1 宮戸卓
君がルポライターの神塚さんだね。はじめまして、宮戸卓(みやとすぐる)です。遠くからわざわざ来ていただいて申し訳ない。取材を引き受けたはいいものの、腰が痛くて。はは、老人になったものだ。まあ、でも、口は現役だから心配することはないよ。じゃあ、さっそく約束通りあの事件について話そうか。長丁場になるかもしれませんが、お付き合いください。
今から約三年前。あの日は今日みたいに寒い秋空でした。私が部屋に入ると彼女はすでに座って待っていました。簡素などこにでもあるセーラー服を着ていましたが、艶のある黒髪と真っ赤な唇のせいでとても大人びて見えました。ええ、とても美しい女の子でしたよ。私の姿を目で捉えると、彼女は少し目元を細めましたが、表情を大げさに変えることはありませんでした。感情の起伏が少ない子なのかなという印象を受けましたね。
そんな感じで取り調べは始まりました。私は「はじめまして」と声を掛けながらスチールデスクを挟んで彼女の真正面に座りました。すると、彼女は私の目をじっと見つめてきました。声を発するわけでもなく、ただただ彼女は瞳を見つめてきました。不思議に思って、どうしたのかと尋ねると、彼女はゆっくりと微笑んでまた表情を無に戻しました。この時一切、彼女の心情を読み取ることはできませんでしたね。
怖気づきそうになりましたが、なんとか心を立て直し、私は彼女に質問をいくつか投げかけることから始めました。
「あなたは、北添真広(きたぞえまひろ)さんですか」
この質問に彼女は軽く頷きました。これが、彼女との初めての意思疎通になります。内心、答えてくれないかもしれないとビクビクしていましたから、答えてくれた時はとても嬉しかったです。
「では、北添さん。あなたの生年月日を教えてください」
私がそう言うと北添さんはゆっくりと口を開きました。
「1994年11月20日です」
喋り方は、なんと言いますか、言葉を選ばなければ機械的だという表現が一番適当に思われるような、そんな感じでした。まるでロボットが喋っているかのように流暢でなめらかなのです。けれど、そんな考えは喋っていくうちに取り払われました。北添さんと距離を縮めると、またある特徴が出てきたんですよ。それについては追々話しましょうか。話を続けますね。
「職業は」
「高校生です」
「そう。学校は楽しい?」
「はい」
「好きなことはある?」
「お菓子作り、です」
こんな風に私たちは核心に触れない、当たり障りのない会話を数分間続けました。なぜって?そりゃあ、最初から喰ってかかっても答えてくれるわけがないでしょう。特にこのような事件を起こした被疑者ですからね。常人と同じ扱いをしたらこちらが痛い目に遭うだろうと、その時は本能でしました。
ただ、聞いていた犯人像と彼女は遠くかけ離れていてだいぶ驚きました。聞いていた犯人像というのは、マスコミなどが報道しているアレであったり、警察内部で広まっていた情報から推測していたものなのですが。それらから、私は勝手に凶悪で冷酷な人間なのだとばかり思っていたんです。ところが、北添さんは凶悪どころか、とても穏やかで優しい人間でした。不思議ですねえ。私の質問にも全て答えてくれましたよ。最初こそ、機械的な喋りでしたが、さっきも言った通り、だんだんと優しい口調に変化していきましたし。距離を詰めれば詰めるほど、なぜ彼女が被疑者なのかが分からなくなっていったのです。けれど、もしかしたら、これも演技だったのかもしれませんね。今ではもう聞くこともできませんが。
私は軽い質問を30分ほど続けたところで、いよいよ本題に入りました。その時の心情?緊張しましたね。はい、とても。そりゃあ、もしかしたら、罪から逃げたくてなにか暴動を起こすかもしれないでしょう。そう思ったら、怖くてなかなか言い出せませんでした。でも、聞かなければ聴取にはなりませんから、意を決して私は問いかけました。
「北添さん。伊尾木彗(いおきけい)という人物を知っていますね」
伊尾木くんの名前を出した途端、彼女はほおっと顔を赤く染めました。
「知っていますね」
強く聞くと、彼女は笑ってこう言いました。
「はい、知っています。私が殺した恋人の名前です」
私は人生で一番の衝撃を受けました。体中の毛が立つような、身を捩って逃げ出したくなるような、そんな気持ち悪さが全身を駆け巡りました。北添さんの表情といい話し方と言い、何もかもががゾッとするんです。後ろで調書を書いていた警察官も手を止めたほどでした。
ピクリと動かなくなった私を見て、彼女は首を傾げました。
「どうしましたか」
