事ではないだろうか

しかし、それは幼少の頃から親に
教えられてきた事



今までは、当たり前のようにやっていた
だけど、我に返ると何かおかしい…
我が家には仏壇がある。

だけど、不思議に思った事は
誰しも時に、立ち眩みなど起きることがある
その時に、何処で、どの場所で、いつ
起こるかはわからない

頭では、そこに何があるか、気付いていても
どうすることもできない!!
バランスを保とうとしても無理な場合もある
その時に、衝撃で倒れてしまった仏壇の
水入れ



確かにある。だが、母の言葉に
怒りをおぼえた。何故なら、倒れた兄の位牌を
見て「謝りなさい」と言い続けるからだ



意味がわからない。確かに悪いことをした時
例えばわかっていながらもわざと位牌を倒したとか
そんなときは、謝れと言われたら
納得もするだろう

けど、悪気もなくどうにもならない時に
謝れと言われて納得出来るはずもなく…
倒れたものは、立て直したとして
謝る。と言うのは、力説なんだろうか!?
良いことも、悪いことも神様は仏様は見ている
だとするならば、どんな状況でどのような
感覚だったのかなど、神にはお見通しのはずだ
なのに、、悪いことをした訳でもないのに
何故謝らなければならないのか……
その、真意を問いたい。





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