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パンセのブログ

食生活のあり方などについて書いてあります。

ブッダの名言

 「かれらも私と同様であり、私もかれらと同様である」と思って、わが身に引きくら

べ、生きものを殺してはならぬ、また、他人をして殺させてはならぬ。

          『ダンマパダ』より

「あたかも、母が己(おの)が独り子を身命を賭して護るように、そのように、一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。」           

          『スッタニパータ』より

               

私たち人間は、元来雑食性の動物であり、日々の食生活のなかで、植物性の食品とともに動物性食品の摂取が不可欠である。自らの命・健康を維持するためには、他の生きものを自らの栄養源として摂取する必要がある。

 

私たち人間の生命そのものが、他の生きものの命をなんらかの形で犠牲にすることの上に成り立っているのである。

 

それゆえ、それだけに、、いかにして他の生きものの命に配慮しつつ自らの生命・健康を維持していくかが、私たち人間にとっては、宿命的に背負わされている重い課題である。

 

こうしたなかで、考えられることは、ひと口に「生きもの」・「動物性食材」といっても、そこには、感覚(痛みなどの感受性)や感情(恐れ・悲しみなどの感受性)の有無・発達程度に応じてさまざまな種類があるということである

 

たとえば、乳製品と卵は「感覚や感情を持たない」ものであり、また、鳥類や魚介類は、哺乳類ほど高度には、感覚や感情が発達していないものである。

 

乳製品と卵は、「感覚(痛みなどの感受性)を持たないもの」・「身体の外にあるもの」であるとして、動物性食材を忌避する人たちの多くが、これを食することを容認している。

 

また、魚介類や鳥類も、哺乳類ほど高度には感覚や感情が発達していないものであるとして、動物性食材を忌避する人たちの多くが、これを食することを容認している。

 

こうした人たちに共通していることは、せめて人間に近い感覚や感情を持ち、人間に近い苦痛や恐れ・悲しみを感じている高等動物=哺乳類(四つ足の動物など)を食することだけは避けようとしていることである。

 

牛や豚などの哺乳類は、人間に近い豊かな感情を持ち、甘えてきたり、なでてやると喜んだりもする。が、こんにちでは、単なる「肉」として過酷に扱われ、そのことに文句も言えないまま命を終える。

   

牛は、ほんらい15年ほどの寿命があるが、こんにちでは、普通2,3年で屠殺場に送られる。ここで順番を待つ牛は、周囲の音や臭いから死を悟り、恐怖から全身をはげしく震わせ、目には涙をためているという。

 

豚の場合は、普通6ヶ月という非常に短い命を終える。最近では、わずか二人の人間の管理の下で、年間数千頭もの豚肉を生産するオートメーション化された工場すら増えつつある。こうした工場では、豚のいのちは、与えられる数キロの餌を1キロの豚肉に変えるための単なる「機械」のように扱われてしまう。

 

 最近では、米・野菜・魚介類・鶏肉中心の食生活が、肥満や成人病を予防するものとして、国内外の多くの人たちの関心を集めている。

 

 

 

 

 シュバイツァーの名言

「人間は、助けうるすべての生命を助けたいという内的要求に従い、何らか生命あるものなら害を加えることを恐れるというときにのみ、真に倫理的である。」

 

「わたくしは、生きようとする生命にとり囲まれた生きようとする生命である。」                       『文化と倫理』より 

 

シュバイツァーは、アフリカ奥地における献身的医療奉仕とともに、生きとし生けるものすべてに対する愛を説く「生命への畏敬」の思想を体系化したことでも知られている。

 

シュバイツァーも説いているように、他の生きものの命に配慮しつつ生きることは、私たち人間にとって大切な課題である。しかし、一方で、私たち人間は、元来雑食性の動物であり、日々の食生活のなかで、植物性の食品とともに動物性食品の摂取が不可欠である。自らの命・健康を維持するためには、他の生きものを自らの栄養源として摂取する必要がある。

 

それゆえ、いかにして、他の生きものの命に配慮しつつ自らの生命・健康を維持していくかが、私たち人間にとっては、宿命的に背負わされている重い課題である。

 

こうしたなかで、考えられることは、ひと口に「生きもの」・「動物性食材」といっても、そこには、感覚(痛みなどの感受性)や感情(恐れ・悲しみなどの感受性)の有無・発達程度に応じてさまざまな種類があるということである。たとえば、乳製品と卵は「感覚や感情を持たない」ものであり、また、鳥類や魚介類は、哺乳類ほど高度には、感覚や感情が発達していないものである。

 

乳製品と卵は、「感覚(痛みなどの感受性)を持たないもの」・「身体の外にあるもの」であるとして、動物性食材を忌避する人たちの多くが、これを食することを容認している。

 

また、魚介類や鳥類も、哺乳類ほど高度には感覚や感情が発達していないものであるとして、動物性食材を忌避する人たちの多くが、これを食することを容認している。

 

こうした人たちに共通していることは、せめて人間に近い感覚や感情を持ち、人間に近い苦痛や恐れ・悲しみを感じている高等動物=哺乳類(四つ足の動物など)を食することだけは避けようとしていることである。

