今日はママさんの検査もないのでわたくしのことでも(つづき)

パニック障害になって半年の休養を言い渡されました。
様々な自律神経系の症状。(ほてり、めまい、ふるえなど)にくわえ過換気症候群が日に何度も襲ってきて精神的にも鬱状態が続き眠れず、食えず、外に出れず・・・発作が出るたびに救急車を勝手に呼び家族には大変なご迷惑をかけた。っで病院に担ぎ込まれて強烈な安定剤を血管に放り込まれて歩けなくなるほどの廃人となって帰宅する。そんな毎日・・・
医師からすると結構な重症状態でどうしてやろうかという感じだったと今では笑いながら話してくれる。
それを救ってくれたのがママさん。ずっとそばにいてくれた。ありがたかった。
毎日、病院に朝一で行って、食事ができないので1日に必要な栄養を点滴でおぎなってママさんが出なきゃ精神的にダメになると強引にそこらじゅうに連れて行かれた。今から思うとそれでよかったのだと思う。当時は「コイツは鬼だ」と思ってたけど(笑)
散々、引きづり回されて家に帰るけどご飯は食べれず音がイライラするので無音の部屋。そして眠れない。布団に横になっている感じ。どんな眠剤を使っても眠れない。
そんな生活が2ヶ月ほど続く。かっぷくのよい僕は当時90キロほどあった体重は70キロぐらいまでたった2ヶ月で落ちてしまう。そして今はリバウンドしてしまう。。。
2ヶ月もたちようやくゼリーが食べれるようになる。あのゼリーの味は一生忘れることはないと思う。今でも凹むとそれを食べる。最近も食べた。
パニック発作も4ヶ月を過ぎる頃には当時、物議をかもしだした「パキシル」という薬が僕にはビターーッと合い発作ならび様々な症状が影をひそめる。
半年後、仕事に復帰するが安定剤ならび抗鬱剤、睡眠薬を飲んでいる間は飲酒できないのでお客さんにすすめられても飲めないのが辛かった。自他とも認める大酒豪なので(汗)
以後、自律神経系の症状は時々「オレのことを忘れるなよ!」と言いながら襲ってはくるものの「忘れてませんから」と流せるようにまでなった。
薬も徐々に減薬してゆき5年ぐらいで飲まなくてもよい感じになったが彼らからの呪縛は逃れられなかった。
7年もたったある日、いきなり襲ってきた。「お前!オレのこと忘れただろう!きついのをおみまいしてやるぞ!!!」といきなりまたすべての症状が僕を襲う。
過呼吸からのパニック発作。救急車を呼ばなきゃ!と携帯を手に持つ。
久しぶりに救急車を呼ぼうと電話しているとなんだか普通に話せる。医者から言えば経験値がつき脳がそれに対応しようとするらしい。スキルアップというか危機に迫られた時に僕はかなり冷静に行動ができる脳になったみたいだ。けがの功名というか・・・
ただこれは自分自身の危機に対してだけであって息子やママのことになると圧倒的にオロオロしてしまう。
っで、しばらくお薬を服用するが1年ぐらいで止めれました。
この病気もガンと比べたらあれなんだけど完治という言葉がない。症状が消失している間は「解離状態」ということになる。一生うまく付き合うしかないらしい。

今、パニック障害で悩んでる方々に
「無理に治そうとすることをあきらめなさい」
そうしたらあいつらは相手にしてくれないとどっかに行っちゃいます。
なにせ、いじめっ子ですから(笑)
立ち向かおうと思っても負けちゃいます。
だって自分の精神と精神とのバトルです。勝ち負けなんてないのです。全部、自分のものなんです。
だったらその症状を好きになればいい。個性だと思えばいい。
凹むことも多いと思うけどね(汗)
ママさんの心臓検査。
抗がん剤って心臓にそんなにも負担がかかるものなのかなぁ?
異常はなかったものの心配だ。
高額医療の申請もしてきました。
子供のワクチンにも行かなきゃいけないし
頑張らねば!



