終的に無罪が確定し、名誉回復

12年間にわたる長い闘いでした。

歴史への深い影響

1. シオニズム運動の誕生 

この事件を目撃したハンガリー出身のジャーナリスト、テオドア・ヘルツルが、ユダヤ人の安住の地を求めてシオニズム運動を開始。現在のイスラエル建国につながります。

 

2. 政教分離の実現 

事件を機にフランス政府は修道会を解散させ、1905年に政教分離法を制定。

 

3. 現代への影響 

つい最近の2024年にも、フランス下院がドレフュス大尉を准将に昇進させる法案を全会一致で可決。130年経った今でも、この事件はフランス社会に影響を与え続けています。

歴史の皮肉

世界最大の自転車レースが、実は19世紀フランスの政治スキャンダルから生まれたというのは、なんとも興味深い歴史の皮肉ですね。

 

新聞の売り上げアップという商業的な目的で始まったツールドフランスが、120年以上経った今でも世界中の人々を魅了し続けているのです。

 

現在フランスに住む私としても、夫が毎年異常に興奮する理由がよく分かりました。ツールドフランスは単なるスポーツイベントではなく、フランス人のアイデンティティと深く結びついた文化的象徴なのですね。

 

L'Autoのその後と現代のツールドフランス運営

L'Autoの運命と戦後の変化

ツールドフランスを生み出したL'Autoは、1944年に廃刊となりました。理由は第二次世界大戦中にドイツ占領軍に協力したためです。

 

戦時中、L'Autoは占領軍のプロパガンダ機関の影響下に入り、レジスタンス活動家を「テロリスト」と呼ぶなど、占領軍寄りの報道を行っていました。

 

L'Équipe(レキップ)の誕生

L'Autoの代わりに、元L'Autoの記者だったジャック・ゴデが編集者となって新しいスポーツ新聞『L'Équipe』が1946年に創刊され、現在まで続いています。

 

興味深い事実: ツールドフランスの象徴的な黄色ジャージ(マイヨジョーヌ)の色は、実はL'Autoが黄色い紙に印刷されていたことに由来しています!競合紙Le Véloが緑色の紙だったので、L'Autoは差別化のために黄色い紙を使っていたのです。

 

**L'Équipe、現在でもメチャクチャ人気ですよ!**今ではL'Équipeのテレビチャンネルもあって、毎日夜遅くその日のサッカーの試合結果を生放送しています。

 

元選手たちやスポーツ専門ジャーナリスト(女性も)が出演して色々喋っているのですが、フランス人夫はこれを毎晩必ず見ます。

 

そして今も(執筆時)、ツールドフランスを聞きながら寝落ちしてしまったので、この歴史について知っていたかどうか聞けませんでした(笑)

 

現代のツールドフランス帝国を築いた男 ~エミリアン・アモリー~

自転車配達員からメディア王へ

ここで登場するのが、現代のツールドフランス運営につながる重要人物、**エミリアン・アモリー(1909-1977)**です。

 

波乱に満ちた生い立ち

  • パリ南西48kmの小さな町エタンプの貧しい家庭に生まれる
  • 12歳(一説では10歳)で学校と家族を離れ、自転車配達員として働く
  • その後バーで働き、兵役を経て19歳でジャーナリストの秘書となる
 

エタンプってパリから1時間の距離なんですが、南フランスの私からすると遠いんです。ここからパリまで高速を飛ばして8時間くらいかかりますから!

 

まさに、エミリアン・アモリーの人生、ドラマみたいですよね。自転車配達員から一代でメディア帝国を築くなんて、映画になりそうな話です。

 

戦時中の危険な二重生活

アモリーはヴィシー・フランス政府の長官フィリップ・ペタンと協力していましたが、同時にその立場を利用してフランス・レジスタンスのために紙やその他の資材を秘密裏に調達していました。

 

この話、本当にすごいと思いませんか?こんな危険な綱渡りをよくやったなと驚きます。ペタン政権とレジスタンス、どちらにも協力するなんて、一歩間違えれば命に関わる話ですよね。

 

頭が切れたのか、それとも成り行きでどちらにも協力せざるを得なくなったのか...おそらく印刷業者として紙やインクなどの貴重な資材へのアクセス権を持っていたアモリーは、どちらの陣営にとっても「使える」存在だったのでしょう。

 

そして彼自身も、戦況を読んで「どちらが勝っても生き残れる」ように両方に保険をかけた、計算された戦略だったのかもしれません。頭いいですよね!?