 

牛や豚などの哺乳類は、人間に近い豊かな感情を持ち、甘えてきたり、なでてやると喜んだりもする。が、こんにちでは、単なる「肉」として過酷に扱われ、そのことに文句も言えないまま命を終える。 

 

牛は、ほんらい15年ほどの寿命があるが、こんにちでは、普通23年で屠殺に送られる。ここで順番を待つ牛は、周囲の音や臭いから死を悟り、恐怖から全身をはげしく震わせ、目には涙をためているという。

 

豚の場合は、普通6ヶ月という非常に短い命を終える。最近では、わずか二人の人間の管理の下で、年間数千頭もの豚肉を生産するオートメーション化された工場すら増えつつある。こうした工場では、豚のいのちは、与えられる数キロの餌を1キロの豚肉に変えるための単なる「機械」のように扱われてしまう。

 

最近では、米・野菜・魚介類・鶏肉が中心の日本の伝統的食生活が、肥満や成人病を予防する健康食として、国内外の多くの人たちの人気を集めている。

 

代替肉ブーム

最近、大豆などの植物性たんぱく質を使ったハンバーグやソーセージ、ミートボールが店頭に並び話題を呼んでいる。植物由来の蛋白質を原料に、肉の味や食感の再現を目指した、これらの食品は、「代替肉」とよばれる。これら「代替肉」の登場は、その背景に健康志向・地球環境への配慮・動物愛護・人口増への配慮があるという。

 

アメリカ国内に例をとると、この「代替肉」の市場は、今日では1500億円といわれている。また、同じくアメリカのある企業の推計によると、2040年の世界市場は、従来の肉のシェアは40%まで下がり、「代替肉」が25%、残りは、「培養肉」注になるという。

(朝日新聞 2019年11月2日夕刊、2020年1月15日朝刊参照)

注①「培養肉(人工肉)」は、動物の幹細胞を培養・増殖してつくられる肉のことである。動物から幹細胞だけを取り出して、これを培養・増殖してつくられるものであるため、動物の命を犠牲にする必要がない。

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「代替肉」の普及による動物の命の救済

牛や豚などの哺乳類は、人間に近い豊かな感情を持ち、甘えてきたり、なでてやると喜んだりもする。が、こんにちでは、単なる「肉」として過酷に扱われ、そのことに文句も言えないまま命を終える。

 

牛は、ほんらい15年ほどの寿命があるが、こんにちでは、普通2,3年で屠殺場に送られる。ここで順番を待つ牛は、周囲の音や臭いから死を悟り、恐怖から全身をはげしく震わせ、目には涙をためているという。

 

豚の場合は、普通ヶ月という非常に短い命を終える。最近では、わずか二人の人間の管理の下で、年間数千頭もの豚肉を生産するオートメーション化された工場すら増えつつある。こうした工場では、豚の命は、与えられる数キロの餌を1キロの豚肉に変えるための単なる「機械」のように扱われてしまう。

 

最近では、コメ・野菜・魚介類・鶏肉中心の食生活が、肥満や成人病を予防する健康長寿食として、国内外の多くの人たちの関心を集めている。

和食の特色としては、食材それぞれの持ち味が生かされていること、「だし」を利かせた「うまみ」の効果、折々の季節感が感じられる美しい盛り付けなどをあげることができるだろう。だが、これに加えて、生きとし生けるものへの優しさということも、その特色と言えるだろう。

          

日本列島は、湿潤な温帯に属し植物の生育にきわめて適している。日光は強すぎず弱すぎず、しかも、一年を通じて適当な降雨があり、世界でもっとも農耕に適した地域の一つである。また、暖流と寒流とがぶつかり合う豊かな海に囲まれていて、魚介類にも恵まれている。

 

こうした恵まれた環境にあって、日本人は、その歴史のなかで、穀物や野菜、それに魚介類への依存度の高い独自の食文化を築いてきた。日本人の食生活において、肉類が長い間広く普及しないできた背景には、さまざまな要因があるものの、日本列島の地理的環境が穀物や野菜・魚介類の供給に適していたことが大きくかかわっている。

 

このことは、低温・乾燥の度が強く、穀物・野菜の生産にあまり適さず、牧畜・肉類に大きく依存せざるを得なかった欧米の食文化とは対照的である。

 

わが国の歴史をさかのぼってみても、こうした食をめぐる恵まれた状況のなかで、仏教とともに伝来した殺生禁断の教えもすなおに人びとの生活に浸透していった。

 

天武天皇の肉食禁止令以降、度重なる殺生禁断の戒律が国策として普及していった。また、古くから民間に伝承されていた民俗的タブーのなかにも、肉食を禁忌とするものがみられた。

 

もっとも、これらの禁止令やタブーは、生きものの種類によってはこれを除外し、その影響が及んだ度合いも、地域によって、時代によって、あるいは身分や階層によって一様ではなかった。しかし、全体としてみれば、肉類への依存が少ない食生活が人びとの間に広く定着していった。

 

