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野村忠弘の監督ブログ

映画『海竜を見た日』の制作秘話やオンタイム情報。

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『海竜を見た日』には、主人公 宗太の愛読書としてジュール・ヴェルヌの海洋SF小説『海底二万哩』が登場します。
今回はちょっと脱線しますが、このアイテムにまつわるお話です。

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本編中に登場する『海底二万哩』は二種類。
一冊は宗太が大事にしている子供向けの抄訳版で、これは僕の作品の美術、造形、エフェクト関係をいつもお願いしている映像造形会社サンクアールの三木さんに作ってもらいました。
よく見ると出版社が「みき書房」となっています。
ちなみに翻訳者の名前は、今回『海底二万哩』に関するいろんなことを教えていただいた、日本ジュール・ヴェルヌ研究会に所属するライターさんです。
表紙に記されているのがフランス語の原題“Vingt Mille Lieues Sous Les Mers”ではなく英語タイトル“20,000 Leagues Under the Sea”なのは、この本がフランスの原書ではなく一度英訳されたものをベースに和訳されたことを示しています。
つまり、宗太が読みたいと思っている「ちゃんと翻訳したの」からは程遠いわけですが、英語に比べてフランス語を翻訳できる日本人が少なかったこともあり、実際に以前はこういう孫訳は多かったみたいですよ。

さて、本編中でナゾミも指摘しているとおり、『海底二万哩』というタイトルは間違いです。
原書の「2万リュー」を英訳版ではヤードポンド法に置き換えて「2万リーグ」としていますが、日本ではかなり混乱していたようで、明治期に刊行された記録を見ても『二万海里海底旅行』とか『六万英里海底紀行』とか統一されておらず、大正5(1916)年の映画化作品は『海底六万哩』の邦題で公開されています。
このような混乱の末に、長さの近い尺貫法の里に置き換えた「二万里」と、1リーグ=3マイルに換算した「六万哩」の訳が混同されたのでしょう。
現在では、ほとんどが『海底二万里』のタイトルになっており、原書からの新訳もおこなわれています。

また、一時期この誤訳タイトルが定着した背景には、ウォルト・ディズニー・プロダクションによる映画化の際に邦題を『海底二万哩』とした影響が大きいと思われますが、それが作られたのは奇しくも昭和29(1954)年。
しかし公開はクリスマスシーズンで、更に日本で公開されたのは翌年なので、本作の舞台となる昭和29年夏の時点では、まだ知られていません。

余談ですが、昭和29年に完成した世界初の原子力潜水艦の名前は『海底二万哩』に登場する万能潜水艦と同じ名前のノーチラス(米海軍艦艇としては6代目)。奇妙な偶然です。

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本編中に登場するもう一冊は、ヴェルヌの才能を見出した編集者ピエール=ジュール・エッツェルの出版社から19世紀末に刊行された、イラストレーション版と呼ばれる豪華版の原書。
さすがに本物は入手できず、2006年に復刻されたものを前述のライターさんからお借りしました。
この原書にも発行された時期によって微妙に違ういくつものヴァージョンが存在するようで、お借りしたものがどのヴァージョンを基にしているのか、どれくらい忠実な復刻なのかを調べ始めるとキリがありません。

最後に、僕が劇中のアイテムとして『海底二万哩』を選んだ理由ですが、宗太の性格を表すと共に、映画の雰囲気を象徴するようなアイテムを考えていたら、本名も素性も分からないナゾミさんと、同じく国籍も経歴も不明のネモ船長が妙に符号することに気づき、これはいい!と思ったから(ネモは「名無し」を表すラテン語のアナグラムらしい)。
でも、そこまで深読みしてくれる人は少ないでしょうから、ここに書いときます(笑)。
もしかしたらナゾミが黒鯛の学名や生物学上の分類を諳んじるシーンで、『海底二万哩』のアロナックス教授の助手コンセイユ(海洋生物を見る度に、その分類についての知識を喋る)を想起する人は・・・いませんよね(笑)

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2013.2.6追記
昭和30年日本公開当時の『海底二万哩』パンフレットです。
むかし古本屋で購入しました。
トピックスとして上述の米原潜の話や、撮影に使われた潜水服のヘルメットが日本の町工場に発注されていたことなどが載っています。
当時のディズニー日本代理会社は大映ですが、公開は松竹系の東京劇場でおこなわれたようです。