「ちょっと失礼します」

奥様は私に一言添えて、ゆっくりと腰を上げた。

奥様が中座したとき、オーナーがハッとしたように切りだした。

「ごめんなさい。私ばかり話してしまって。
今日は年金のことを教えてもらうために来て頂いたのに。」

「あぁ、そうでしたね。」

オーナーの話にすっかり引き込まれていた私も本来の目的を思い出した。

オーナーは話し過ぎたことを恐縮していたが、しかし私にとっては実に有意義な時間であった。

それは、オーナーの仕事に向き合う基本姿勢、またそれだけでなく、しっかりと利益目標も考えていて、そしてそれを変に気取らずありのままを話してくれる実直さ。

色々な角度からオーナーの人と成りがよくわかったからだ。

中でも特に私が感心したのは、利益に対する明確なビジョンを持っていたことだ。

ここでちょっと触れておきたい話がある。

商売人との付合いが多い私は、最近よく思うことが一つある。

それは、

「お客様に喜んでもらえればいいんです。お金は後からついてくるはずです」

このセリフを言う商売人が多いということ。

特に若い世代の、起業して3~4年の起業家に多い気がする。

もちろんその考えも正しいと思う。

だが現実的には、このセリフを言う起業家の大半が実は儲かっていないことが多い。

このセリフを口にする起業家が100人いたとする。
では、本心で心の底から「お金は後から…」と思っている起業家が果たして何人いるだろうか?

なぜこんなことを言うのかというと、
私自身がそう思っている時期があったからだ。

それは、初めて『異業種交流会』に参加したときだった。

今から5年前のことだ。

当時の私は悩んでいた。仕事が全然うまくいかず、本当にお金に困っていた。

前職、社員5000人の一部上場企業で、営業マンとして常にトップ10入りしていた過去の面影はもうどこにもない。

心配する妻や両親の反対を押し切ってまでこの仕事に転身したにも関わらず、貯金は底を尽き、あげくの果てにはタンカを切った両親に頭を下げ、お金を借りた。

そんななか、藁にもすがる思いで参加した異業種交流会。

知り合った独立起業家の面々は、誰もが夢やビジョンを熱く語っていた。

『みんなすごいな。俺はまだまだ足りないな』と痛感した一幕だった。

そしてそのときに仲良くなった起業家たちと定期的に会合の場を設けた。

彼らは口々に言っていた。

「お金は後から…
だからみんなで頑張ろう」と。

だから私もそう思った。

だが私の場合、いつまでたってもお金はついてこなかった。

朝から晩まで駆けずり回って、周りの人たちが喜んでくれそうなことをやり、それが自分の仕事だと勘違いし始めてもいた。

仕事に費やしてる時間は一日18時間。

だが、結果は出ない。

あるとき、ふと思った。

『俺は何をやっているのだろうか?』と。

周りの人に喜んでもらうってどういうことか。

その人が望むことを満たしてあげるのが私の仕事ではない。

その人に合った正しい保障を持たせてあげるのが私の仕事だ。

だから、本来の仕事で周りの人たちに喜んでもらわなければならないのだ。

私は大きく本質をはずしていた。

正しい保障を提供し、持たせてあげることでしか私には収入が入らない。

収入が見込めてこそ、初めて『仕事』と言えるのである。

だから自分の収入を確保することが、まず何より必要なことなのだ。

その上で周りの人をサポートすべきである。

自分自身が食べるお金もないのに、人のために時間を費やすのは、本末転倒である。

そんなのは偽善かボランティアでしかない。

なのに私はそこにはまっていた。

大きな勘違いであった。

だから私は、『自分の仕事を理解してほしい』と、当時仲良くしていた起業家たちに伝えることにした。

だが、みな総じて反応が悪い。

こういうことだった。

「みんなで良くなっていこうと誓っていたのに、あいつは自己主張をし始めた」と。

また、こうも言われた。

「あいつは俺たち仲間を相手に商売しようとし始めた」と。

そうして私はそのグループから声を掛けてもらえなくなっていった。

でもどうだろう?

本当に仲間なら、普通その仲間の仕事に貢献してあげたいと思わないだろうか?

