こんにちは!メンヘラ系アラフォーのケンジです!
改めて自己紹介をさせて頂きたいと思います
1976年生まれの現在44歳です。生まれは愛知県の田舎です。家族構成は父と母(亡くなりました)弟の4人家族えした。保育園では活発な男の子でした。小学生の時も明るくふざけるのが大好きでクラスの中でも人気者のタイプでした。成績は中の下くらいで勉強はできませんでした。家庭環境は父が問題で、なにか気に入らないことがあると怒鳴り散らして母親はただ謝る事しかできず自分も泣く事しかできずちょっとギスギスとしった関係でした。暴力はありませんでしが今で言うとDVだったと思います。そして中学に上がった頃に事件が起きます。母親がパート先の健康診断で再検査を通知されたのです。近所の大きな病院で検査をしました。結果は肺がんでしたこの頃はステージ2だったと思います。しかしがんの位置が心臓に近くオペができず時間だけが過ぎてゆきました。そして名古屋市にあるがんセンターに入院オペを受けるうのですが、おそらく上手く取り切れなかったらしくこれは想像ですが当時インフォームドコンセントも十分ではなく主治医からもなんんだかハッキリしない説明だたと父は言っていました。そして中二の秋母は肺がんで苦しみぬいて亡くなりました。ショックで信じられませんでした。そこで母の喪失感を埋めるように悪い友達とつるむようになります。夜中部屋を抜け出してバイクを盗んで朝まで乗り回したりしていました。尾崎豊の世界観まんまですね。友達はシンナーを吸っていましたが自分は抵抗があったのでしませんでした。そして高校受験がやてくるのですが成績はほぼオール1。公立の高校は絶望的でした。しかし受験三ヶ月前から猛勉強をはじめギリギリ公立高校に入学できたのでした。しかし学校生活は退屈で徐々に行かなくなり秋には退学してしまいました。母の不在も大きかったです。自分も寂しく思っており夜な夜な布団の中で泣いていました。その後フリーターになりファミレスで働き楽しくやっていました。
その後名古屋のテレビ塔のあたりでイラン人が偽造テレフォンカードを売っていると知ります。当時携帯はなくポケベルで連絡取るのが主流でした。公衆電話もよっく使いました。そこで名古屋に行ったときは偽造テレホンカードを買いました。ある時『マリファナある?』と聞いたら『あるよちょっと待ってて』と言ってマリファナをはじめてゲットします。タバコの葉を半分くらい抜いてマリファナとタバコの葉を混ぜて詰めなおし始めてマリファナをキメるのでした。最初からぶっ飛びました。なにがおかしいのか笑えてきて一時間くらいずっと笑ってました。違法ドラック初挑戦はバットにもならず楽しめました。そこから月に一回程度マリファナを買いに名古屋まで行っていました。19歳くらいの事です。
そんな日々が続くのですが彼女が出来ました。彼女と一緒に東京に行こうと決心し駆け落ちのような形で二人で上京します。なんのつても無く地理も頭に入っていなく町田のパチンコ店で二人で住み込みで働く事になりました。寮があって2食つきだったので金銭的にとても助かりました。彼女にもマリファナを吸わせてキメセクしていました。東京でもマリファナを買いに行くのですがどこで売っているかもわからずでしたがとりあえず新宿まで行けば買えると思い新宿へいきました。南口にたまたま日本人の売人がいて目で合図を送るとうなずいて後ろをついていきました。買い方は名古屋のイラン人からの経験があったのでスムーズに取引でき東京でもマリファナを手に入れるのでした。次に買いに行ったときも南口に日本人の売人がいました。目で合図を送りやりとりします。するとマリファナはないと言われました。その代わりスピードならあるよと言われ覚せい剤である事は分かっていましたが1万円分買って町田まで帰りラブホテルでスピードをキメました。彼女にもやらせました。当時石丸元章の『SPEED』でアルミに乗せて下からライターを炙って煙を吸うというやり方は知っていたの抵抗なく本を真似て吸いました。最初はキマっているのかよくわからず一応SEXするのですが上手く立たずにこんなの何が良いのだ?っていうのが初めてのシャブ体験の感想でした。そこで辞めとけばよかったのですがまた新宿に買いに行くのでした。そんな事もあり、だんだんと深みにはまりキキメセクの虜になっていくのでした。
