先日、久々に休みが重なり
半年ぶりぐらいに家族とおでかけ🐾
そんなに遠出はできないけど
以前から行きたかった場所へ。

心地のよいお天気なので、
賑わってはいたけれど
メッツァ楽しかったわん🐕‍🦺

やったことと言えば、
歩く
ひたすら歩く
気持ちよいのを写真撮る

写真撮りまくる
写真撮りまくってる様子の写真撮る
影で遊ぶ
などなど


あとは
やたらとしゃべる
やたらと聞く

わんこに話しかけられる(気がする)
ので、わんこに話しかける
テンション上がったわんこを囲み
飼い主さんともしゃべる

景色を全身でのびのび味わう
募金してみる
今までならやらなかった自撮りなんぞもしてみる
なんなら一緒に自撮る
前はカメラ向けてもこっちみてくれなかったのに
一緒に収まってくれるようになった(^ー^)

他愛ない話
結構深い話
以前抱えていたものを
手放せてることに気がついた話


ふだんとは違う場所へきて
ふだんよりいろーんな話をし、
いつも以上に童心に返り(私だけかも?)
リフレッシュ🎶


ふだんの会話では思い至らないようなことや、
話していくことによって自分で気がついたり。
以前とは違う感覚になってる、
変化していた自分を改めて知ったり。

いつもと違う景色は
いつもの自分の背景を変えてしまうのかもしれないなあ。


いろーんな人がいて
毎日忙しくはあるんだけど
こののびのびとした解放感と
大好きな空の色
気持ちいい風と
森の匂いや
木の匂い

自然と深呼吸してデトックス照れ

特別なことをしたわけではないんだけれど
こういう日常がいちばんの癒しだったりする





絡まってしまったアクセサリーがひとつ。
ほどけなくて、
あきらめかけて、
だんだんと落ち込んでいくような、
肩を落とした背中がそこに…

さっきからのその様子を
なんとなーく横目でチラ見。
知恵の輪どころではない塊になっていた👽


どんな状態か見せてもらったら、

(こんなになるんだ…😨)

かなりの塊。

絡まりが過ぎる。


なので、

ベビーパウダー付けてほぐしてみた。

(効果がある場合があるので)


しかし、意味がなかった。

強固な塊と化していて、

ほぐすことさえままならず。


(こりゃー

思っていたより時間はかかりそうだな。)


でも、

このままだと使えない。

まさに持ち腐れ。


物は試しということで、

違うひとの目線としてやってみることに。


ほぐすこと、ほどくことに集中。

あーでもない、こーでもない…

こうやってはどうだろう?

こうしたらいのかな??


だんだんと顔がこんな感じに…

ほぐした所をそのままに、

指に引っかけて、もとに戻らないように…

こっちにできた輪っかも指に引っかけ…

なんてやっていたら、

指に指輪がいくつもいくつも、

何かの妖怪みたいな状態に。



とっかかりを見つけ出してはほどき、

ほぐしてはほどき…を繰り返した結果…

ほどけた!!!


輝きが眩しい✨


ふーーーーひと仕事。



絡まったままで途方に暮れてたから

すごく喜んでくれた。


ほどけたことで初めて知った、

こういうデザインだったのか!👀

2連になるデザインが

すっきりとくっきりと!!


こんがらがったままだったら、

良さもわからないし、

活かされることもない。


ごきげんで身につけることが

できないままだったねぇ…



そう

こんがらがったままだと活かされないのだな。

人も同じだなあ。



じつはスリーコインで買った

ネックレスだったようで。(なんと!)


でも

値段じゃないけど、

300円のそのネックレスから

気づかせてもらったことは

プライスレスであった。


どうしてほどいたかというとだね、


こんがらかってるからほどく、ではなく

身に付けたいからほどく。


このままだと使えないからほどく、ではなく

身に付けたいからほどく。


こんなのじゃ嫌だからほどく、じゃあなくて

これを身に付けてあーなりたい、こーしたい。

のためにほどく。



ほどいて知った、実は300円。

でも、この気づきはプライスレス(^ー^)


これじゃあ嫌だ。

よりも

こうしたい、これがいい。



否定でなく(←すでに否定してるな…)

もとい

否定をやめて肯定でいこう🎵



もっさりと元気に育っている観葉植物🌿
小さな植木鉢がだいぶ窮屈そう。
なので、思いきって見よう見まねで
密集してるところをちょきちょきカット✂️

これ失敗したら…
上手くできなかったら…
枯れちゃうかもしれない😖💧
と思うとなかなか手が出せずにいた。



せっかくここまで育ったのに、
切った葉っぱのみならず、
やり方悪くて全滅
なんてことになったら…🥺💧

リサーチしても自分が信用できない。
で、でもさすがにこのままにしてるわけにもいかず。

意を決してチャレンジ。✊‼️
私の中ではリサーチした通りにやったつもり。

何日かして、変化が訪れた。
さっぱりスッキリしたとこらから、
新しい芽がひょっこり。
切り落として別に挿しておいた葉や枝も、
一部はダメだったやつもあるのだけれど、
他のは元気にしており、
そこにも新しい顔ぶれが😃



