https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B9
とりあえずピアスのwiki。
ピアスって、耳とかは今こそファッションアイテムとして大衆化されてるけど、本来の意味は魔除けとか民族の割礼儀式だとか成人儀礼だとか、まあ潮流はそこにあるらしいね。
でもそんなことはどうでもよくて、俺がここで考えたいのは、現在のアングラ文化として社会に根付いてるボディピアスの話。
例えば普通の人が(いやこういう書き方したら俺がサカキバラ的なファッションキチガイ中学生みたいでアレだけどマジ違うからそういうのじゃないから)ボディピアスをつけてる人に相対した時、その感想は大体が「キモい」「痛そう」「バカそう」とかだと俺は思ってるし多分その認識は社会を形成する上で至極当然のことだと思う。
そしてそれに反論して違うんだーボディピはこうなんだーみたいな意味の無い声を挙げるつもりもない。いや実際アホやろ。
話はちょっと遠ざかるけど、たまにいるじゃん、勝手に人の表層だけ見て勝手にそいつのちっせえ物差しで人を測ったつもりになってコロコロ態度変えたり、距離感見誤ってクソ舐めたこと言ってくる奴。まあ同期の悪口なんだけど。
大学時代は自分の好きな奴らとだけ付き合って、まあ居心地のいいとこに自分を置いとこうとするじゃん、人間なんだし。
でも社会人ってそうじゃなくて、どんな嫌な奴でもお互い助け合って、表面上でも仲良くするのが大人じゃん、部署の同期とかなら尚更。ていうかそれができないやつばっかで、22年間何やってたの?遺伝子レベルでやり直したほうがいいんじゃない?染色体一個多いんじゃね?ってストレス溜まりまくりで、まあそれはもう疲れたからやめたんだけど。馬鹿が多勢なら俺が潰れるだけだしね。っていうか人の母親の鬱病いじるとか、もはやお前がボランティアされる側だろ。
話が脱線し過ぎた、この1ヶ月そういう環境にいて、どんなに大学って場所が多様性に富んでていい場所なのかってことを再認識したんだよ。自分が自分でいられる場所って大事だよね。
「自分が自分でいられる」をキーにして、ボディピアスの話に戻るけど、ボディピアスにもそういった意味合いがあって、自意識の問題になるんだけど、まあ平たく言えばお守りみたいなもんかな、「俺はこいつらとは違うんだ†††」みたいな浅い感情もあるし、開けることで今までの自分から脱却するって意味もあるし。
でもじゃあ『蛇にピアス』のルイはなんでスプリットタンを目前にしても虚しさしか残らなかったのか?ってなると、結局ピアスの場所とか、ゲージとか、そういったものに意味はないってことなんだよね。
浅く読むと、アマがいなくなってアマとのコミュニケーションツールであったピアスと刺青に意味を見出せなくなったってなるんだけど、そんなのはクソだね。お勉強しかしてこなかったクソ評論家だよ誰だったか忘れたけど。
そもそもピアスに意味なんか無いことぐらい開ける前から分かってる。でも開けたい。何故か。大事なのはそのプロセスだからだ。
その時何かを感じて、それに対して自分はどう変わりたくて、そのきっかけを作るためにピアスを開けて、で、自分の意識の舵を取る。言ってしまえばピアスという「物質」がそこについてるかどうかとか、あまり関係無いんだよ。おしゃぶりみたいなもんで、必要無くなったら外せばいい。
で、ルイはアマの死によってそれが必要無くなった。刺青も画竜点睛して、舌にも川ができたと。これから先ルイはきっとシバの元を離れて一人で生きていけるよ、これって立派な成長だし、『蛇にピアス』ってすげーハッピーエンドじゃない?
まとめると、俺も最近新しくボディピアスを開けたんだけど、まあ前述したストレスとか色々考えがあってやったんだよってことと(それに関しては誰にも全ては語らないけど)、あともう一点、ボディピアスと自傷行為、いわゆるリストカットとかとは全然違うものだよってこと。
ボディピアスは自身を鼓舞するため、しんどいけど前に一生懸命進もうとしてやってることだけど、自傷行為は自分の過ちから自分を傷つけて責めてるだけじゃん、まあ俺の母ちゃんメンヘラだったしガンガン手首切って子供だった俺は泣きながらそれを止めてたわけだけど、そんな後ろ向きな行為と一緒にされたかあないね俺は。遺伝じゃねーよバーカ。
最後に。ボディピアスはいいものだよ、オススメはしないけど、ゴミを見るような目では見ないでおくれ。