私が12歳の頃、祖母が胃がんで亡くなった。

幼い頃、両親は共働きで、よく祖母にお世話になった。
今でも思い出すのが、祖母におんぶしてもらっていたことだ。

近くに銭湯があって、幼い頃はよくそこに連れて行ってもらった。
悪戯もした記憶があるけど、それは忘れたことにして(^^;)
まだ5~6歳だったか、疲れていないのに、疲れたなんて嘘をついて、よくおんぶしてもらっていた記憶がある。

祖母の背中はとても温かく、優しさに包まれていた。
それがとても好きだった。

幼かった頃、祖母と一緒に布団に入り、私が寝付くまでずっと起きてくれていたり、両親がそばにいないことで、ずっと泣いていた私を、何とか喜ばせようと、私の手を握り、おもちゃ屋まで歩いて、好きなものを買ってくれたり・・・

週末は祖母といることが嬉しかった。

しかし、当時、どんな病気なのかは全然わからなかったが、手術しなければならないからということで、私が11歳頃に入院して、いつ退院できるの?って、いつも尋ねていた。

日に日に頬がこけていき、肌に生気が感じられなくなったのは半年くらい経ってからであろうか・・・

早く元気になってほしく、母が剥いてくれたリンゴを摩り下ろし、少しずつ口にはこんであげた。

「おいしいね(^^)、早く元気にならないとね」って。
ホントにそう願っていた。

それからも症状は良くならず、会話さえできなくなるほど。

7月6日の朝、親が病院から学校に連絡をしてきた。
早く来いと・・・

何が何だかわからなかった。ただ胸騒ぎは止まらなかった。

祖母は私が来るまで、一生懸命、命をつないでいた。
私が「おばあちゃん!!来たよ!!待たせてごめんね!!」って言ったとき、私が来たことがわかったのか、涙を流して逝ってしまった。

もう鼓動は止まっていたのに・・・

私を待っていてくれたことを理解した。
そのときのことを思い出すと今でも涙が出てくる。

大好きだった祖母は今でもずっと優しい笑顔のまま心の中で生きています。


どうして今回この話をしたかというと、同僚の祖母がガンで危篤と聞いたから。
だから昔の自分とダブってしまった。

きっと君を待っているよ、仕事より会いに行ってあげな!って言ってやった。

そして一言、「ありがとう」って言ってあげてほしい。