差異概念に取り組む。
差異を具体化させる必要がある。
人は何かを認識するとき、カテゴリーというものを必要とする。集合があり、そこには構成素がある。この具体化された構成素がない状態の集合は空疎なものである。
例えば、国という集合体を考える。
国には国民が内包しており、国民の共通部分を取り出して、国色とする。
では、その国民は何によって規定されるのか。
科学的な思考であれば、所持物によってであるが、それは経済にしか結び付かず、本質的ではない。ましてや、真の幸福に結びつくはずもない。
では、何によってなのか。
差異概念に取り組むとは、そういうことではないか。
私のイメージだと社会という同一性から解き放たれた反時代的な個人が存在することが差異の出発点である。
それでは、その個人とは何なのか。
もっと言えば、私とは何なのか。
哲学では、それは分からない。
現象学的には、生きられる私が、私であって、私を知ることが究極目的である。
私とは、趣味趣向や価値観によって規定されるのではないか。
趣味趣向や価値観は、芸術やスポーツ等に帰属する。
社会がどのような構造をしているかを知るより、その社会の一員である私の行動が社会を動かしていると考えた方が良いだろう。
差異とはユニークなものに対する行動である、というのはドゥルーズの言葉で、まさしく芸術に対する行動である。
これまで哲学を学んできて、抽象的な言葉に心躍らされてきたが、そろそろ本気で具体的なものに志向すべきであろう。
