二月十四日。
 それは、俺にとって**「ただの平日」**だ。

 

 四十五歳。派遣社員。独身。
 髪は後退し、腹は前進し、恋愛経験は停止したまま二十年以上。

 今年も例外なく、職場でチョコをもらうことはなかった。

 

 女性社員が誰かに渡すチョコを机に置くたび、
 俺は悟りを開いた僧のような顔でモニターを見つめる。

「俺には関係ない……俺には関係ない……」

 定時? そんなものは幻想だ。
 残業を終え、コンビニで半額の板チョコを買う。

「はいはい、自分用ですよーっと」

 誰に言うでもなくつぶやく。

 家に帰って、ひとりで食う。
 それが俺のバレンタイン。

 ――のはずだった。

 


 

 

 外に出た瞬間、空が割れた

 バリバリバリィィン!!!!

 まるで巨大なガラスが砕け散るような音。

「……は?」

 夜空から、光の柱がドォォォンと降り注ぐ。

 周囲の人間は全員、
 歩いた姿勢のまま、
 スマホを見たまま、
 完全停止。

 瞬きすらしない。

「え、なにこれ……俺、ついに過労で死んだ?」

 すると、空中に巨大スクリーンが出現した。

 

 無機質な声が響く。

『全宇宙バレンタイン統計局より発表』

「……なに局だよ」

『本年度、最も報われていない男。
 最もチョコと縁がない男。
 最も存在が薄い男』

 俺の顔写真がドーン。

『認定。対象者:田中』

「やめろォォォ!!」

 晒すな!
 宇宙規模で晒すな!

『よって、救済プロジェクトを発動する』

 目の前に、円形の転送装置が現れた。

「いやいやいやいや!
 こういうの断る選択肢ないの!?」

 返事はなかった。

 強制的に吸い込まれる。

 


 

 気づくと、真っ白な空間。

 そこに――

 ありえないほど美しい女性が立っていた。

 長い黒髪。
 透き通る肌。
 スタイルはモデル級。

 どう見ても二十歳くらい。

 俺は理解する。

「……あ、これ夢だ」

 彼女が微笑む。

「あなたに、人生で初めての“本命チョコ”を渡すために生まれました」

 俺はその場で気絶した。

 


 

 

 

 次に目を開けると、巨大ステージ。

 なぜか左右に、総理大臣っぽい人、ハリウッドスターっぽい人、世界的富豪っぽい人が並んで拍手している。

 上空には

《田中のバレンタイン
 世界同時生中継》

「情報量多すぎだろ!!」

 美女が俺の前に進み出る。

 跪く。

 両手で小さな箱を差し出す。

「好きです。
 結婚を前提に付き合ってください」

 背景で花火が上がる。
 天使が飛ぶ。
 オーケストラが鳴る。

 俺は震える声で言った。

「……夢なら……覚めないでくれぇぇぇ!!」

 彼女は優しく微笑む。

「夢じゃないですよ。
 現実を書き換えましたから」

 俺は泣いた。

 四十五年分泣いた。

 


 次の瞬間。

 気づくと、元のコンビニ前。

 人々は普通に動いている。

「……あれ?」

 手の中を見る。

 小さなチョコの箱。

 隣を見る。

 美女が立っている。

「帰りましょ?」

 俺は、半額板チョコを棚に戻した。

「……今日は、自分用いらないな」

 彼女は笑った。

 こうして。

 史上最も報われない男は、
 史上最も幸せなバレンタインを迎えた。

――完――