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15年やってたお店を閉め新たに土地を買い色々と準備を進めてる一番楽しい時期にまさかの奥さんが乳がん患者になったものでコンセプトからなにからなにまで白紙状態。
まず重くのし掛かるのがお金。
夫婦そろっての無職状態。貯金は土地代で消え建物の改装工事で多額の借金。
ん~笑ける。おもろい人生だ。
でも、店を続けていたら同然、半日ドックなんていかなかったから近い将来もっと深刻な状態になっていたかもしれない。
ものは考えようとよく聞くが何年か後に笑って話せたらいいよね。
初めは奥さんの希望で美味しいランチを出すカフェをやりたいと話してましたがさすがに一人では無理。
バイトを雇っても限界がある。
今までは奥さんのことで頭がいっぱいだったけど方向が確定したのでそろそろ考えねば。
でも、現実問題でお金がないんだよなぁ。どうしたものか・・・
今日は検査結果の説明を聞きに行きました。左の2センチのシコリは悪性度2のホルモン剤治療が効果的なガン。右の非浸潤性はやはり悪性。しかもタイプが違うらしい。転移ではなく新たにできたらしい。悪性度1で今後のことを考えて両乳房全摘の方向にしたいと・・・
ホルモン剤だけでもいける感じだけど今後を考えて抗がん剤もした方が・・・
奥さん、即答でお願いしますと・・・
父親もガンなので遺伝型なので卵巣も摘出した方が・・・みたいな話もされた。
もはや宿命としかいえない感じです。
来週の金曜日に1回目のCEFを行い、1日入院して帰宅らしいです。
昨日は友人夫婦とご飯に行った。
ここ2週間はあまり人に出会いたくなかった(今も)けど 弱音を吐ける友人なので夫婦同士で語り合った。
なにはともあれ明日に方向性が見えるんだし僕は開き直るしかない。奥さんはマンモ生検の傷が痛いとイライラしていた。
結局、焼酎を3合ぐらい飲んで0時には家に帰った。最近、お酒は控えてたけど調子に乗り過ぎました。
本日は朝からPET-CTをやってきたらしい。1週間でこんだけ検査するんだから大変な病なんだと改めて感じた。
久しぶりにイライラがとまらない。            
昨日の夜のこと。。。
ママと息子と床に就き、息子が寝息をたてた頃、ママがすり寄ってきて「なんかわたしアカン気がする」と普段は全く泣かないママがポロポロ泣いた。
なにも声がかけられず背中をさすった。
結局、朝方まで寝れなかった。
今は元気な息子でなんとか持ちこたえてる感じ。
息子よ頼りにしているぞい。。。
今日はママと息子とばぁばとでホタルを見に行った。
ふと来年はどうしているだろうか?
考えても仕方のないことだとわかっていてもやはり悲しくなってしまう。

「なるようになる」

この言葉の本当の重みをかみしめている。
今日はお店のことを少し・・・
僕は27歳の時にママ(当時24歳)と後輩の3人で創作和風料理を京都の西陣で始めました。
まだまだバブルの名残りで繁盛しまして毎日、楽しくやってました。
あれから15年・・・テナントの家賃地獄からようやく抜け出して土地を買い、上物は借金ですけどね(汗)
僕のパニック障害は今のところ再発もなくほぼ治癒状態ですが乳がんと一緒でいつ再発するかわからず体調面と精神面のケアは常に行ってます。
一度、再発したらうつ病や摂食障害など様々な症状があふれるようにでて大変なんでね(笑)

話はそれましたがママが告知されるまではカフェをしようと考えてましたがママが働けるかどうかもわからないのでとりあえず「美味しいランチ」をコンセプトにしたお店にしようと思います。
ママも「自分のせいでお店をあきらめるとかやめて」と言ってますから
少しでも彼女が戻れていつでも僕がいる状況を作ろうと頑張ろうと考えてます。
JAZZが流れて庭テラスもあって愛犬を店長にして南向きで明るくてそんな感じの店を目指します。でも・・・僕がコーヒーが苦手なんで入れ方がわからないんですけどね・・・残念!(古)

工事もようやく開始され鉄筋4階建ての建物の内部を破壊してます(笑)
工務店のおっちゃんが僕の父親代わりの人だったのでママのことも理解してくれてて感謝してます。
完成は大文字の前までにはと考えてますがどうなることか・・・

