さくらも咲き始め、暖かくなり始めて、いい季節ですね。

でも、スルピリはこの季節、実はあまり好きじゃない。

3月末にかけての決算のための棚卸しに始まり、4月の年度始めからは、

新人さんの受け入れ、診療報酬(調剤薬局では調剤報酬)の改定や薬価の引き下げへの対応。

このあたりは医療関係の人じゃないとわからないかもしれませんが、1000万円分の薬の在庫が薬価引き下げで、例えばの話、4月になって、700万になったら、300万円の大損です。


日本は基本的に国民皆保険なので、患者さんには保険証を持ってきて頂き、自己負担分以外をあとで保険請求することになりますが、この時期、期限の切れた保険証を持ってきたり、まだ、保険証が発行されていないので、もってこなかったというひとも多いんです。

そして、保険証というのを、医療関係以外の人で、意外に軽視している人が多く見受けられます。

信じられないことに職場の同僚に保険証を簡単に貸してしまう人さえいる。

案の定、借りたほうはそれを使ってサラ金で金を借りて、あとで取り立て屋が貸したほうに来るということがありました(いまは保険証だけでは、お金を借りられないみたいだけどね)。

結局、保険証を借りたほうは、詐欺容疑で警察につかまり、他にもいろいろ悪いことしてたらしく今は、刑務所にいるんじゃないか?と父は言っていました。父の会社にいた人間なんです。


ところで、仕事以外にも、よく言えば新しい出会いが多いこの季節。

社会全体が浮き足立っているような感じがします。

中3の頃は「スタートダッシュが肝心」と受験勉強に必死になり始めた覚えがありますが、社会人1年目の頃はリキ入れるあまり、5月6月ころに精神的にも肉体的にも疲れが出始めてきて、5月6月病になった覚えがあります。それどころか、最近では4月5月は季節の変わり目ということもあって、

なぜか毎年せつない気分になることが多くなってしまった。


そんなとき、自分は車か電車で初夏の海を見に行きます。

夏は暑くて行く気しないのに、この時期に行きたくなるんです。

そして、潮の香りと波の動きと音を感じながら、ボケーとする。

行くまでの、道のりも大事です。群馬出身で埼玉在住の自分は海にたどり着くまで、2時間はかかる。

そして、「やっと着いた~!」という喜びをかみしめます。海辺に住んでたら、こういう喜びはないでしょう。


そんなこんなで、プチ旅行への「漂白の思い」にかられている自分でした(^∇^)



他の薬剤師はどうかわかりませんが、いきなりこられるとスルピリをビビらせる患者がいます。

それは、妊婦。

妊婦の場合、多くの薬が投与データに乏しいため、添付文書(薬の説明書)を見ても、「原則として使用は避ける」とか「ベネフィット(有用性)がリスク(危険性)を上回った場合のみ、投与」などと書かれています。

周産期には「絶対過敏期」というものも存在するし、動物実験で「催奇形性(奇形児が生まれる可能性)」が疑われる薬もあります。なので、小児科や産科のある病院の薬剤師はそういう大変さがあるんでしょうね。

ところで、スルピリの姉は助産師です。40代になり、娘・息子の二人は中学生になり、分娩の最前線からは、少し離れたところで、母親学級や子育て相談の仕事をしていますが、20代の頃は、昼夜を問わず、様々な分娩に立会い、肝を冷やす場面もたくさんあったそうです。

お金がもったいない、めんどくさいなどという理由で、定期健診を全く受けず、いきなり産気づいて救急車で運ばれてくる妊婦。

産気づくまで、妊娠したことに気付かない妊婦。

分娩費用を払わずにトンズラする夫婦。

お金の未払いは医事課に任せるとして、定期健診を全く受けていない妊婦は、母子共に危険であることはいうまでもなく、それを受け入れることは、訴訟リスクなども考えると受け入れる側にとっても、非常に危険なことなのです。

そして、助産師は一晩に30人近い生まれたての赤ちゃんの状態を注意して観察しなければなりません。

だから、当直(夜勤)で寝られたことはほとんどなく、過酷な勤務を強いられます。

実際、姉の以前勤務していたT大付属病院では、うつぶせ事故で赤ちゃんの呼吸が停止し、結果、担当していた

姉の先輩助産師が刑事告訴され、有罪判決を受けています。

こんな状況を目の当たりにした産科医や助産師などのスタッフは、とてつもない不安感を日々感じていたことでしょうし、マスコミの報道を見た医学生や看護学生はこんな仕事にはつきたくないと思うのが自然だと思います。

スルピリは当直の睡眠不足から交通事故の加害者になったことがあります。相手も車で大したけがではありませんでしたが、「当たり屋」のようなチンピラじみた感覚をもった被害者で保険会社が仲介に入ったから、よかったものの、散々吹っかけられ、電話で脅され、苦しんだ覚えがあります。

同じように「自分の子供を殺された!」といってここぞとばかりに訴えて、大金をせしめようという親が信じられないかもしれませんがいるんです!そして、それをけしかける弁護士も。

先に起きた都立墨東病院での受け入れ拒否事故では、親は医療機関を訴えませんでしたが、この訴訟リスクを回避するシステムを作らない限りは、いくら給料を上げても、医学部の定員を増やしても、産科医や助産師のなりては減り、既存の産科医・助産師は疲れ果て、辞めていくか、過労死・過労自殺する危険性が多分にあります。

事態は切迫していると思います。




今日は、おやすみ。


シネコンの貯まったポイントを使って、映画『おくりびと』を見てきました。


最初こそ、笑うこともあったものの、最後はなみだ涙の感動モノでした。


アカデミー賞を受賞となると、日本では当たり前のものが外人さんには新鮮に見えたんじゃないか?とか


遺体を処置する仕事の映画なんて気持ちわるい、こわい。


こういったイメージを描くひとも多いでしょう。


僕も初回上映時はそうで、もう一つ見たい映画があったので、結局見ませんでした。


しかし、百聞は一見に如かず。


こと映画に関しては邦画の場合、よく練られているものが多いので、


実際見てみないとわからないぞ、と思い今日出かけました。


見終えて思いましたが、確かに「不幸」には違いありませんが、


冠婚葬祭の中で、誰も避けて通れない、一番おごそかなものが「葬」だと思います。


そして、天国や来世があるなら、まさしく旅立ちの儀式が「葬」だと思います。


僕の祖母が天寿を全うしたとき、納棺士さんに服を着せてもらい、化粧をしてもらった覚えがあります。


それはとても荘厳な雰囲気に満ちた儀式でした。


医療関係の仕事をしていた自分には「遺体を扱う仕事なんて楽なもんだよ」という意識が


ココロの片隅にあったかもしれません。


でも、あの映画のように遺体や亡くなったひとの遺志を粗末にしない納棺士や葬儀屋がいるなら、


とてもおごそかであり、神聖ささえ感じてしまう職業であると感じました。


そういえば、別の病院で働いていたとき、自分が死んだら、医学の発展のために自分の遺体を


大学医学部に献体したいという人の献体契約書がカルテにはさんであるのを見たことがあります。


ひとに歴史あり。ひとに遺志あり。


そして、自分は悔いのない人生を・・・とつくづく思いました。