むしろ待ってましたとばかりに、
待ちきれなかったように日に日にスクスク。
はしゃいどりますなー🌿🌿


そか。耐えてたんだね。
こんなにイキイキするのだったら
早くやってあげれば良かった、と思う。


やったことない事ってのは、
ここまでブレーキになるんだなー。

規模の大きさではないんだな。

勝手に責任感じて、
完璧にしなければならないと思い込んでたし、
誰に責められるわけでもないのに、
怒られるモードでいた。(小粒だなぁ…)


失敗したくない気持ちって、行動を制限する。
ゆえにできれば避けたい、失敗に関わりたくない、みたいな。


失敗したくないからなにもしない。
より、
失敗してもいいからやろう。

のほうが理想だけれど、


そう思えないから手を出さないわけで。


こういうときは
失敗したらどうするのかを決めておこう。

準備するのはふたつ。
心の準備と
物理的な準備。

そもそも、
何がどうなったら失敗なのかも決めておく
というか認識しておく。

本体が枯れたら失敗なのか
切り落とした後、
挿してみたやつが全滅したら失敗なのか
(切り落としたやつは、
このまま捨てるのもったいないと
試しに挿してみたやつ。
本体スッキリがそもそも目的)


その上で
その状態になったらどう対処するか、
何が要るのか、何が起きそうかなどなど。
そうなるかもしれない、
その可能性もあるんだという認識。


わからない不安から何もしないでいる間は、
何も変わらないだけでなく、
その不安を抱えたままの状態で
い続けることになる。

こっちの方がヨロシクナイ。


不安って不安だから見ないようにしがちだけど、
何が不安かはっきりさせることで、
ああ、これが不安なのか。
と知ることができる。

言語化ってやつですね。


まだ何も解決してはいなくても、
言葉にできたことで扱える状態に。
どっぷり浸かっていた状態から、
一歩外れたところから考えられる所へ移動した感じ。


動物園の動物と一緒に檻の中にいるのか、
檻の外から中にいる動物を見ているのか。

と考えるとわかりやすいかも。



そこから離れて見ることで、
解決策や打開策に気がつきやすくなります。
やりたいことが見つからない
やりたいことを見つけたい
やりたいことをやれたら…
 
やりたいことをやれてる自分は
きっと充実しているだろうな
 
なんて思っていた
ふだんどおりで変わり映えしない自分。


何か変えたい
きっとあるはず
 
いったい自分は何をやりたいんだろう…?
 
そんなんばっかりで
ぐるぐるしていたこともあった
彷徨ってる感の自分。
 
 
目がまわる~

 
やりたいことは…
やりたいことって…
呪文のようになっていたけど、
 
 
そもそも
やりたいことって、
やりたいことに対して、
どんなイメージを持っているんだろう?
 
 
「やりたいことをやっている自分」
はきっと、
充実していて、
時間の経つのも忘れて、
情熱的で、
他のことも楽しく思えて、
余裕があって、
ちょっとつまずいたとしても、
ひょいっと切り抜けられてしまえる。
未来を自分で切り拓いている。



そんなイメージがあった。
(そうであって欲しいという、もはや別の願望になっていたな)

 
そして
それが叶うんだから、
それが現実の毎日なんだから、
きっとさぞや大きな、夢のような
立派なことなんだろう、
って思っていた。
 

でも、
実は


それに相応しいものを探そう(探さなければ)としているから
なかなか見つからないのでは…?


これでは小さい、
これでは理想の結果にならない、
これだと得られるはずの(と思い込んでる)結果が得られないから相応しくない…


で、見つからなくしてる。


見つからないから
見つけられない自分に焦ったり、
何となくいじけちゃったり、
妥協したり、
あきらめたり。
 
 
 
