膠原病特有の数値、抗核抗体が高いからといって、必ずしも膠原病を
発病するとは限らないと書いてありました。
じゃあ何故。。。私は発病してしまったの

そんな疑問を問いかけてみました

2009年7月に娘を出産。出産の2日前まで働き、出産後1週間で
仕事復帰をしました。
2ヶ月後、首のリンパが腫れ日本に帰国する事を決心。
(この時アメリカの病院をたらい回しにされ、出た診断結果が猫引っ掻き病
ということでした。本当のところは膠原病から来ているものだったようですが。。。)その後、アメリカから帰ってきたのが、2009年の終わり。
2010年1月から働き始めた会社がどうしても合わず、ストレスで
45kgだった体重が41kgまで落ち、それでも理由があり1年程
辞める事が出来ず、ストレスが溜まりまくってました

振り返ってみれば、生後半年の娘を置いて正社員として働き、
もっと言えば、生後1週間の娘を置いて仕事をしていました。
それでも、生活をしていく上で、どうしても仕事は辞めれなかったんですね

そんなこんなで、2011年から実家で英語教室を始めました。
慣れない事が一杯で大変でしたが、少しずつ落ち着きつつあった矢先。。。
2012年3月終わりにアメリカに10日間里帰りする事になりました。
この時の里帰り先が、夫の母方の家。
義母も難病?を宣告され精神的にかなり病んでいたので、義母を
励ます為に、義父ではなく義母に会いにいったのですが、娘が
アメリカに到着するなり、38~39度の高熱を出し、何度も病院に
行く事に。夜中も熱にうなされ泣く、苦しむ。。。
食べ物も、お風呂もすべてが高熱を出している娘には合わず、
どんどんやせ細って、やつれていったんですね

そんな娘にぬる~いお風呂(寒いのに)に入れたり、動物園に
連れて行くだの、あげくの果てには病院に連れて行きたいから
車を貸してほしいと頼むと、貸してくれない。。。
そして、何処にも行かず、娘のそばにいたいと言った私が気に
入らなかったのか、態度で示してくる義母と義妹にぶちぎれた私は、
帰国1日前に、タクシーで家を出てホテルに泊まる事に

そんな私の態度にぶちぎれた義母は私に「もう二度と来るな、
家族の恥だ」等と罵倒を浴びせ、それ以来話もしていません。
アメリカ帰国時の睡眠時間は3時間程。疲れがマックスになって
まともな判断が出来なくなっていた。娘が不憫で仕方なかった。。。
そんな理由から後1日を耐える事が出来なかったのです。。。
そして、帰国日は悪天候の為、飛行機の乗り継ぎが出来ず、
アメリカに足止め。まだ熱が続いていた娘を病院に連れて行きました。
そんなストレス一杯のアメリカ旅行を終え、帰国したものの、
娘の体調が完全に回復せず熱を繰り返し、5月の終わりに肺炎になり、
そのまま4日間入院する事に。。。そして、私のシェーグレンの症状が
娘の退院日(5月31日)に始まったのでした。
その時、抗核抗体が80。1週間後に160。1ヶ月後に640。
とどんどん上がり、シェーグレン症候群と全身性強皮症を発病しました。
この3年間、ストレスを一杯溜め、自分の身体をいたわっていなかった
のがいけなかったと反省。

発症してしまった今、過去に戻る事はできないので、これからは
ストレスを溜めないよう、病気を進行させないように頑張らなければ