今日は午後から骨シンチだったかな?、ママの検査があります。明後日はPET
色々、調べなきゃいけないのでがんというものをまじかで見て本当に大変な病気なんだって痛感させられます。
家族もショックは強いですがやはりママが一番つらいだろうしなんとかチカラになりたいのだけど変に気遣うと余計につらいだろうし今はいたって普通に接してます。

家族みんながギリギリのところで踏ん張ってます。息子も踏ん張ってます。受け入れる心づもりはありますがなんとか少しでも軽い症状で済むように毎日、心の中で祈っています。
今日は午後からママのマンモ生検。左乳腫瘤(2.1センチ浸潤性)が細胞診で悪性だったため右乳石灰化(5ミリ以下非浸潤性)も悪性の可能性が高とのこと。
しかしこれは転移のものではなく別物だろうと・・・どうやら体質的に腫瘍ができやすい体質らしい。
まだガンが一応あると診断されて3日目だがここ2週間は心配で眠れない日が続く。
明日は骨シンチ検査。金曜日にCT-PET検査。土曜日に治療方針を決める流れです。

転移していたらどうしよう?新しい店を現在、工事中だが二人でやる予定だったのですがどうすればいいのか?搬入も始まって止めることもできない。いままで二人で貯蓄していたものは土地の購入代とかに消え借金が重くのしかかっている状態。治療費はどうしたらいいか・・・頭の中がぐちゃぐちゃ状態です。
店をあきらめて土地を売って僕が働きに行くという選択もあるけどママの気持ちはどうだろう?
長い闘病共存生活になると思うけど「生きがい」はやはり必要だ。
ママが帰ってくる場所は絶対に必要だ。
でも、ママがやっぱり一番辛いはず。7歳の息子と2歳のトイプードルと一緒に精神的にママを支えていかなければ・・・
どんな結果になろうとも進んでいく覚悟はある。でも助けてもらわなければ生きていける自信はない!だから今は友達や知り合いに甘えさせてもらって話を聞いてもらってる。
内にこもるのが一番よくないことは自分自身の病気で嫌というほど味わったから・・・

今、現在の状況。
15年間、テナントを借りて飲食店をママと二人でやっていたが子供が小学生になるのを機に4月に店舗併用住宅を購入し改築中。
これからのためにと思い5月初旬に二人で半日ドックを受ける。
僕は特に異常はなかったがママが乳がんの精密検査指示をうける。
5月25日、京都の北山にある乳腺外科でマンモ・エコーで疑いあり
同29日、MRI・細胞診
6月2日、左乳(2.1センチ浸潤性)悪性認定
2002年の日韓W杯が終わった頃に僕はパニック障害になりました。
当時、32歳でママと一緒に料理屋を営んでいました。
昼から背筋に嫌な悪寒があったのですがあまり気にしないようにしてました。
でも、その悪寒が時間を追うごとに激しくなり午後7時過ぎに突然、後頭部に熱いものを感じ、めまい、吐き気、動悸・・・あらゆる自律神経症状が起こり一瞬「脳の血管が切れた!」と直感で感じママに「救急車!救急車!」と叫んでました。
病院に着くころには症状は治まりその日は1日入院しました。
翌日の診断で「過換気症候群」いわゆる過呼吸だろうといわれデパスを処方され帰りました。
その後、しばらくは普通の生活をしてましたが2週間後にまた大きな発作が起きてしまい、知り合いから心療内科の受診を勧められ受診。
そこでパニック発作という言葉を初めて聞きました。
メイラックスを処方され発作が出そうなときにソラナックスを飲む処方でしたがまだまだ「精神安定剤」に否定的な感情があったので飲みませんでした。
心の中で「たぶん、違う病気だろう。オレが精神病になるわけねぇ~」と・・・
その後、ドクターショッピングを繰り返し発作も繰り返しいつの間にかうつ症状、摂食障害も併発してしまい立派なパニック障害患者になってしまいました。
メイラックス2ミリ朝夕・パキシル10ミリ朝夕・ドグマチール朝夕
つづく