どうも私はアメブロを始めて3週間が経ったらしい。

先週もしっかり「2週間が経ちました」とメールが届きました。



アメブロ、何してるん?



さて、3週間と言えば、部屋の中に飛ばしたバルーン、明日で3週間になるのかな?

結局、アルミ製のバルーンであれば、何もなければほとんど抜けない事が分りました。

未だにこの5匹は健在です。


気温や気圧にも左右されるため、青い気球のバルーンは一時的に少ししぼんだ感じがありましたけど、気温が上がったらまたパンパンに膨らみました。
これくらい長持ちするしたらガス入り1500円程度のバルーンもそんなに高くはないかもしれませんね。
今回はPEのバルーンは2つしか膨らましませんでしたが、やはりガスの持ちは期待できない感じ。
もちろんアルミでも小さいものは始めから浮遊能力は無し。かなり際どいバランスで浮き沈みが左右されるんですね。

節分が終わり、既に商店ではひな祭りの準備。時は容赦なく流れてゆきます。
マスク社会が当たり前になった日本、英国在住の日本人の方は、その光景に「日本に帰りたくない」と言っていました。
海外によく行かれる方は、それぞれの国の文化があり、一見奇妙に見える光景でも受け入れられるものかもしれませんが、かつての姿を知るものであれば、その変動に戸惑うのも必然でしょう。
文化が変われば子供のおもちゃも変わる。
かつては石や棒で遊び、魚や昆虫を観察していたものが、ロー石やビー玉、メンコになり、電気やモーターを使ったラジコンやプラレール、そして電子、cpuの産物、ファミコンへと変わってきました。
そうした中でも、百均で見るように、昔ながらの流れを維持したおもちゃはそこそこ残っていますよね。
竹からプラに素材画変わったものの、水鉄砲は今でも夏場の子供の主要な遊びの一つではないかと。
さすがに羽子板で遊んでいる子供を見かけることはなくなりましたが、ここ地方都市では凧揚げも見掛けたりします。
そうした中でも神経質に考えなければならないおもちゃも出てきました。
風船もそのひとつ。
呼気でふくらませるのは、ご家庭内でもなければタブー。

左の笛付き風船とか、空気入れなんて使うものではないですし、右のもあえて空気入れ使うって違和感がありますよね。
てゆか、この茶色い犬、どうやって作ってるんだ?
たとえ空気入れを使っても、空気が入っているものを見るだけで嫌悪感を覚える人も今は居るものだと思われますよね。
そしてその一部の人が感じる嫌悪感、それが案外社会を変えてきた。
例の公園閉鎖の一件もそう。

多民族の暮らす米国においては、州法なんてのがその典型。
「大通りを弁当箱を持って歩いてはいけない」
「日曜日はハンバーガーを食べてはいけない」
ある意味「落ちどころ」を踏まえて作られたものだとしても、このあたりは果たして民主の言う「多数決」に沿った立法であるかと言うとそうでもない。「一部の者に対する配慮」であるわけだが、この一部に対する配慮と多数決による過半数の決定が、時に行政によって都合よく使い分けられたりする。その方向性が必ずしもいい方に傾くとは限らない。
大人が作った社会の中で、結局不自由するのは子供たちだったりする。

社会を作るものは、基本的に他者に不利益を与えないことを前提にすべきであると私は思う。
しかしながら現実は利己的に自らの主張に特化することが多い。
それはまた次世代に引き継がれ、それが故、今は高齢者が疎まれる時代になっているのではないかと思う節もある。
かつて大人に虐げられた子供が成人し、抑圧された幼少期の逆襲が行われている。
それはまた次世代に引き継がれ、今の子どもたちはさらに今の大人に対する逆襲を後の世界であらわにするのではないか。
それは決して意識して行われるのではなく、潜在意識の元で「感じるママ」に行われる。
実はそれが大きな問題ではない。
今はその「今の子供たち」の将来ですらあるのかすら分からない時代に突入している。
自由に遊ぶことも出来ない時代に子供時代を過ごし、かつ未来も無かったとしたら。

今、自分に出来ることは、今存在している者にほんの一瞬でも喜びを与えること。
この自体にジャンヌ・ダルクのように「未来を創る」なんて、イーロン・マスク氏ほどの人物にだって容易なことではないし、亡くなった後にいくら祈っても、死者は喜びも悲しみもしない。それは死後の世界があったとしても同じだと思う。
生きているうちにどれだけ与えられるのか、そういうことではないか。
美味しいものを食べたとか、いあ買い物が出来たとか、人は基本的にそんな小さな幸せを積み重ねて暮らしている。
その手助けくらいなら誰でも出来ることではないだろうか。

未来に全く可能性が無いわけではない。
いわゆる「ワクチン後遺症」についても、最近はデトックスの方法がいろいろ囁かれているが、特に日本人、デトックス食品に上がる名前を見ると、あえて何かしなくても大丈夫なんじゃないか?と思う。
緑茶
納豆
日本酒まで。
生活の中に、まるでかつて同じ経験をしてきたがごとくデトックス食品が多く含まれている。
もとより我々は人間になる以前からウイルスや細菌と「共生」してきた。
その中でお互いの長所を吸収し合うことで生命が途切れることなく何億という歳月を繋いできた。
そう考えれば人間の浅知恵など、たかがしれているのではないか。

社会生活とは何なのか、それは人間以外の生物が教えてくれている。
蜂や蟻のように集団行動をするものでも、抑圧によって統制されているわけではない。
動物も昆虫も植物でさえも、本能の元に寄り添い共存している。
社会生活とは、元来統治者など必要としていないのだ。

強欲ささえ取り除けば、今やりたいことをする、それだけで地球の中で共存する生命として正しく生きられるのではないかと思う。


とりあえず今だけは


ポンプ忘れないようにしておこう。←結論