 

この非常にリスクの高い二重スパイ的な活動により、戦後も政府から評価され、メディア事業を展開することができたのです。まさにフランス史の複雑さを象徴するような人物ですね。

 

L'Équipeの買収と現代ASO帝国の基礎

1965年、アモリーはL'Équipeを買収しました。興味深いのは、彼がツールドフランス運営にフェリックス・レヴィタンというサイクリング記者を送り込み、徐々に元編集者ゴデから運営権を奪取していったことです。

 

劇的な最期と現代への遺産

1977年、アモリーはシャンティイ近郊の森で馬から落ちて死亡。左翼新聞リベラシオンは皮肉を込めて「アモリー、馬から落ちる:馬は無事」という見出しで報じました。

 

落馬して亡くなるなんて、人生の幕引きもドラマチック!波乱万丈な人生ですね。きっと映画になっているんじゃないかな、このアモリ―さんの人生!

 

現代のアモリー帝国

  • フィリップ・アモリー(1940-2006): エミリアンの息子、メディア王国を拡大
  • マリー=オディル・アモリー: フィリップの未亡人、現在のグループの実質的なオーナー
  • オロール・アモリー: フィリップとマリー=オディルの娘、現在のCEO

 

現代のツールドフランス運営 ~ASO~

現在ツールドフランスを運営しているのは**ASO(Amaury Sport Organisation)**という会社で、アモリー家の企業帝国の一部です。

 

ASOの現在の事業:

  • ツールドフランス
  • ダカールラリー
  • パリ〜ルーベ
  • その他70以上のスポーツイベントを21カ国で開催

 

フランス人って、こういう壮大で独創的なスポーツイベントを企画するのが本当に得意ですよね!ツールドフランス、パリ・ダカールラリー、ル・マン24時間レース、全仏オープン(ローラン・ギャロス)...

 

どれも世界的に有名で、しかも「普通じゃつまらない」「もっと過酷に、もっと美しく」という発想が根底にあります。3週間走り続けるとか、砂漠を横断するとか、距離や時間の概念が壮大。この独創性とエンターテイメント精神、フランス人の魅力の一つだと思います。

 

歴史の連続性

つまり、1903年に新聞の売り上げ向上のために始まったツールドフランスは:

  1. L'Auto時代(1903-1944): 創設・発展期
  2. L'Équipe時代(1945-1965): 戦後復活期
  3. ASO時代(1965-現在): 現代の商業化・国際化期

と、120年以上にわたって同一系譜の組織によって運営され続けているのです。

 

皮肉な結末: ドレフュス事件で対立していた競合紙Le Véloは1904年に廃刊となり、元Le Véloの編集長は後にL'Autoの記者として雇われました。

 

新聞戦争の勝者L'Autoも最終的には戦争協力で廃刊となりましたが、ツールドフランスという「遺産」は形を変えて現在まで受け継がれているのです。

 

おわりに

歴史を知ると、現在見ているものの見方が変わります。

 

今年のツールドフランスも、雨の中を駆け抜ける選手たちの姿を見ながら、「この大会が冤罪事件と新聞戦争から生まれ、自転車配達員出身の男が築いた帝国によって運営されているなんて...」と思うと、また違った感動があります。

 

世界最大の自転車レースが、実は19世紀フランスの政治スキャンダルから生まれ、貧しい町の少年の立身出世物語とも結びついているというのは、なんとも興味深い歴史の巡り合わせですね。

 

フランスという国の複雑で豊かな歴史の一端を垣間見ることができて、歴史好きの私にはたまらなく面白い発見でした。現在フランスに住む私としても、普段見ているL'Équipeのテレビやツールドフランスが、こんな波乱万丈の歴史を背負っているなんて、本当に驚きです。

 

皆さんも何かのスポーツイベントを見る時、「これはどうして始まったんだろう?」と調べてみると、意外な歴史に出会えるかもしれませんね。


関連記事: 今年は違う!フランス人夫の興奮でツールドフランス2025に初めて本気で注目した話

参考: ツールドフランス公式サイト、Wikipedia、各種歴史資料

ツールドフランス始まった!