だから私は飲食店の仲間のところにはよく食べに行ったし、別の仲間にもその店を宣伝もした。

でもそのグループは、私が見る限り、お互いの仕事に積極的に貢献しあおうとはしていなかった。

要するに、月に一度の集まりの場だけで、慰め合っていただけなのである。

『お金はまだついてこないけど、俺たち私たち、大丈夫だよね⁉
こんなにたくさんの仲間がついてるんだから大丈夫だよね⁉』


私はそのグループから疎遠になったことに悔いはなかった。

「それは絶対に違う」

そう確信していたからだ。

私は今、何とか食べていけるだけの仕事ができている。

唯一収入を生み出してくれる本業に、真正面から向き合い、全うしているからだと思っている。

私の仕事を理解し、そしてお客様になって下さった方々が応援してくれているのだ。

その結果、お客様のおかげでお金が後からついてきたのである。

だから私も心からお客様のために何かを手伝おうという気持ちにもなる。

これこそが仲間と言えるのではないだろうか?

だから私は、この仕事をしていくうえでの自分のビジョンを明確にした。

『夢を追う商売人を影で支えていこう』と。

とは言え、私は決して経営に関する能力も経験もない。

経営コンサルタントではないのだ。

だからその商売のことにとやかく口を出すことはできない。

だが、起業家が本業である商売に没頭できるように、お金に関する不安を少しでも取り除いてあげることなら充分にできる。

これこそが、私が商売人を支えていける唯一のメソッドである。

だからこの部分に関しては、商売人に発信していこうと。

時に嫌われるだろう。
「お前にそんなこと言われる筋合いはない」と。

でもそんなことは構わない。

私がいっしょになって夢を語っていても仕方がないのだ。

その商売人が夢を実現できるために影の支えになること、それが私の責務なのである。

お金というのは実にシンプルである。

二つの側面で見ればいいだけのことなのだ。

要は、「出」と「入」である。

だが、夢を追っているときは、総じて「出」が先行してしまう。

「出」はいつでも明確に目の前に立ちはだかる。

店の家賃、仕入れ、光熱費、人件費…


だが「入」はなかなかメドが立たない。

よほど蓄えがあるなら話は別だが、大抵は数ヶ月、数年で底をつく。

だから底をつく前に「出」と「入」のバランスを逆転させなければならないのだ。

ところが「夢」が先行している起業家たちのほとんどが、「出」に対してどれだけの「入」が必要かということに真剣に向き合おうとしていない。

大切なことだとわかっているのに向き合わないのだ。

それはほとんどの場合、

「入」のことを考えると、「夢」が汚れてしまう

との発想からだ。

だがその結果、体力(蓄え)が限界に達し、夢を諦めることとなってしまう。

ちなみに、私の当時の起業家仲間が
14~15人いた。

だが、5年経った今もその商売を続けているのはたった4人である。


話がかなり横道にそれてしまったが、

このオーナーはそうではなかったのだ。

師匠である料理長の教えを真摯に受け止めていたからだろう。

店舗を決めるときにしても、しっかりと集客数の見込みを立て、「出」と「入」のバランスを計算できていたのだ。

だからといって、このオーナーも夢を持っていなかったわけではない。

夢を持ちつつ、冷静な判断も同時にしていただけのことである。

私はオーナーに率直に聞いてみた。

「店を持つときは、とかく期待と不安が交錯して冷静さを失っていることが多いと聞きますが、澤村さんは、利益目標のことまでしっかりイメージされていたのですね⁉」

「いえいえ、私も決して冷静だったとは言えませんよ。
ただ私の場合、私の盲点に妻がうまく気がついてくれていたことが大きかったのです。」

そして続けた。

「それに、利益が出るか出ないかもわからない状況で商売をスタートするなんて、そもそも自殺行為じゃないですか?」

私は改めて感心した。

『その考えがなかなかできないものなのに』と。

すると奥様が、娘さんのオレンジジュースを運んで戻ってきた。

ついでではないだろうが、私にはアールグレイを淹れてくれた。

「さあ、それでは、本題に入りましょうか?」

私は姿勢を正し、二人の目をしっかりと見つめた。

するとオーナーは、あぐらを正座に戻してくれた。

それはまるで、父親の説教を受ける子供のようであった。



つづく…


























私はこのご夫婦がますます好きになった。


