外注さんはいろいろなものを作ってくれる。

いろんな加工ができる。いろんな材料を在庫に持っていたり、作業ができたりする。

 

様々な工程が高度化した現在において、外注したり請け負ったりする事は必要で、

不可欠な産業の構造となっています。

 

外注さんは居なくてはならない重要なポジションなのですが、何故か軽視されることがある。

 

「図面を頂ければお見積り、加工しますよ」

・・・図面を頂ければ。

 

自分自身が何を欲しいのか、相手に伝える手段、ものを作り出すには形の指定が必要なのですよね。

 

相手に何かして欲しいときに、何をして欲しいのか伝えますよね。

人同士だと、日常会話で普段行っていることと思う。

 

仕事だと、人に要求を伝えられる状態を作り出す工程を設けますね。

図面、設計図、デザイン、などの呼ばれ方をしますが

「いったい何を作るのか」

これを定義づけるにはスキルが必要なのです。

 

「いいものを考えた!」

としても、それを現実化するための手段が必要。

加工を請け負う業者さんは、図面がないとよい腕を持っていても働くことができません。

 

あいまいな表現では、具体的ではっきりした実物を手に入れることはできないのです。

 

そのために、必要なことを要素として分解し、他人が客観的に理解することのできる仕様を決める作業が必要なのです。

 

某兄さん「人、それを設計という」

 

設計の結果、出てくるものが設計図であったり、仕様であったりするわけです。

 

これを考える頭脳がないと、加工を外注することができません。

設計を含めて外注をすると、時間がかかる+設計スキルを持つ人材が必要になり、

莫大なコストを要することになります。

 

一見誰にでもできそう…だからアウトソーシング。

そういいつつ、下請けに全部やらせてしまうスタイルとなった会社があったりします。

 

自分でも出来るけど、本格的には専門に特化した会社がやった方が確かだし早いよね。

という事ならわかる。

ただ、外注するうちに自作できなくなったり、考えること自体を外に任せるようになると、

現実とかけ離れた言動をするようになってしまう。

 

そうなると悲劇の始まり。無茶な要求を実行するために、より大きな苦労がのしかかる。

しかし、依頼した側は軽く考えている。

はね除けてしまえれば楽になるけれど、営業の都合や下請けの事情などで引き受けてしまうことがある人も居る。

 

自分の会社で思い描いたものを現実化できないとなると、実体が薄れていくのではないかと思うのです。

 

試作工場を失った事業所は

思ったものが正しいかどうか、課題を持っている化の検証が出来ない。

あるいは、検証に掛る時間とコストが大きく膨らむ。

 

こんなことを考える程度には、

今、思い描いたことを現実化する人が割と重宝されていると感じるのです。