毎年この時期になると、我が家の寝室はちょっとした戦場になります。

 

なぜかって?フランス人夫がツールドフランスに夢中になるから(笑)

 

 

私はいつものように、テレビがある寝室で、ネットをしながら聞き流し。

 

夫が「おい、ここすっごくキレイだぞー、見ろよ!」と強く言う時だけ、画面を見上げるのが恒例でした。

 

確かにフランスはどこを切り取ってもまるで絵画のよう。ツールドフランスは特に美しい町や村を選んでコース設定しているので、その映像美には毎回うっとりしていました。

 

でも今年は違った。

 

「今年は俺たちの近くを通過するんだ!」

夫がいつも以上に興奮して言うので、私も初めて真剣に画面を見てみることにしたのです。

リアルタイム観戦中!雨のスタートにフランス人夫が激怒

7月5日、ついに開幕したツールドフランス2025。

 

北フランスの都市リールからスタートしたのですが...なんと大雨!

選手たちはまるでシャワーを浴びながら、びしょ濡れで走り始めました。

 

するとフランス人夫、テレビを見ながら一言。

「雨じゃないか!」

明らかに怒ってる(笑)

 

きっと選手たちの安全を心配してるんでしょうね。雨だと路面が滑りやすくなって、落車のリスクが高まりますから。

 

でも実は、この雨は地元の人たちにとっては恵みの雨だったかもしれません。

 

今年のフランスは異常気象で、なんと北の方が南より暑いという摩訶不思議な状況。

 

先日はパリやノルマンディーで42℃やそれ以上の日が3日も続いていたんです。

 

こちら南フランスは38℃くらいだったので、本当に逆転現象でした。

 

だから開幕日の雨は、選手以外の住民には喜ばれていたと思います。

初めて知ったツールドフランスの凄さ

真剣に見始めてみると、ツールドフランスって本当にすごい大会なんですね!

 

今年の基本情報

  • 期間: 7月5日〜7月27日の23日間
  • 総距離: なんと3,320km!
  • ステージ数: 全21ステージ
  • 特徴: 2020年以来、全ステージがフランス国内のみ

北のリールからスタートして、最後はパリのシャンゼリゼでフィニッシュ。3週間もかけてフランス全土を駆け巡るなんて、想像しただけでもクラクラします。

 

しかも今年のコースは山岳ステージが6つもあって、そのうち5つが山頂フィニッシュ!2級以上の山岳コースが26カ所って...選手たちの体力、どうなってるんでしょう。

注目選手もチェックしてみました

タデイ・ポガチャル(スロベニア) 連覇を狙う絶対的エース。昨年はステージ6勝という圧倒的な強さでした。

 

ヨナス・ヴィンゲゴー(デンマーク) ポガチャルの最大のライバル。この2人の激闘が今年も見どころになりそう。

 

レムコ・エヴェネプール(ベルギー) 注目の若手選手。今年のコースに有利という予想もあって楽しみです。

日本で見るには?

私みたいに「今年は見てみたい!」と思った方のために調べてみました。

 

J SPORTSで全ステージを生中継・配信してくれます。

  • 第1ステージは無料開放
  • AmazonプライムのJ SPORTSなら14日間無料体験可能
  • YouTubeでも各ステージ開始1時間を無料配信

これなら気軽に見始められますね!

実際に応援に行ってみたい

真剣に見てみて分かったのは、フランス人がなぜこんなにツールドフランスを愛するのかということ。

 

選手たちの走る姿もすごいけれど、沿道で応援する人たちの熱狂ぶりも本当にすごいんです。みんな仮装したり、大きな声援を送ったり。

 

私たちの住む地域の近くも通過予定なので、今年は実際に沿道で応援してみたいなと思っています。

 

雨の第1ステージから始まった今年のツール。これからどんなドラマが待っているのか、夫と一緒にハラハラしながら見守りたいと思います。

 

皆さんはスポーツ観戦、しますか?普段興味のないスポーツでも、何かのきっかけで見始めると意外とハマってしまうことってありますよね。

 

今年は私にとって、ツールドフランス元年になりそうです!