韓国風? | 日本の未来を考える

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旧ブログ名:NHK朝ドラ『梅ちゃん先生』、『純と愛』批判をメインにしたブログ。リンクはご自由にどうぞ。

NHKに限った事ではないかもしれないが、最近のドラマを観ると違和感を覚える。


それは、


顔のドアップが多いこと Σ(・∀・;)


おでこから上、口元から下が画面から切れるほど(つまり顔のパーツのみ)のドアップが

やたらと多いのはなぜなの?(´・ω・`)


NHKでは特にドラマに限らず、街頭インタビューでも見られる。

何か意味があるのか?これ (・∀・;)


地デジ化で、30-40インチサイズの解像度の高いテレビモニターが普及した現在、

画面一杯に広がる人間の顔を見ると、暑苦しいというか圧迫感を感じるのはワテだけ?Σ( ̄▽ ̄;)!!


もしや、カーナビやスマホ向け?(´・ω・`)


確かに、映画などで恐怖や迫力を出すために顔のドアップ!を瞬間的に挿入するテクニックはあるだろう。

しかし、通常シーン(普通の台詞をしゃべる時)まで延々とアップシーンなのはキツイ。


おそらく、このカメラワーク(演出)は、韓国ドラマの影響だろう。

韓流ブームの先駆け・『冬のソナタ』での、主人公たちの顔のドアップは非常に印象的だった。

放映権を持っていたNHKが、その影響を強く受けたことは容易に想像できる。


が、しかし、「本当にそれでいいの?」 by某ヒロイン


ワテはプロの評論家ではないけれど、ドアップの多用は、演出の手抜きだと思う。

俳優や女優のファンなら、”どアップで見たい”かもしれないが、それ以外のメリットはない。


むしろ、アップにすることで様々なデメリットがある。

視聴者に不要な圧迫感を与えるだけでなく、画面の単調さにつながる。

また、他の登場人物の表情や仕草が映らないため、場面や話の奥行きがなくなる。


『純愛』が典型例。

ヒロイン・純とイトシのドアップが多過ぎるため、必要以上に視聴者に不快感を与えている。

(もちろん、台詞や言い方の不快感もあるのだが)

これは、演出家と監督のミスであり、手抜きだろう。

韓国ドラマではなく、名作映画やドラマから、カメラワークやアングルを学ぶべきだと思う。


次、言葉遣いについて。


NHKの朝ドラでは、過去におかしな言葉遣いがあった。

あまり昔の作品は知らないが、ここ数年の作品で多用されたのが「けど」。


朝、新聞を読みながら食事し、その間テレビがついている状態なので音声のみ聞こえていた。

その時、登場人物が、やたらと「けど・・・」と言うのが耳に引っかかった。


朝ドラは、全国様々な地域が舞台のはずなのに、まるで共通語のように「けど」を遣う。

サラリーマンから社長、主婦や子供まで、みんな「けど」。

「だが」「しかし」「でも」や、方言なら「せやけど」「ばってん」など色々あると思うのだが。


確かに関西地方では、幼児語として「けど」は存在するが、全国でもそうなのか?

『ゲゲゲの女房』で、ヒロイン・ふみえが何度も遣っていたのは昨年視聴したので間違いない。


どなたか事情をご存知の方は教えて下さい。(・∀・)ノ



以上。