娘さんのオレンジジュースを用意しつつ、私にはおかわりとしてアールグレイを淹れ、奥様は席に戻った。






玄関のチャイムのボタンを押すと同時に、
「は~い」
というかわいい声がドアの向こうから聞こえてきた。

出迎えてくれたのは、髪の長い、かわいい女の子だった。

6歳になるオーナーの娘さんだ。

私の緊張は一気にほぐれた。

かわいい女の子の笑顔に癒されたこともあるが、それだけではない。

様々なご家庭におじゃましている中で、私の経験上、子供にお出迎えさせるご家庭はウェルカムなスタンスになってくれている場合が多い。

奥様がどんなスタンスなのかという点に気を揉んでいた私は、そんな理由から、娘さんのお出迎えで肩の力が一瞬にして抜けたのである。

オーナーだけでなく、奥様も私の自宅訪問を受け入れて下さっている証拠であった。

娘さんに続いてオーナーも出迎えてくれ、私はリビングへ通された。

リビングだけでなく、壁は全て漆喰塗り。
ラフなコテ跡が、落ち着いた雰囲気を演出している。

しかも要所要所に置かれた観葉植物も実にバランスよく、
まさに「癒し」の空間であった。

私はオーナーに促され、腰をおろした。

対面キッチン越しには奥様が優しい微笑みで私を見ている。

「いらっしゃいませ。今日はありがとうございます」

「いえ、とんでもありません。
こちらこそお招き頂きありがとうございます」

そんな奥様との初めてのご挨拶だった。

奥様はすぐさま私にコーヒーをもてなしてくれ、そしてそのまま席についてくれた。

私は、奥様の応対に安堵感を覚えると同時に身が引き締まった。

「このご夫婦のために私が持ちうる全ての情報をお伝えしよう」

そう思った。

今日は年金の話をしにおじゃましたのである。
だが、本題に入る前に私はオーナーご夫婦に尋ねた。

お二人が出会ったきっかけ、
ここまでどのような人生を歩んできたのか、
なぜ店をやっているのか、
今後どうしたいのか、

などなど…、

気がつけば、そんな話だけで既に30分が過ぎていた。

だが私にとっては、目の前にいるお客様のことを少しでも知る義務がある。

考え方や価値観は人それぞれである。
私の考えを一方的にお伝えするのは極めてナンセンスだ。
それではただの押し付けでしかない。

その方のスタンスにできるだけ沿った形で対応策を講じてあげることが大切だと思っている。

聞いてわかったことがたくさんある。

このオーナーは、初めから飲食の道を目指していたわけではなかった。

幼少の頃の家族旅行。
このときの感動と思い出は今も胸の中にしっかりと残っているらしく、
だから旅行に携わる仕事がしたかったらしい。

観光の専門学校に進み、旅行会社への就職を望んだが儚くも夢叶わず、代わりにホテルに就職することになる。

ベルボーイとしてホテルマンをスタートしたが、料理長に可愛がられて調理場に異動することになる。

そう、ここでシェフとしての第一歩を踏み出したのだ。

人生とはわからないものである。

全く想像だにしていなかった人生が、たった一人の『人』との出会いで、劇的に変化したのだ。

そして今がある。

彼は当時の料理長にみっちり仕込まれた。

料理だけではなく、人として、あるいは料理人としてどうあるべきか?

「料理人はとかく傲慢になりがちだ。『自分が作るんだから旨いに決まってる。俺の料理を旨いと思わない奴は味がわからない奴だ』なんていう料理人がいるが、絶対にそうなってはいけない。
料理は決して主役ではない。食す人の環境や気持ちありきなのだ。

だから、家族のことを思い大切な人に喜んでもらいたい一心で作る料理が最高の料理なのだ。
そのことを忘れるな」

これが、オーナーが師匠と仰ぐ料理長の教えだそうだ。

さらに料理長はこう言ったそうだ。

「だが店を持つということは、ランダムな複数の人を相手にしなければならない。その一人一人にフォーカスすることは現実的に不可能だ。

だから難しいんだ。

もしお前がいつか店を構えたいと思ったなら、そこをどうするかよく考えろ。その答えが見つからないうちは店を持つ資格はないと思え」

この言葉を聞き終えた瞬間、私は間髪入れずにオーナーに尋ねた。

「澤村さん、あなたは今こうして店を構えているわけですよね。ということは、その答えを見つけたということですか?」

オーナーは私の目をじっと見つめ、そしてゆっくりと話し始めた。

「見つけたとまではいかないかもしれません。なぜなら答えが正しいかどうかは始めてみなければわからないわけですし…。
ただ私なりに考え、そして導きだした答えで見切り発車しようと。」

