一九九九年十一月十六歳、高校二年。左手首をカッターで切った。短い人生を終わらせようと思った。理由は人間関係の悩みだった。
中学時代の同級生で進学せず暴力団に片足いれている奴に、連日暴力を受け金を巻き上げられていた。リストカットした前日、人気のない場所で主犯格O・MとK・A、Y・Sから暴行を受けた。K・AはO・Mと常に一緒に行動していた。Y・Sとは自宅が近所で小学校から高校まで同じ学校に通っていた。Y・Sもまた私と同じように二人から金を巻き上げられたりしていた。あの時私を殴ったのは二人に命令され断れなかったからということは分かっていたし、後日、殴ったことを誤ってきた際にそのような事を言っていた。しかし、あの時のY・Sはいきがった感じで「お前、調子にのるなよ」等といいながら私を何発も殴った。O・MやK・Aに対してはもちろんだがY・Sのことも気持ちの中では怨んでいた。あの頃を思い出すと未だにO・MやK・Aの事を殺したくなる。
テレビドラマのなかでリストカットした登場人物は死ぬ死なないは別として必ず意識を失っているが、私は意識を無くすことはなかった。手首から血を流してボーっとしている私に気付いた母が叫びながら父を呼んでいる姿は十六年経った今でも鮮明に覚えている。両親に支えられながら父が運転する車で病院へ行き手当てをしてもらった。傷は深く今でも傷跡は残っている。しかし幸いにも後遺症は無かった。入院することも無く手当てをして自宅へ帰ったが暫く学校へは行かなかった。
学校へ行かなかった期間中、私がリストカットをしたことを知ったO・MとK・Aが謝罪に来た。「本当に悪いことをした」と言っていた。その時にもまだ私は誰にも何も話せずにいたが、父はその時O・Mを見て、母に「あいつは悪だぞ」と言っていたらしい。
その数日後、私は全てを両親に話した。その後、自宅に担任のI先生、Y・Sとその両親が来てこれまでの話をした。結局、警察沙汰にはしなかった。その時の私の精神状態に考慮してのことだ。だが、あの時警察沙汰にしていれば良かったかもしれないと数年経って思た出来事があった。
年が明け冬休みが終わり久しぶりに登校すると、下駄箱で「おはよう」と声をかけてくれた女子がいた。クラスメートではあるがこれまで話したこともない子だった。その子に限らずクラスの女子とは殆ど話したことがなかった。特段、女子が苦手というわけでもないがクラスの女子から何故か避けられてると感じていたし、私自身もあまりクラスの女子達が好きでもなかった。だから、なぜその子が私に「おはよう」と声をかけてくれたのか今でも謎である。それから卒業するまでに何度かその子と話したことがはあったが、あの時のことを聞くこともなかった。ただ、あの時の「おはよう」は嬉しかった。
クラスメート達は久しぶりに登校してきた私に休んでいた理由を聞いてきたが、本当のことは誰にも話さなかった。ただ、M・Tにだけは話をした。M・Tとは高校一年の時に同じクラスで二年の時には別々のクラスになっていたが、夏休みの時にはお互いの家に泊まりに行ったりしていた。枕が変わると寝付けない私だがM・Tの家では熟睡していたことを覚えている。性格も似ているわけではないが何故か今でも友人関係である。
