お腹の赤ちゃんが亡くなってしまってから4ヶ月。
少しは気持ちに整理がついてきたと思いきや、また襲ってきたやるせない気持ち。
31週で突然のお別れ。
初期の血腫も乗り越えたのに。
長いつわりも、夫と幼い娘たちとヒーヒー言いながらも乗り越えたのに。
妊娠糖尿病の再検査も乗り越えたのに。
引越しの荷造りも終えて、あとは新居での荷解きだけだったのに。
一番待ち望んでいた息子を生きて迎え入れることはできなかった。
悔しさと寂しさとむなしさと、申し訳なさと。
全てを放り出して1人で思いきり泣きたいことがある。息子が死んだことが夢のような、はたまた妊娠していたこと自体が夢だったのか。よく自分でも分からなくなることがあった。今は息子が死んでしまったことを自分でも理解していて、そういう混乱はなくなってきたけど、やっぱり大きな悲しみの中にいることは変わらない。
なぜこんなことになってしまったんだろう。
あの日、荷解きや大きな空段ボールを解体しなければ、旧居にいって残った荷物の整理をしなければ、掃除をしなければ、前日の夫からの無理をしないでという忠告を聞いていれば、そもそも家なんて買わなければ、引っ越しなんてしなければ、
そんなことが頭の中をぐるぐる回る。
死んでしまった息子の元気な胎動にもっと注意を払っていれば、数日後にあったもともとの検診をもっと前倒しに予約していれば、
なんて、もう何も変わらない。息子は帰ってこない。分かっているのに、まだ生きていた頃に戻りたくて、心がぎゅっと潰されそうになる。
死産の出産と産後は、普通の出産と同じ。
それも辛い。数ヶ月経った今は大量の抜け毛。生え際はすっかり薄くなって、妊娠で太った外見をさらに醜く、みずぼらしく、鏡を見るのもため息。
なんでこんな惨めな思いをしなければならないんだろう。産後のトラブルも今までなら、赤ちゃんがいるから乗り越えられた。辛いことだけ経験して、私の腕の中には息子はいない。
新居に引っ越してきて3日目、段ボールの山の中で死産の発覚。ベビールームには組み立てられずに終わったベビーベッド。大量の赤ちゃん用品。
数ヶ月時の止まったままの部屋。
先週思い切って片付けた。
行き場のないベビー用品をひとまず収納スペースに移動。年齢的にもこの子が最後と臨んだ妊娠生活だったから、どうすればいいのか分からない。
そこまできていた赤ちゃんを諦められない自分と、年齢や夫の気持ちを考えるともう無理かなと若干後ろ向きな自分。
私の脳はそんなことをぐるぐるぐるぐる考えている。心も体もボロボロだ。