彼女はねえとても大きな瞳をしているんですよ。それは、とてもとても。あなたの二倍はあると思います。はは、それなら私の五倍はあることになりますね。それくらい、彼女は大きな瞳を持っているんです。そんな目で彼女は私を覗き込みました。騒ぎも暴れもせずに、ただ私のことを気にかけているのです。伊尾木くんを殺したと言ってしまえば、刑は免れないのに。それに、こんな奇怪で残虐的で気味の悪い事件です。いくら少年法があるといっても、彼女は18歳です。十分に死刑も考えられるでしょう。それなのに、北添さんはまるで人ごとのように人を殺したと証言しました。その気味悪さに私は身悶えたのです。
「いや、気にしないで。それで、あなたは本当に彼を殺したのですか?神に誓って真実ですか?」
「私は無神論者なので神に誓うことはできませんが、真実であることに変わりはありません。私が彼を殺しました」
私は彼女の言葉は真実であると確信しました。物理的なものではなく、精神的な何かを感じ取りました。嘘をついているように全く見えなかったのです。それどころか、とても毅然としていて、余裕すら見えました。
怖かったです。本心を言えば私は彼女に対して恐怖心を覚えました。六十近い爺さんがたった十八歳の少女を怖いと思ったのですよ。異常です、異常。
それでも、何とか歯を食いしばり、私は聴取を続けました。
「なぜ、殺したのですか」
この問いに彼女は少し考え込みました。少し経ち、彼女は心底不思議そうにこう言いました。
「愛していたから」
そう言った彼女の目は恍惚としていました。なにかに酔いしれているような表情でした。
この返答に私は少し困りました。愛していたから殺した、というのはとても理解できるものではありません。しかし、そういう事例がないわけではありません。また、好きという感情ではなく単に死体に欲情する人々もいます。けれど、彼女の場合は違う。欲情するから殺したのではなく、たんに自分のものにしたかったから殺したのではないでしょうか。私は今もそう考えています。
それに、伊尾木くんの体全体につけられていた赤い傷もそれを象徴しています。きっと、あれは彼女にとってのキスマークだったのではないでしょうか。別の取り調べの日、彼女がそのようなことを言っていたのを聞いた気がします。
供述はまだまだ続きますが、お話しできるのはここまでです。すみません、色々と上から指示が出ているもので。
あぁ、そうですね。あなたの言いたいことはよくわかります。この事件のもう一つの出来事を知りたいのでしょう。
もちろん、私はそのことについても尋ねました。この出来事こそがこの事件の顔ですからね。
「それでは、北添さん。あなたはもう一つ罪を犯しましたね」
私が尋ねると、彼女は頷きました。
「伊尾木くんへお菓子をプレゼントしていた。違いますか?」
「いえ、合っています」
そう言いながら彼女は遠くを見つました。きっと、死んだ彼のことを思い出していたのでしょうね。
お菓子をプレゼントをするだけなら何ら問題はなかった。けれど、彼女はその中に毒を混ぜてしまった。報道で知っているとは思いますが、彼女は彼にあげるお菓子の中に毎回、毒物を混入させていました。
どうしてそんな間違いが起こってしまったのか。私は彼女を問い詰めました。
すると、彼女はぽつりぽつりと吐き出しました。
「最初は、本当にプレゼントするつもりでお菓子を上げていたんです。でも、彼が頼ってくれるのが嬉しくて。愛が行き過ぎたのかもしれません」
高校生同士のカップルで愛しあっているというのは、世間的には信じられないことですが、彼女たちにとっては普通のことのようだったのです。普通、高校生同士のカップルというのは、手を繋ぐ、キスをする、デートをするというような軽いものを想像するでしょう。けれど、彼女は違った。彼女は彼を愛していた。周りが見えなくなるほどに。彼もまた彼女を愛していた。好きではなく愛している。その部分が世間を騒がせる要因の一つとなったのでしょう。
まあ、でも、私はこれ以上話しませんよ。はは、不思議そうな顔をしているね。怒らないでくれ。これは彼女との約束なんだ。お菓子のことについては内緒にしてくれってね。報告として上に伝えるべきことは伝えたけれど、それ以外は語らなかったよ。彼女の意思を尊重しようと思ったんだ。死刑になって今はもうこの世にいない。それだったら、そのくらいの小さな望みなら叶えてやってもいいだろう?だから、君には報道されている以上のことは語らない。どうしても知りたいというのなら、他をあたってくれ。さ、出口はあちらだよ。
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