パチンコ屋を辞めて部屋を借り同棲生活をしていたのですがシャブは辞められませんでした。ある時買いに行こうという自分ともうやりたくないという彼女と喧嘩をして一人で買いに行き一人でラブホテル人入り使いました。そしてOD気味になり飲まず食わずでキメていて『警察に追われている』という妄想に取りつかれホテルを出て、だんだん妄想が酷くなり現実との境界線がわからなくなり錯乱しました。相模原の河原に車を停め妄想から逃げるようにシャブをやり続けました。するともう全てが自分を追っていると妄想がどんどん強まり車置いて逃げ出しました。するとジェット機で追ってくる妄想に囚われ妄想のジェット機に向かって「コードナンバーは?』と訳の分からない事を叫ぶのですが当然返事はありませんでした林の中に逃げ込んで隠れたりしながら一夜を明かし朝バスで帰る事にしバスで部屋に帰りました。ずっとグリグリです。彼女はおこ半分心配半分でしたが前のマンションから盗撮されていると妄想が入り部屋からも逃げ出し駅に行きました。するとこっちへおいでという声は聞こえないのですが脳にダイレクトに届きそっちへ行きました。もう逃げるのも疲れ果てて交番があり交番にいきスピードをやった。もう追うのは辞めてくれと自首(?)するのでした。警察もは?な感じでポケットに入れたスピードを出しすぐに生活安全課の刑事がやってきて目の前で試薬検査え見事に色が変わり覚せい剤取締法違反の容疑で緊急逮捕されました。一回目の逮捕です。21歳ごろだったと思います。
彼女に大迷惑をかけついに犯罪者となり絶望しました。20日間の拘留後に拘置所に移送され逮捕から3か月後に公判があり懲役1年6か月執行猶予3年のお決まりの判決をうけてついに釈放されるのでした。長かったですしそうとう辛い体験でした。もしうこりごりだと思いました。今思い返しても辛く苦しい体験として刻まれています。ちなみにですが拘置所のご飯は美味かったです。学校の給食のような感じでした。
そんなこんなで愛知に引っ越す事になります。彼女の両親にも駆け落ちのような真似をしてしまいすみませんでした。と謝り結婚させてもらう事になりました。ささやかですが結婚式も上げてもらい幸せの中にいました。それでも覚せい剤をやめられず名古屋に行きイラン人から覚せい剤を買って一人で使っていました。半年ほどたったころ薬を買いに行き使っていましたが部屋に帰れず家出していまいました。仕事もブッチしてビジネスホテルに泊まっては覚せい剤を使うのを金がつきるまでやり続けホームレスになりました。一周間くらいそんなことをしていて名古屋で自転車を盗みそれで地元まで帰りました。帰りに夜中パトカーがが通りヤバいと思いました。その直感は的中し職務質問を受けます。そこで自転車が盗難車であることが発覚し妻にも連絡が行き警察署まで連れていかれ妻の両親と父親が迎えに来ました。彼女からは離婚を言い渡され許してくれともいえず離婚することにいなりました。
実家に身を寄せ仕事を探すのですがなかなか見つからずでした。前から知り合いだった子と付き合う事になり随分と助けになりました。三河地方にあるパチンコ店で働くことになり大変でしたがそこで働きました。基本腐ったヤツしかおらず早く辞めたかったのですが金を貯めるため我慢して1年くらい働きました。
その間シャブは2ちゃんねるの薬板で郵送で買ってました。運よくガサなどもなく良かったです。
それから県内でも大手のパチンコ店へ転職し岐阜県に引っ越しグランドオープンのスタッフとして働くのでした。仕事も順調で彼女の妊娠が発覚し子供ができるのでした。入籍を済ませ出産にも立ち会いました。子供には呼びやすく覚えやすくみんなに愛されるようにと願いを込めて名前を付けました。嫁は里帰り出産で実家に帰っていたので休みの日は覚せい剤やり放題だったのでずっと使っていました。ろくに連絡もせずに覚せい剤と仕事の繰り返し。ボロボロでした。そんな自分にしびれを切らし嫁から離婚を告げられるのでした。またもや覚せい剤で大切なものを失ってっしまい失意のどん底でした。なにより子供と会えなくなるのが辛かったです。こんなに涙が出るのかっていうほど泣きました。そんなある朝、ドアをノックする音で目が覚めました。アパートの一階だったのですがベランダ側からと玄関から知らない人が10人くらい入って来ました。初めてのガサ入れでした。一瞬のことで理解できずとにかく怖かったです。最後に使ってから一ヶ月くらい経っていたので覚せい剤も何も出てこずにでしたが名古屋市の港区の警察署まで連れていかれました。売人についてあれこれ聞かれましたので正直に答えました。ちょうど休みの日だったので会社にもバレませんでしたし助かりました。警察署の喫煙所でタバコを吸っていると先にいた警察官が『モノもしょんべんも出なかったらしいな。良かったな』と言ってくれました。運が良かったです。
仕事も凡ミス連発でかなり周りに迷惑を掛けました。そして転勤の辞令が出ました。愛知県の店舗に移動になりました。そこでがむしゃらに頑張りイベントリーダーを任され全店イベントで優勝し社長賞を頂きました。
