3月9日は姑の家に行き、「アートフラワー」のレッスンを受けてきました。
姑からは学ぶことがたくさんあります。
その記事は→「考える人」

姑と映画に行く約束もしました。それと次回の約束も。
予定を入れるのに二人でカレンダーを見ながら、「この日は、あの日は」と言い合っていたら、少々可笑しさがこみ上げてきました。
私のお仕事なんか沈みゆく夕日のようなもので、忙しいわけがないのですが、おかしな事に手帳の予定がびっしり。
母も、90のバーさんがなんでそんなに忙しいのかっていう所ですよね。
「あれやこれやと予定を入れて、自分で忙しくしているだけなのよね。」と母は言いました。
ああ、それは私も同じです。
でも私、それがとっても大事なことなんだと思うのです。
歳を取ってきたら特にですよ!!
私も姑も、若い時からあまり「暇」という時間を知らずに生きてきてしまいました。
だから「暇である」ということに慣れないのです、きっと。
姑が言いました。
「なんかみんな『忙しい、忙しい』って言うから、何をしてるのかなと聞いてみると、家事と銀行周りとか、なんでそれの何が忙しいのか分からないわ。」
思わず、それにはニヤリとしてしまいました。
「器を決めるのは自分だからじゃないですか。」と私は言いました。
自分で決めた器が小さければ、ちょっとの水でも目一杯になってしまうでしょう。
でもだからと言って、小さな器が決してダメというわけじゃないと、私は思います。
だけどじぃいいっと手帳を見ていて、私は思いました。
少し自分を磨くのだと入れた予定は、「講座」や習い事ばっかしで、いうなれば遊び。
時にはそういう遊びも大切な時間です。
でも私は、貧乏症なのよね、とっても・・・・・というわけで・・・次に続きますよ。
だって物事は単体では成り立っていないのですから。
