どうするティリー?
レオ・レオーニ 作/谷川 俊太郎 訳
かべが なかったころのことを、
ねずみたちは もう、おぼえていなかった。
かべは あるのが あたりまえだった。かべのむこうに なにが あるのか、そもそも むこうなんてものが あるのかどうかさえ、気にしなかった。
ねずみたちは かべなんて ないかのように、まいにちを くらしていた。
壁が高くても、ながくても…、知恵と好奇心で壁のむこうを(むこうなんてあるの?)あきらめないねずみのおはなし。
上に引用したのは、おはなしの冒頭です。
なんだか、ざわざわします。
「かべがなかったことのことを、ねずみたちはもう、おぼえていなかった」
おはなしのつづきを紹介してしまうと、ティリーは思ったより高かくて、思ったより長い壁のむこうにいくことができます。
そして、そこは、壁の向こうからやってくる巨人はいないし、おとぎのくにではありません。
でも、すごくすごくうれしい風景なのです。
最後まで読んで、うーんとうなってしまいます。
「かべがなかったことのことを、ねずみたちはもう、おぼえていなかった」
わたしは、誰かが争いごとの末にひいた一本の線が、あたかも地球上にあるような気になって、国境と呼ぶ。
その線のむこうは、いまある線がなければ、ねずみたちが壁のむこうを行き来するのと同じうれしい風景かもしれないのに。
今あることを「あれれ?これってあたりまえなんだっけ」とたちどまったとしたら、あたりまえじゃなくなる前のことをちょっとやってみるというのは、知恵も勇気も必要だけど、やってみてそんすることはないかもしれません。
やらないよりは。
こどもとまた一緒に繰り返し読んでみようと思いました。
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