大分、間が空いてしまいましたが、
ボヤキと共にアップしている JAL A350-941。
今回は、母親に関することのボヤキ!
文章の中に、女性蔑視のような記述があるかも知れないが(昭和生まれだから)、決して差別、軽蔑しているわけではなく、感心しているのである。
大正 15年4月生まれ、現在 95歳と5ヵ月の母親。
ついに、大正、昭和、平成、令和と 4世代を生き抜いてしまった。
かなり前から聴力が衰え、認知症(たぶん、アルツハイマー型)もある。
人の認識、私のことも判別ができているので助かっている。
ただ、ロシアのプーチン大統領がテレビに出てくると、
あの人は、いつも(近所の公園で行われていた)ラジオ体操に来てた人だ。
偉くなったんだね~。 と私をはじめ、訪問介護の看護師さんに繰り返し話している。
(笑)
父親が亡くなって 2年と5ヵ月。
とても仲の良い夫婦だった。 父親は80歳を過ぎても働いていた。
母親は、ずーっと専業主婦。 (完璧な昔のスタイル!)
だが、父親は、90歳を超えてから、体調が色々と悪化。
耳は遠くなるし、パーキンソン病と思われる手の震え。
右手で字が書けなくなり、食事も左手でやっと ・・・
母親の方も耳が遠くなり、ボケが進んでくる。
父親は、だんだん意思の疎通が取れなくなり、イライラが増大!
筆談しようにも、字が書けない。
父親は、日々の生活、家庭のことを考えていたのだが、
母親には、その心配とかが全く伝わっていなかった!
結果、父親は怒鳴り散らすようになり、母親は理解できないのでストレスが溜まった。
それまで母親も体調が悪かった。 血圧とか不整脈。
訪問診療のお医者さんは循環器内科の先生。
父親の死後半年ぐらいから、体調は良くなる傾向に。
先生曰く、「父親の存在がかなりのストレスになっていたのだろう」と。
熟年離婚を、妻の方から切り出す。
なんとなく、理解できる。
女性たちは、本能的にストレスを回避できるように思考ができているのだと思う。
不思議なことに、自分の母親(私からだと祖母)の思い出話はよくするのだが、
自分の夫(私の父親)の話はこれまでなし。
自分の結婚生活 60年+ は亡却の彼方か!
現在、私が母親の介護というか世話をしている。
私の前では決して裸や下着(リハビリパンツ)の交換を見せない。
プライドは、かなり高いのかも?
週 2回、1時間の訪問看護の看護師(女性)さんには、入浴等お世話になっている。
そして、私のボヤキ(前置きがかなり長かったが)!
都合の悪いことは、すべて他人のせい、もしくは忘れる。
私がやったんじゃないよ! と。
看護師さん、ヘルパーさんを悪者にする。 (私に対してのアッピール)
食事の時間は決まっているのだが、その前につまみ食い!
日にちの感覚はなし。
ベッドにいる時間も長いので、昼夜感覚もくるっている。
いつも使うものが、あるべき場所にない!
認知症だと分かっているのに、
私はイライラして母親に対応する。
そして、罵声を浴びせてしまう。
バカだ、あほ!、たわけ! 等々 ・・・
先日、食事のことで怒って、母親を泣かしてしまった! (初めて!)
何やってんだろ オレ!
世話をすること自体は、決して嫌なわけではない。
でも、なぜこんな気持ちになってしまうのか?
自分がみじめで、情けない ・・・
気持ちが落ち込むことは、結構あるのだ。
ちなみに、母親とは別棟の別居です。
四六時中、一緒にいるわけではありません。
7号機です。
JL912 便 . OKA ⇒ HND RW16L へ
JA07XJ .
ノーマル塗装 ・・・
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がんばって、続きます!
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