ドラマ嫌われる勇気第八話。
今回のテーマは、
「ふつうであることの勇気」でした。
人間は承認欲求を抱え、
みんなに社会に認められたい、
という思いがあります。
幸福であるか否かを
自分以外の誰かに委ねるものとして、
アドラーは承認欲求を
明確に否定します。
でも、認められたい、
存在意義を見出したい欲求は、
なかなか捨てがたいもの。
勉強や仕事をがんばるなど、
健全なやり方で評価を
得ようとするのはまだいいですが、
中には逆方向に努力する人もいます。
それが非行や反社会行動となり、
周囲の人に迷惑をかけることで、
存在意義を見出そうとします。
アドラーはこれを
「安直な優越性の追求」
と呼んでいます。
ふつうであること、
特徴のないことを嫌い、
悪いことをしてでも
特別であろうという心理です。
ドラマで語られた
安直な優越性の追求は、
暴力をふるって人を従わせることで、
その他大勢でいることを拒否している、
というものでした。
暴力や破壊行為で
自らの存在を証明するのは、
逆方向に目立つしか
なくなった人にとって、
最も手っ取り早い手段ですね。
健全な社会生活を送るためには、
「ふつうでいることの勇気」
を持たねばなりません。
特別でありたいというのは、
エゴや執着が強いことと
置き換えることができます。
自らの欲求のために、
他者を操作したい衝動が強すぎると、
いつも欠乏感と
不安を抱えてしまいます。
人を思い通りにしたい思惑と、
まとっている不穏な空気のために、
周りから人が去ってしまうことにも
なりかねません。
承認欲求を否定しきるのは
なかなか難しいですから、
どうせならプラスの方向に
情熱を傾けていきたいですね。
人を喜ばせること、
幸せにすることで
特別であろうとすれば、
大きく間違うことは少ないはずです。
自分に何ができるのか、
どういう形で他者貢献していきたいのか。
それが僕たちの健全な形での
「生き方」ですよね。
ドラマはいよいよ
佳境に入ってきた感じがします。
謎めいていた主人公の
過去が掘り下げられ、
敵対する黒幕が姿を見せ始めました。
今までは一話完結の事件を
淡々とやってきましたが、
今回からテンポが上がって、
おもしろくなってきました。
最後まで放送してくれるのか、
ちょっと心配ではありますが。
先日、このドラマに
日本アドラー心理学協会から
クレームが入ったと、
ニュースになっていましたよね。
主人公の言動が、
相互理解のための努力を
放棄しているように映る、と。
確かに、
初回はインパクト重視のために
敢えて誤解されやすい感じに
したのかなと思いました。
でも、回を重ねても
変わらなかったんですよね(笑)
自分を大切にしながら、
調和的に人と
関わっていくことがテーマなのに、
ただの冷たい嫌われ者に
見えてしまってましたから・・・
協会は、放送の中止または
脚本の大幅な見直しを提案したそうです。
脚本を修正して放送しているのか。
やむなく強行的に放送しているのか、
今のところはわかりません。
映像作品として、
アドラーに親しめることも、
一つの刑事ドラマとしても、
ここから最終話までのお話を
楽しみにしています。