1. 必ずできると信じろ

「思いついたことは出来る。思いつかないものは出来ない。これは避けがたく、明白なことだ。」


2. 限界を超えろ

「私はいつも自分の出来ないことをする。どうやればいいのかわかるからだ。」


3. 「その時」を待つな

「インスピレーションは常に存在する。見つけに行くんだ。」


4. 動け

「明日に引き伸ばせば、それは死んでしまう。」
「行動がすべての成功の鍵だ。」


5. 正しく問え

「他の人間はなぜそうなったかを問う。私はいつも何ができるのか、なぜできないのかを問う。」


6. ジャッジせず、隠された美を見ろ

「我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが。」


7. 遅すぎるなんてことはない。

「若さと年齢は無関係。」”


という。ピカソの7つの助言とやら。
素晴らしいね。
仮面をかぶる
猫をかぶる
或いは化ける

そうして誰かに関わるあなたは八方美人

その存在を浅ましく思う
その存在を疎ましく思う
その存在を哀れみながら見てる

そのような生命として存在し、意味などあるのか
仮面をかぶり続ける生命に、なんの意味が存在するのか
真実を見せず、ただただ亡霊のようにつっ立って、何の意味があるのか

仮面をかぶるあなた
猫をかぶるあなた
化けて出たあなた

そうして誰かに関わるあなたは八方美人

その存在に憤りを覚え
その存在に憎しみを覚え

その存在に、或いは
あなたの見せる儚げなその一瞬に
惹かれていくのかもしれない

そんなことは、ないのかもしれない



今日もカミソリを取り出し、誰かは手首を切る。
辛いこと、悔しかったこと、負の感情を込めて。
ざくざくざくと。

血が出る。血が出る。
意識が遠のく。
だがそれは死ぬ為に非ず。

その誰かは、「生きている」という実感を得るがために、
己を死に追い遣る行為を行う。

血が多量に噴き出し、
今日も意識が遠のき、
今日もまた誰かは生の充足を得る。

それは、誰かにとっては嫌悪感を生む行為で。
誰かにとっては理解ができない行為で。
或いは、誰かにとっては理解が出来る行為かもしれない。

だが、そんなことをお構いなしに、
今日も誰かは手首を切る。

生きる為に。
明日も生きる為に。


彼はその日の出来事を反芻する。
何が起きたか、何もなかったか。好きなあの子と喋れたか。

彼は布団に入り、眠りに付くその時まで、その日の出来事を反芻する。

何が起きたか、誰かと諍いを起こしたか。誰かと喋れたか。

明日になれば、彼はその日のことを反芻し続ける。
眠るその時まで。

彼はそうやって、棺桶に入るまで、壺の中に入るまで、
日常を反芻し続ける。

それはある種、日常に縛り付けられていると言える。
彼は、何の当たり障りの無い日々を反芻し続け、日常に縛られる。
自分の根本的な部分に存在している風景。

それは小さい頃に家族で旅行に行ったことかもしれないし、
あるいは赤ん坊の頃病院にいた時の記憶かもしれない。
それとも、本当の心の内の風景なのか。
草原か。荒地か。砂漠か。空か。宇宙か。無か。
実際それがなんなのか。理解しかねる。

そんな自分自身の言葉だけど、理解出来ない部分がそれまた自分自身に存在するわけです。
自分が見たものだからこそ、自分に理解出来ない部分があるのです。

まぁ、自分の内から出た言葉で自分に理解出来ない言葉。
それが一番の戯言なのかなぁって。

戯言ってざれごとって読めると同時に戯言とも読むんだよね。
それぞれに意味があるらしいんだけれど前者はいわゆる冗談。後者はたわけた言葉とか、ばかばかしい話って意味がある。
って辞書には書いてあるんだけれどもそんなに違いないよねっていう。

思い浮かんだことを忘れないうちにちょいっと書いておくっていいね。