でも、
そーんなに大きな結果を得るために
探さなければならない
という決まりがあるわけでなし。
 
 
やりたいことをやっている、やれている、
というヨロコビや充実感は
たしかにあると思うけど、
 
 
その内容が
ものすごい事である必要があるんだろうか。
 
 
コーヒーが飲みたい。
→コーヒーを飲む
映画が観たい。
→観たい映画を観る
本でも読もうかな。
→読みたい本を探しに行く…


これだって
やりたいことをやっていることには変わりはない。
 
 
内容の大小や規模よりも、
やりたいと思ったことをやった、
欲しいと思ったものを手に入れた、
得たい結果を得たという事実がある。

これっていうなれば実績。

これを積み重ねていくことの方が
大事なのではないか。
 
 
人生を変えてしまうような特別な何か
でなければならないわけではなく、
小さなことで満足すべき、ということでもなく
 
 
自分には欲しいものは手に入らない
やりたいことなんてやれないし、
見つかるはずもない。


なんて、マイナスの方向に
意識を向けてしまうことが
より 見つけにくくしている原因かも。
 

条件に当てはまりさえすれば必ず見つかるという保証なんてないし。 



難しく考えてただけで
本当はいたってシンプルだったりして。
 
 
実は得ていた、達成していた、
自分が望んでいたことの数々。
その実績を積み上げて行ったら、
その度に心底喜んでいたら、
もっとやりたいことに意識が向いて、
アンテナが伸びて、
見つけずにはいられなくなっちゃったりして♪
 
 
見つからなくて焦るのではなく
見つけることを楽しんでいる。
 
 
そんな状態の自分なら、
毎日がぐっといきいきしてくるし、
もっと興味が湧いてくる。
 
 
楽しいから楽しんでいるんだけど、
それ以上に
楽しむ工夫をしているかどうか。
 
 
happyでいようとする自分に
わくわくするようなことが
遠のいていくはずはない。

 

 
キャーッチ!

地下鉄に乗っていて、たまたまおとなりに座った

ちょっとご年配のご婦人。

 

◯◯に行きたいんだけど、これで行けます?

と話しかけられた。

 

地下鉄の大きい音に混ざって

不安が見え隠れする声の感じ。

通勤で何年も使っていた大江戸線なので、

ご婦人の目的の駅があるのがわかった。

 

でも、

乗り換えは初めてだとわかりづらい所もあるので、

不安を煽らないように安心してもらえるように

つとめてお伝え。

 

「大丈夫ですよ😃 あと何駅くらい先です。◯◯駅の次になります😊」

 

あまり乗らない電車だと

不安にもなったりするよね。

うかつに声かけるのも恐いご時世だしな。

世間話もあまりできないし。

その上

無事に着けるか不安だと、地下鉄の音も

より一層大きく感じる…。

 

 

私自身、

帰宅時に何度か間違えたことがあったよな~

なんてことを懐かしく思うわ…

 

ちょびっとでも不安が解消されて

無事に着けるといいな。

 

マスクでお互いの顔が

全部見えるわけではないけれど、

できる限りにこやかに見送る。

 

 
 

 

実は、

話しかけられるまで考え事していて、

あれどうしょうかなー…。

手間かかるしめんどくさい…

気が重い…

なんてやってるタイミングだった。

 

 

話しかけられ訊ねられたことで、

それまでとは全く関係ないことに意識が向き

わかりやすく伝えるにはどうしたらいいかな?

に切り替わった。

 

 

知らなかったら、

そこまでではなかったかもしれないけど、

知っていたからこそ解決する協力できるし、

役に立てたのなら嬉しいし。

 

ちょっと安心された様子から、

こちらまで気持ちが少し上がった。

 

 

 

その結果、

私までスッキリした感じを味わう。

私まで解決した、解決できそうな感覚に。

 

1駅手前で私が降り、

改札に向かって進んで行くうちに、

まあ、あんまり悩んでてもしゃーないや。

となり、

気がつくと

どっぷりつかっている感じではなくなっていた。

 

 

抱えていると思っていたことも、

何とかなりそうな気がしてきて、

さっきより深刻さは和らいだように思える。

どっぷり感から抜け出せたようだ。

 

お役に立てたことに加えて

私まで軽くしてもらったみたいでありがたいなぁ。

 

 

行き詰まった時は

気分転換や全く関係のないことをするといい

とよく聞くけど、それと同じ。

 

 

思いがけないタイミングで質問をされて、

答えを探すのに意識がそっちに向いた。

 

 


さっきまで

自分が抱えて持っていたものを手放していた状態。

 

手放したということは、

一歩離れて見直すことができるし、

持ち方を変えることもできるのだ。

 

それまでと同じ持ち方がベストとは限らないし、

同じ持ち方にこだわる必要もない。

 

それに、

持つか持たないのかも

改めて考えることができるし、

どうするかの選択肢も現れる。

 

手放したことで、

そこまで深刻にならなくていいことに気づいて

 

じゃあ、どうする?

どうしちゃう?

と、解決策に意識が向いた。

 

抱えていると思っていることを

頑なに抱え続けなくても

実は案外大丈夫だったりする。