裏表紙の文面より・・・
自閉症児・者はなぜ深い困り感を抱くのか。その困り感
の世界を著者の深い洞察や最新研究、哲学から具体的
に紹介する。またどのような支援がぴったりするかも具体
的に紹介する。従来の紋切り型の自閉症理解にとらわ
れていると目から鱗が落ちる感じがする本。
こんな表書きにつられて、ちょっと読んでみた。
- 自閉症児の困り感に寄り添う支援 (学研のヒューマンケアブックス)/佐藤 曉
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今回私が読んだのは、上記のものだが、
それ以外にも、同じ著者の以下のような著書も
あるようだ。
- 見て分かる困り感に寄り添う支援の実際―通常の学級に学ぶLD・ADHD・アスペの子どもへの手立て (学研のヒューマンケアブックス)/佐藤 曉
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- 発達障害のある子の困り感に寄り添う支援 (学研のヒューマンケアブックス)/佐藤 暁
- ¥1,890
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定型発達の人達と比べた、視覚的に想像できる違い
を、かなり斬新な図などを多用して、解説してくれている
一冊だ。
(内容が、重度の自閉症の子の例を含んで取り上げている為
そこまでの指導は不要と思われる箇所も、部分的にあるが・・・)
特に、第2章の「乗れる島の少ない子ども」という所では、
なかなかうまい表現で、日常の困り感のもととなる世界を
表現してくれているな~と感心した。
そして、著者は、この本の中で、
自閉症を理解する事は、『弱さ』を受け入れる事だと表現
している。
定型発達者の論理は、すべて『強者』の論理であり、
その論理を、自閉症の人達の世界にも、強要することは
ないのだ・・・と。
結構、この論理は、「社会的引きこもり」などの研究を
されている諸先生方の論理と共通するものが多いな・・・
と感じた。
要するに、社会的弱者・・・といわれる立場の人に共通する
考えではないか?と。
そして、他者理解とはどういうことか・・・という事に関しては
理解する為には相手を変えようとするのではなく、
『自分が変わる』ことだと。
そこで大切なのは、【親の立ち位置】
ここからは、本文より抜粋させて頂く。
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*定型の側に親が立ち続けている場合
子どもは定型の側からものさしをあてられ、常に今のまま
ではだめだといわれる。「私が頑張れば、自閉症は治る」と
固く信じる親は、世間の目を代表することで、子どもを追い
詰めているだけかもしれない。定形外にいる子どもは、ひと
りぼっちで悲しすぎる。
*親の立ち位置を、定形外側に移動させてしまう場合
親が動いて、定形外から定型の世界を眺めてみる。こうして
わが子に寄り添ってみると、子どもが定型の世界に住もうと
した時の息苦しさが実感できるかもしれない。定型の側から
は、しばしば無理解の波が押し寄せてくる。そんな時、子ども
の前に立ちはだかり、防波堤を作ってあげるのが親ではない
だろうか。
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この考え方は、自閉症児のみでなく、もっと幅広いマイナー
な立ち位置にいるわが子と接する場合に、応用して考えら
れるものだと思う。
‘不登校の子’・・・でもそうだし、‘身体的・精神的疾患を抱える
子’・・・もそうだろうと思う。
誰しも、わが子に何か異変を感じた時、最初は、定型側の論理
で、何とかわが子をその範囲内から大きく離れないように・・・と
前者の立ち位置で、子どもと接することになる。
ところが、これが多くの場合、わが子をより追い詰めることに
なり、親によっては、潔くこの立ち位置を変えることで、子ども
への寄り添い方を知るのだろう。
潔く、立ち位置を変えられる親を持った子は、幸せだ。
きっと、本当の理解者を、すぐそばに持つことで、安心できる
心の基地を得る事が出来、その子なりの最高の成長を見せて
行く事だろう。
でも、親といえども、人によって、性格も違えば、育ち方から培っ
た常識と信じるところも違う。
だから、親側に一定の立ち位置を強要することは出来ないのだ
と思うけど、子どもにとって、どうすることが一番「しあわせ」なの
か?と考えてみると、徐々に納得できていくことなのだろう。
ここでは、当事者が子どもである場合の話に絞っているが、
当事者が大人であった場合、そして、配偶者がいる場合には、
その立場は親のみに限ったことではなく、配偶者であったり、
子どもの方だったりすることもあるかも知れない。
そんなことを、ふ~っと考えていたら、ちょっと色々なことに
対する思い込みから楽になったような気がした。