やがて、禅宗の精進料理の影響を受けて発達した懐石料理も、日本人の食文化を形づくる一つの柱となった。江戸時代になると、鎖国政策がとられたことによって、鶏肉は除いて肉食忌避の風潮が助長され、和食のもつ独自性が保ち続けられた。

 

こうして、明治に至るまでの日本人は、肉類への依存度の低い食文化を定着させ、穀物と野菜と魚介類、この三者を中心にして和食の基本形がつくられてきた。牧畜・肉類への依存度の低い日本人の食文化の伝統は、世界的にみてもかなり珍しいものなのである。

 

四季折々の食材に感謝し、箸を使いこれをつつましやかに食する和食の伝統には、生きとし生けるものへの優しさが受け継がれている。 

 

もちろん、食材の欧米化・グローバル化が急速に進む今日の状況の中で、和食にも、それらの食材を取り入れて改善するべき点がないわけではない。

 

こうしたなかで、考えられることは、ひと口に「生きもの」・「動物性食材」といっても、そこには、感覚(痛みなどの感受性)や感情(恐れ・悲しみなどの感受性)の有無・発達程度に応じて、さまざまな種類があるということである。

 

たとえば、乳製品と卵は「感覚(痛みなどの感受性)や感情(恐れ・悲しみなどの感受性)を持たない」ものであり、また、鳥類や魚介類は、哺乳類ほど高度には、感覚や感情が発達していないものである。 

 

乳製品と卵は、「感覚(痛みなどの感受性)を持たない」もの・「身体の外にある」ものであるとして、世にベジタリアンと呼ばれる人たちの大部分も、これを食することを容認している。これらの人々は、「ラクト・オボ・ベジタリアン」と呼ばれる。

 

また、乳製品と卵に加えて魚介類をも食する人たちは、「シーフード(フイッシュ)・ベジタリアン」と呼ばれることがある。また、乳製品と卵に加えて鶏肉を食する人たちは、最近では「チキン・ベジタリアン」と呼ばれることがある。

 

こうしたベジタリアンおよびセミ・ベジタリアンの人たちに共通していることは、せめて人間に近い感覚や感情を持ち、人間に近い苦痛や恐れ・悲しみを感じている高等動物=哺乳類(四つ足の動物など)を食することだけは避けようとしていることである。

ここには、日本人古来の食への思いが、今風に形を変えて生かされているといえるだろう。

 

牛や豚などの哺乳類は、人間に近い豊かな感情を持ち、甘えてきたり、なでてやると喜んだりもする。が、こんにちでは、単なる「肉」として過酷に扱われ、そのことに文句も言えないまま命を終える。

 

牛は、ほんらい15年ほどの寿命があるが、こんにちでは、普通2,3年で屠殺場に送られる。ここで順番を待つ牛は、周囲の音や臭いから死を悟り、恐怖から全身をはげしく震わせ、目には涙をためているという。豚の場合は、普通6ヶ月という非常に短い命を終える。

 

 最近では、米・野菜・魚介類・鶏肉中心の食生活が、肥満や成人病を予防する健康食として、国内外の多くの人たちの人気を集めている。

 

             ガンジーの言葉

私たちは、暴力という大火災のまっただ中にいる哀れな存在であり、「生きものの食べ物は生きもの」という言葉には、深慮するべき意味がある。  

『ガンジー語録』より

 

 

 ガンジーの言葉 「私たちは、暴力という大火災のまっただ中にいる哀れな存在であり、『生きものの食べ物は生きもの』という言葉には、深慮するべき意味がある。」

                                 『ガンジー語録』より

 

ガンジーは、つねにインドの貧しい民衆の立場に身をおいて、インドの自治と独立のために生涯をささげた思想家である。その長い闘争の生涯における思想と実践のすべてを、その根本において一貫していたものは、アヒンサー(非暴力)の考え方であった。

 

アヒンサー(非暴力)とは、もともとヒンズー教(インド教)に伝わる教えであり、生きとし生けるものを同胞とみなし、一切の殺生を禁じる考え方である。上の言葉にも、かれの徹底した暴力否定の考え方や命あるものへの愛が述べられている。

 

 ガンジーの言葉をもとに私たちの食生活を考える

牛や豚などの哺乳類は、人間に近い豊かな感情を持ち、甘えてきたり、なでてやると喜んだりもする。が、こんにちでは、単なる「肉」として過酷に扱われ、そのことに文句も言えないまま命を終える。

 

牛は、ほんらい15年ほどの寿命があるが、こんにちでは、普通2,3年で屠殺場に送られる。ここで順番を待つ牛は、周囲の音や臭いから死を悟り、恐怖から全身をはげしく震わせているという。

 

豚の場合は、普通6ヶ月という短い命を終える。最近では、わずか二人の人間の管理の下で、年間数千頭もの豚肉を生産するオートメーション化された工場すら増えつつある。こうした工場では、豚のいのちは、与えられる数キロの餌を1キロの豚肉に変えるための単なる「機械」のように扱われてしまう。

 

  

最近では、米・野菜・魚介類・鶏肉中心の食生活が、肥満や成人病を予防する健康食として国内外の多くの人たちの関心を集めている。