その答えとはこうだ。

「初めは知らない人に食べてもらうわけだから、その人に合わせることは無理じゃないですか。当然、食べて頂くメニューはこちらがリストアップしたなかから選んで頂くしかないわけですし。
でもそれならば、選んで頂いた料理を出すタイミングを図ることで、少しでも心地よく食べてもらえるのではないか?
その人の雰囲気や水の飲み具合、一人で来てるのか仲間と来てるのか。
そういうシチュエーションでもある程度は想像することはできるじゃないですか?
『あ~、このお客さんは相当腹ペコなんだなぁ』とか。だったら1分でも早くテーブルに届くてあげなきゃって感じで。

なので、厨房からホールが丸見えになるようなレイアウトにしようと思ったんです。
私自身の目でお客様の様子が見えることがまず第一。
それからホールスタッフにもお客様の様子をよく観察するよう徹底しました。
『あのお客様はあと1~2分でサラダを食べ終わるだろう』とか。
もしタイミングをはずしてしまったと思ったときは、何か一品サービスするとか。

そして二つ目は、リピーターだけでやっていこうと。
常連さんなら人となりがよくわかってくるし、気軽に会話もできる。そうすれば、今そのお客様が求めているものも見えやすいですよね⁉
だから初めて来て下さったお客様には、必ずまた来てもらえるような意識を強く持って臨んでいるんです。

片川さんが先日初めてご来店下さったときも私から話し掛けましたよね?

感想を聞きたかったのと、親しくなることで『気軽にまた来てもいいかな⁉』と思ってもらいたかったんです。

それに、この『リピーターにこだわる』という考えは、実はコストダウンも見込めたんです」

私はオーナーの言っている『リピーター=コストダウン』という意味がピンとこなかった。

オーナーは続けた。

「つまり店舗の賃料です。
私も立地条件を考えたとき、最初は人通りが多くできるだけ目立つ場所を探しました。
でもなかなか見つからないのと、あっても賃料が高いんです。

その物件のスペースの大きさと私がイメージする料理の価格設定で計算すると、私が望む利益が実現できないんです。

私はまさに八方ふさがりになっていました。

ところがあるとき、妻のある言葉で私の目の前は一瞬にして明るくなったのです」

そう言いながらオーナーは自分の妻へ目をやった。

そんなこともあったわねとでも言いたげに、奥様がプッと軽く吹き出した。

つられて私もすかさず奥様に目をやった。

「で、奥様はどんなことを言ったのですか?」

私の問いかけに奥様が、
「私はそんなこと覚えていないんですけど…」

と言いかけた途端、オーナーがそれを制して続けた。

「『リピーターでやっていくなら一元さんに沢山来てもらう必要はないんだから、別に場所なんてどこでもいいんじゃない?
むしろ、住宅街の方がご近所付き合いもできていいんじゃないかしら』って言ったんです。
確かにその通りだと思いました。

私たちの店舗探しは、まったく別の視点からになりました。すると、今まで全く目にも止まっていなかった物件があるわあるわ、沢山出てきたのです。
今の店はその中から選びました。

でも実際にあの場所を決断するときは勇気がいりました。
本当に住宅街で大丈夫だろうかという不安はやはり完全に消えてはいなかったですから」

その決断が正しかったかどうかは、オーナーのこれまでの冗舌ぶりから、それ以上の言葉は必要なかった。

賃料は当初見込んでいた金額の約半分で済んでいるそうだ。


私たちの会話が一瞬途切れたとき、そのタイミングを図っていたのか、

「ねぇママ、のどがかわいた」

かわいい声がリビングに響いた。



つづく…








電話をかけてきた低い声の主は、さっきまで美味しい料理を食べさせてくれたオーナーシェフだった。

「こんな時間に本当に申し訳ありません。澤村(仮名)と申します。
先ほどご来店頂いた店主です」

「あぁどうも、先ほどはごちそうさまでした」

「いえいえ、こちらこそありがとうございました。
それで早速用件なんですが、先ほど年金の話をさせてもらったじゃないですか? 今美容師さんに片川さんが来店されたことのお礼かたがた電話をしたのですが、