そんな中2回目のガサ入れ。朝けたたましい玄関ベルの音で目が覚めました。また10人くらいのゴツイ刑事が入って来ました。売人から足がついたのです。自分の携帯からなんて絶対だめだと思いました。でもその後も飛ばしの携帯を買う事はしなかったのですが。警察署で調書を取られまた売人についてあれこれ聞かれたので正直に答えました。翌日覚せい剤買いに行って使いましたけど。そこから2週間後に今度は別の署からガサが入りました。2週間前に使っていたのっでギリギリ尿検査に出るか出ないかの瀬戸際だったのですが結果はシロ。セーフでした。名古屋のテレビ塔の付近にいるイラン人から買ったのですが現場の様子をすべて写真に撮られていたのです。今回はカラパケとポンプを取られそこから微量の覚せい剤が検出されました。ダメかと生きた心地がしなかったのですが在宅のまま送検され検事調べがありました。優しい検事でしたが薬物事犯には厳しいと言われる検事だったそうです。売人を営利だけではなく麻薬特例法違反の容疑で捜査が行われており自分たちはその為の証人のような扱いだったらしいです。検事調べが終わって帰ってからもいつ逮捕されるんだろうと不安な日々を送っていましたが起訴猶予ということで収まりました。
そんな中趣味でDJをやっていたのですがDJ仲間に合法ハーブを勧められ一服しました。するとマリファナと変わらないくらいの飛び方を経験しました。こんなのが合法で良いのかと思いました。近所のアダルトショップに行ったらハーブとリキッドが売っていました。銘柄は忘れましたが今度はいわゆる脱法系にハマっていくのでしった。その頃mixiが盛んで自分も楽しんでやっていました。そしてビックビーチというファットボーイスリムがトリを務める野外パーティーが千葉県の海浜幕張で行われ自分も参加しました。そしてmixiで知り合った子と会いました。おとなし目なカワイイ子でした。その子と野外パーティーを楽しみ仲良くなって愛知へ帰るのでした。帰ってからも連絡を取り合い親密な関係となりました。名古屋に遊びに来ると言うデートプランを練って名古屋観光えお案内し『付き合って欲しい』と告白すると一発OKで遠距離恋愛をスタートさせることになりました。スカイプで毎日やり取りをしフジロックに一緒に行ったり楽しい日々をすごしていました。転勤などもありストレスも溜まっていたのか薬の使用量が増えていきました。彼女からも突然連絡が取れなくなり三日後くらいに電話するような感じで心配をかけました。脱法でも勘ぐりが出たりしてろれつが上手く回らなくなり異変を感じました。ヤバいなと思いながら手がるに買える脱法にハマりました。そしてある時仕事に行けなくなりコンビニの駐車場で四日間くらい寝ていました。四日間無断欠席をし会社を退職せざるおえなくなり7年ほど勤めたパチンコ店を退職しました。35歳頃だったと思います。
それから再度上京し彼女の部屋に転がり込みました。東京で旅行会社の営業のお仕事に就きました。給料はパチンコ店時代よりも100万円ほどダウンしましたが新しい生活をスタートさせるのでした。仕事も概ね順調だったのですが彼女が仕事を辞めカナダへ留学することになりました。以前からの夢だったようでそこで別れる事になりいました。自分は近くに部屋を借り一人暮らしをはじめました。覚せい剤は月一くらいで使っていました。そんなある時、夜眠れなくなってハルシオンを精神科でだしてもらい飲んで眠るようになりました。そんなある2月の夜大雪が降って都内の電車は軒並み運休。帰れなくなりました。ネカフェで泊まるかとネカフェに行きましたがどこも満室で雪の降る中空いているネカフェを探しつづけようやく一件の空きのあるネカフェがありそこで一夜を明かしました。その時ハルシオンを持っており一錠飲んで軽く眠りました。そこから記憶がなく気がついたら新宿のネカフェで覚せい剤を使っていました。思い消すと断片的に記憶があるのですがその時はまったく訳が分かりませんでした。ハルシオンの怖い一面が出ました。そこから覚せい剤の連続使用が始まり新宿のビデボやネカフェを渡り歩き覚せい剤を使い続けるのでしいた。また会社は無断欠勤し一週間くらい使い続け部屋に帰ってなんてことをしてしまたのかと泣きました。それからネットで覚せい剤 依存 治療とかのワードで検索をして出ていた所に目星をつけまずはアパリクリニックへ電話すると、今は新患は取っていないと断られ、国立精神神経医療研究センターに連絡すると初診3ヶ月待ちとのことでそんなに待ってられず、神奈川県にある(旧)せりがや病院へ電話すると2週間待ちで診てくれるとのことで初診の予約を取りました。そこから2週間も使っていました。そして初診の前日に電話がありました。どこからだろうと番号を検査すると『いのちの電話』とありました。ついにこんなところまで落ちたのだと思いハッとさせられました。そして翌日せりがや病院に行くのでした。先生は優しそうな方で話しやすかったです。覚せい剤が止まらないと話をしその場で職場への診断書と生活保護と保健所への手配をしてもらえました。入院の手続きもし2週間後に入院する事になりました。尿検査と血液検査を行い、採血の時浅い口呼吸で軽く息切れしている状態だったので血中酸素濃度を測ってもらったのですが正常値でした。覚せい剤を前日まで使っていたのでそのせいだと思われました。そんなこんなで初診を終え帰路につきました。その日は2月で関東地方は大雪が降った日でした。
病院でもらった書類を持って区役所に行き初めて生活保護を申請しました。先生の診断書もありスムーズに手続き出来ました。保健所で精神障害者手帳と自立支援の手続きをしました。あと会社に連絡しうつ病と診断書を書いてもらっていたので会社は諭旨解雇処分となりました。そして入院日が来て持ち物を持って病院に向かいました。持ち物チェックをされタバコは表向きはNGだったので病院に預ける形となりました。後からわかるのですがみんな普通に中庭でタバコを吸っていました。初日はガッチャン部屋と呼ばれる病室に入りました。一人部屋で外から鍵がかけれらるようになっており様子を見るために保護室から入院生活がスタートしました。外から鍵のかけられる部屋でしたが鍵はかけられませんでした。外に出ることもしませんでしたが。『水分はちゃんと取ってくださいね』と水の入った水筒をもらいました。もっと覚せい剤を早く抜く薬とか点滴とかを想像していたのですが水飲んで寝ててねというまさかの扱いに驚きでした。二日くらいガッチャン部屋で過ごし大部屋に移りました。大部屋と言っても4人部屋で一人しか入っておらず二人での生活となりました。入院プログラムは選択制で何をしてもよかったのでほとんどすべてのプログラムに参加しました。中でもSMARPP(スマープ)というプログラムが週一であり自分が一番期待していたプログラムでした。スマープはこのせりがや病院で開発された外来治療プログラムで基本的には外来プログラムですが入院中も参加してよく参加していました。10人くらいが今週あった出来事や今の悩みなどを話す内容でテキストもあるのですがほとんどテキストは使いませんでした。みんな本音でしゃべるのですぐに仲良くなりました。脱法ハーブ全盛の時で半分くらいが脱法ハーブの人でした。基本開放病棟だったので脱走する人もいました。でも脱走もこなれていてまたか程度の扱いで病院側も『また戻ってくるなら診てやる』ていう感じの方針で脱走と入院を繰り返す人もいました。そんなこんなで入院生活も終わり病院からB型作業所を紹介され退院後はそこに通うようになります。退院が近づくとまた覚せい剤が使いたいという欲求が入るようになり、退院日にその足で覚せい剤を買いに行きその日のうちに使ってしまい退院後すぐに滑ってしまうのでした。それから数日後車を運転していて知人と待ち合わせ場所が分からず電話しながら車を運転していたら警察に声をかけられ職務質問されました。すぐに照会をかけられ16年前の覚せい剤での逮捕歴が上がり、『やってないよね?』となりやっていないと突っぱねるのですが応援をよばれ次々とパトかーがやってきていつのまにか10人以上の警察官に囲まれ腕を見せろと言われしぶいぶ見せると注射の痕がバレて任意で尿検査に協力し
2回目の逮捕となりました。A署に連行され留置所に入れられました。前回の時にあった運動の時間にタバコを二本吸わせてくれたのですがシステムが変わり刑事の面倒見もなくなっていました。執行猶予は確定だろうという思いがあったので余裕でした。愛知県に住む弟に手紙を書き情状証人になってもらいました。弟からは『お前は勝手だ!』と一喝されぐうの音も出ませんでした。即決裁判でその日のうちに判決が出る裁判で留置所に20日間の拘留でその足で裁判所へ向かい裁判を受けました。判決は懲役1年半年執行猶予3年のお約束の判決。弟には迷惑をかけたので家族を含め申し訳ない気持ちでいっぱいでした。また一からがんばろうと決意し再出発を誓いました。
B型作業所に通うようになり新しい仲間とも出会いました。そこの作業所は依存症専門の作業所で元ダルクの人が開設したところでダルク色が強いと思います。コーヒー豆を手で選別し焙煎から販売まで行っていました。昼食は交代で作るのですが元ダルクの人も多く大人数の食事をつくるのに慣れていてそれぞれ役割分担をしながら作業を行っていました。その作業所に5年間通った後に就労移行支援事業所に通う事にします。早く社会復帰したかったかです。就労移行支援は2年間の期限付きなので来年の1月までとなります。その間MOSを取ったりしなが日々訓練をしています。
だいぶはしょりましたが中の人はこんな人生を歩んで来た人なのです。
今後とも宜しくお願い致します!
ではまた!