美容師さんが『年金の話を聞かせてもらった方がいい。保険に入る入らないは関係なく教えてくれるから』と言ってくれたんです。
ですので是非お願いしたいのですが、本当によろしいのでしょうか?」


今のこの言葉で、私は「この人なら喜んで時間を割いてもいい」と思った。

なぜなら、私をその店に案内した美容師さんに対し、即座にお礼の連絡を入れていたからだ。

お世話をして下さった方へ感謝の気持ちを持ち、そしてその気持ちをタイムリーに伝えている。

私もそうだが、これがなかなかできないものだ。
どうしても忙しさにかまけて遅れがちになってしまう。

でもこのオーナーは、間髪入れずに行なったわけだ。

私は快諾すると同時に、一つだけ条件をつけさせてもらった。

「澤村さん、わかりました。大丈夫ですよ。
ただ一つだけ承知してほしいことがあります」

オーナーは一瞬言葉を詰まらせ、そして恐る恐る言った。

「や、やっぱり保険ですか?」

よほど過去に保険屋に嫌なことをされたのだろう⁉
保険屋に対しかなりの恐怖心や嫌悪感を抱いているようだ。

もちろんそんなことではない。

「いえいえ、そんなことではありません。
承知してほしいのは、必ず奥様とごいっしょに時間を作ってほしいということです」

どんな条件を突き付けられるのだろうかと構えていたオーナーは、少し肩透かしをくらったようだった。

「えっ、それだけですか?」

「はい、それだけ承知して頂ければ大丈夫です」

「わかりました。妻もかなり不安がっているので、むしろ逆にその方がありがたいです」

低くかすれていたはずのオーナーの声が、やや弾んでいるように聞こえた。

私たちはアポイントの日時を決め電話を切った。


家に入り寝室を覗くと、妻と子供たちは深い眠りについていた。
それも当然だ。
腕時計に目を向けると、1:00になろうとしていた。

どっと疲れていたこともあり、私は乱雑にスーツを脱ぎ、それをハンガーに掛けることもせずに一目散にバスルームに向かった。

ぬるめのお風呂につかりながら、私はオーナーのことを考えていた。

年金への不安…

きっとそれは誰もが感じていることなはず。
でも、まだ40歳にも届かない若さでここまで真剣に考えているというのはどうしてなのか?

本来、全ての日本人がこうあるべきなのだが、現実は違う。

これだけ不況が長引くと、日々の生活や目先のお金が優先されて、先々のことに目が向かないのが実情だ。

さらに言うと日本人は、数ある先進国の中でも特に国の施策に疎い国民なのだ。
社会保障制度に対しても、何となく不満はあるけどよくわからないし面倒なので、よって与えられたものを無意識のうちに黙認してしまっている。

サラリーマン時代の私もその典型だった。
毎月給料明細をもらうたび、
「なんでこんな4万円も5万円も引かれるんだ?
なんか損してる気がするけどまぁいいや」

こんな感じである。

でもそんななかこのオーナー夫婦は、先々のことに思いをはせ心配している。

確かに傾向としては、サラリーマンより自営業者の方がお金の心配をする人が多い。

ただここ数年、私が出会う自営業者は、このへんの意識が低い人が多い。

それは、商売自体がうまくいってない人が多いからだ。

当然である。
この不況下で、「儲かって仕方がない」なんて人に出会う確率は極めて低い。

先々のことより、目先の支払いに困っている人の方が大多数なわけである。

では、このオーナーは実際どうなのか?

今の考えからすると、きっと儲かっているのではないかと推測できる。

ただ推測で決めつけても仕方がない。
お会いしたときに答えはわかるのだから。

そんなことを考えながら、私はベッドに体を横たえた。



数日後…


約束の時間より30分早くオーナー宅に着いた。

私はいつもそうしている。
できるだけ早めに到着し、まずは家を確認しておきたいのだ。
確認ができたらまたそこを離れ、近くで待機する。

オーナー宅は、イギリスの庭園をイメージさせるようなお洒落な家構えであった。

私はちょっとだけ緊張していた。

オーナーとは顔を合わせ会話もしているが、奥様とは今日が初めてだからだ。

アポイントの時間まであと2分というところで、私は玄関の正面に立ち、一つ大きく深呼吸をしてチャイムのボタンを押した。


つづく…